190話 勇者と魔王
「あははっ!!まだまだ戦えるよね!?」
「黙れ黙れ黙れぇぇッ!!」
何度も何度も勇者の首を狙って武器を振り続けるアルト。
彼女に未だ疲れは見えないもの、積もりに積もった怒りをぶつけるような攻撃であるため、余りにも乱雑な斬線であった。
そのため、口調とは真逆に冷静な勇者へ彼女の攻撃が届くことは一度もない。
「避けるなぁァァッ!!」
「あははっ!怖いなぁ!!」
白銀の剣がより輝きを増して漆黒の剣とぶつかり合う。
周りは剣戟の破壊の余波により、設備はボロボロに破壊され、足元の水かさは靴底に触れる程度に収まっている。
「はい、避けなかったよ?」
「素直に死んでくれないかなぁ……ッ!」
「あはは、それにしても、君ってこんなに弱かったかな? もう何年前だか分からないけど、俺が戦った魔王はもっと強かったような気がするんだけどなぁ……」
「こ、のッ!!」
ギチギチと音をたてながら対極の剣同士が凄まじい力でぶつかり合い、二人の間に本物の火花が散る。
そんな中、勇者が如何にも余裕でありそうな口調でアルトに話しかけた。これは全力で挑んでいる彼女からすれば、自身の実力を貶されたということにも捉えられるため、彼女の苛立ちもピークに達し始める。
彼女は大きく刀を振り払い、鍔迫り合いの状況から無理矢理引き離すと、姿勢を崩したと思われる勇者に素早く近づき、次こそ首を弾き飛ばそうとして――
「っう?!」
「あれ? 外れちゃったかな?」
攻撃を中断し、自身の身体を地面に放り投げるかのような前転を行う。
突然そのような行動を起こした理由は、魔王としての直感が働いたためだ。
そして、その判断は正しかったのか、目の前に捉えていた勇者はノイズを走らせて空中に解けていき、彼女の背後からは白く煌めく一筋の光が射抜かんと言わんばかりに高速で伸びていく。
前転により何とか直撃は抑えたが、夕と出会ってからどんな魔物にも傷をつけられなかった衣装に遂に裂傷が走り、彼女の背中の傷口からうっすらと血が滲む。
「くっ……!」
「あはは、当たったとはいえよく避けたよ。俺の仲間だったらまず三回は殺せてたな!」
残像を作り出し、がら空きの背後から襲う影分身にも似た武芸。
何があったかの過程は簡単に導き出せるが、実行に移すことが可能な者はそうそういない。
しかし、勇者という存在はその常識に一線を画する。
聖属性の光を武芸に組み込むことにより、より本物に近い残像を作り出したのだ。
いくら対人経験のある彼女とはいえ、見たこともない戦法を前にすれば、回避する他にない。
「この程度ッ――!?」
転んだ状態のまま闇属性の槍を作り出す魔法をうち放とうと勇者に向けて手のひらを広げ、魔力を注ぐ彼女は、ふと気がつけば視界に勇者を捉えられていないことに気がつく。
“死”という冷たい予感だけが彼女の背中を震わせていた。
「これなら、どう?」
ぶぉん、と一度だけ振り払う音のみが眩しい空間に木霊する。
勇者の顔は、どこか嬉しげであり、振り抜いた光り輝く剣先には赤い鮮血がベッタリと張り付いていた。
遅れて爆発でも起きたかのような突風がこの場にある全てを吹き飛ばすかのような勢いで吹き荒れ、勇者の笑みは豪炎に空気が加わった勢いで大きく歪む。
「……うそ、だ」
「あは、あははははッ! よく避けたよ!よく避けたよ!!」
勇者の視界にはアルトを捉えていた。
しかし、彼女の表情にはこれまでのような憤怒は感じられない。
先程までの激情が赤だとすれば、その表情は、恐怖で染まった青。
壁に寄りかかっている状態の彼女は、右肩を抑えている。その右肩から洪水のように止めどなく真っ赤な液体が漏れ出し、彼女の右腕すら赤く染めていた。
「ボク、の、ボクの絶対回避が……」
「あはは! 君のことだから逃げる手段を一つや二つ用意してると思ってね、ちゃーんと見て振り抜いたよ?」
「ボク、の回避は、戦闘続行が不可能になる攻撃を、予測して事前に発動する、スキルなのに……なんで、なんで……ッ!?」
「あはははっ!! そんな能力俺の前には通じないよ? なんたって、“捉えていた”からね!」
「嘘だ……嘘だよっ……ぼ、ボクのスキルは、絶対に発動して――」
「まぁ、いうならば……心眼ってやつ? 心の目でしっかりと見据えれば、単純な瞬間移動なんて簡単に潰せるよ?」
勇者の笑い声が木霊する度、怒りで忘却していた彼女の恐怖が次から次へと蘇っていく。
彼女の脳裏に浮かぶのは、赤く血塗られた魔王の城。
アルトがまだ、戦闘をあまり経験していない頃であった。
その場所は、業火に包まれた戦場。
炎の隙間から除き見えるのは、無数の戦士が倒れ臥す姿。
ある者は傷つき横たわり、ある者は業火の中で悲痛な叫び声を上げる。
上空では飛竜が嘶き、火炎を撒き散らし、戦闘が不可能な者達に過剰な攻撃を行っているようすが見て取れる。
そんな地獄とも言える最悪な状況で、また一つ新たな悲劇が起ころうとしていた。
場面は、魔王が鎮座する城内。
きらびやかで妖しさ漂わせていた廊下はもはや見る影もなく、多数の魔族の血痕や横たわった者達で埋まり、見るも無惨な光景になっていた。
それを行った張本人はたった数人の人間達。
幾多の魔族が侵入者に対して戦いを挑み、また彼を先へ進ませることを止めようとした魔族も必死で戦闘を挑んだ。
だが。
『あはは、そんな程度で俺が止まるとでも?』
彼を目の前にしては、誰も彼も、例外なく切り捨てられていった。
首を跳ねられ、あるいは心臓を打ち抜かれ、彼がここで行う行動はどれもこれも“目的のための無力化”ではなく“殺し”という意識の下に動いていた。
勇者というものは何だったか。このような残虐な殺人を愉しむ快楽殺人者か。
とある魔族が死の間際に言い放ったこの台詞ですら、勇者は何の身じろぎもせず血塗られた笑顔を浮かべてこう言い放った。
『あははっ!俺は正義の味方だぞ? ヒーローが悪を滅ぼして何が悪いんだい? 』
どれだけ命を消そうとも、彼は罪悪感を感じることはなく。
『当然、悪は全部俺が消してやるよ! オス、メスはあるだろうけど、俺は人間の味方だからね。全部消してあげるのさ』
怯える一般住民にも彼は凶刃を振り抜き。
『そもそも、君達みたいな悪 が存在しているから俺が動かなきゃダメなんだろう?』
次々と手に持つ剣で同じ価値であった命を刈り取っていく。
魔族もまた、彼に問いかけた。
この戦いに、どんな意味があるのかということを。
『俺達が、人間界に何したっていうんだ!?』
その当時の王、アルトの父であった初代魔王は、魔族の住む魔界を作った創始者である。
彼は極めて高い戦闘能力を持ちながら、平和主義であることで有名であった。
また、人間を好んでおり、これまでに千年を生きた存在とも言われている。
彼が提唱するのは、数ある種族の中で最高のスペックを持つ魔族こそが、弱い立場にいる人間や獣人、そして様々な種族のもの達を守るべき。というものであった。
完全な強者主義である魔界は、王の意思こそ国民の総意であることが決定づけられており、批判するものも居なかったのだ。
そんな魔界の国王が戦争を行う理由が見つからず、魔族側はただただ困惑することしか出来ない。
しかも、相手からは何一つ戦争の理由を告げられないため、降伏すら不可能であった。
『あはは……だから言ってるだろう? 君達は 悪 だから俺が浄化してるんだってさ!』
『何なんだよそれっ……わけ分かんねぇよ……っ』
初代魔王は、二人の子宝に恵まれた。
長女はソプラノという名を受け、次女はアルトと名付けられた。
初代魔王の結婚相手。それは異世界から来た女性の人間であった。
彼女は天性の音楽の才能を持ち合わせており、また、優しすぎることで有名であった。
そんな彼女だからこそ、あのようなことが起こってしまったのかもしれない。
『大丈夫よ二人とも、私達魔族は戦闘特化の種族なんですから、心配しないでいいのよ。なによりお父さんはこの世で一番強いんだから、なにも心配することはないわ』
魔王のパートナーは年を取り、車椅子がなければ行動できないほどにまで衰弱していた。
そんな母であったが、二人の子はなにりも愛していた。
勉学を教わり、魔法を教わり、戦闘のコツを教わった。
まさに人生の先生ともいえる存在であったが、自由に動き回れない彼女は戦火が舞い散るこの状況においては非常にか弱いものである。
『そう……だよね、でも私……皆を助けにいきたいよ』
『そんなこと必要ないわよ。あんなやつら、おとーさんが直ぐに倒してくれるんだからね』
『でも……魔族の皆が……』
この頃はまだまだ子供に分類されるほど幼かった二人であったので、当然戦場に送り出すことは出来ず、彼女はただただ、抱きしめ、安心させることしか出来なかった。
一人、また一人と部屋から魔族が出ていく。
行き先は当然、目の前に広がる戦場であった。
アルトは知っていた。魔族が母と抱擁を終えた後、何処に向かっていくのかを。
ソプラノは感じていた。このままでは魔族が根絶やしにされてしまうことを。
そして、遂に部屋から三人以外の人が存在しなくなり、ジャイと呼ばれる魔王の右腕であった存在が目の前の扉からボロボロの装いで出現し、彼女達の母に耳打ちを行うと、遂に抱擁を終えてしまった。
『ちょっとおかーさん用事があるからでてくるね』
『えっ……どーして?』
『やだよ……?!』
『大丈夫よ、すぐ戻ってくるからね』
その時に、ジャイはあることを耳打ちされ、肩を震わせて彼女達の母と抱擁を交わす。
その内容は。
『ソプラノとアルトをよろしくお願いしますね?』
覚悟を決めたその強い言葉に、彼は頷くことしか出来なかった。
隔離扉とも言える最後の防壁が閉められて閉められて、彼の耳には、こんな会話が聞こえてしまった。
『あいつ、どこかで見たことのあるような――』
『あ、君って――だよね?』
『ええ。そうですね。サンガ』
『ねぇ、なんで人間の君が悪に味方するの?』
『さぁ、なんででしょうね。それにしても随分酷いことをするものですね』
『あははっ、君も随分老けちゃったね。勇者の役割を放棄した愚か者にはちょうどいいかもしれないけどね』
ジャイは彼の前では何の役に立たないことも知りながら、扉に手をかけ――震えながら思いとどまった。
最後の願い、最後の抱擁。
これを無視し、無駄な足掻きで全てを台無しにすることなど果たして出来るのであろうか。
『昔馴染で君は殺さないであげるよ。悪の因子は僕が浄化するけどね』
『いいえ。悪はあなたです』
『貴様……! 勇者様が悪だと言うか……!?』
『やめろ……っ、やめて、くれ……っ』
ジャイの涙ながらの悲痛な声は扉に遮られて届かない。当然、勇者になんて届くはずがない。
『んじゃもう一度だけ聞こうかな。君はなんで悪 である魔族に味方するのかな?』
『……そうですね。たった一つだけ答えるなら――』
ジャイの耳に聞こえた声は、優しく、柔らかく、そしてこれまで感じた中で、最も強い言葉であった。
『好き、だからですね』
『はぁ、残念。どう考えても君は 悪 だね』
その瞬間、かけがえの無いものが、扉の向こうで重くて、軽い音と共に消えた。
消えてしまった。
間違いなく、二人の子もそれを感じ取ったのだろう。彼女らの目には涙が浮かんでいた。
『この後ろに居るのは分かってるよ』
絶対の障壁と考えていた扉から、白く輝く剣が勢いよく生え出し、それは真っ直ぐにジャイの腹部へ。
『ご、ふっ……』
涙を浮かべながらジャイは倒れ伏し、扉は衝撃の魔法によって破壊される。
ああ、何故こんなにも自分は無力なのだろうか。
そんな考えが頭を駆け巡るが、彼は扉の破壊とともに大きく吹き飛ばされてしまった。
そして、ついに、勇者が目の前に現れてしまったのだ。
「あはは! 無駄だよ? 君みたいな小さな子は好きだけど、魔族だからね。殺しておかなきゃ……ね?」
あっという間にソプラノは吹き飛ばされて、残るはアルトのみとなってしまった。
『触れないで……さわら……ないでっ……』
『あははははっ!!』
『うぁ――っ!?』
血塗られた勇者の手で頭を掴まれ、痛みともに視界は白く塗りつぶされていく。
魔力と魔力がぶつかり合い、その先にお互いに見えてきた光景は、逆流によるものだった。
血塗られた王城、沢山の魔族の死体。
全部何もかも、全て彼女の脳に流れ込んでくる。
『ああ……いやだよ……こんなの……見たくないよ……っ!!』
そして、最後には。
『好き、だからですね』
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァッ!』
見てしまった。
何もかも。
勇者に対する魔族が抱くすべての恐怖。
勇者に対する怨念の思い。
勇者に対する魔族たちの悔恨を、すべて見てしまったのだ。
「ボ、ク、は……ぁ……ぁ、ぁ……ぁぁ……ぁっ」
「あはははっ! 泣いているのかい!? だけどな、俺は悪を許すつもりはないんだよなぁっ!! 」
二つの色の違う瞳から、ポロポロと涙が零れる。
それは目の前にある死への恐怖のためか、自らの力不足による同士への心咎めなのかは彼女にしか分からないことだろう。
勇者は剣を上に掲げ、魔力を充填し始める。
空間が軋み、あまりの魔力に悲鳴を上げて雷光が走るが、アルトはやはり動けない。
「あははははっ!! 魔王もこれで終わりだ!! 」
「……ぁぁ……ぁぁ……弱いボクを、許して、みんな……」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
勇者が勢いよく剣を振り下ろせば、アルトの月閃なんて比較にもならない、極大なエネルギーの本流が彼女一人を狙って降り注がれた。
世界を飲み込まんとする巨大な津波にも感じられるほどの閃光と剣圧が彼女一人を狙っていく。
しかし、アルトは避けようとはしない。
目を瞑り、涙の跡を残しながら上を向いていた。
「消えろぉぉぉぉぁっ!!悪魔がぁぁぁぁぁッ!!」
勇者の猛り声と共に空間が一気に白で塗りつぶされて、音も、空気も、何もかもが無くなった。
閃光が収まれば、まるで地殻変動でもあったかのような底の見えない崖が、アルトがいた場所を中心として広がっていた。
間違いなく、彼はその場所一帯を浄化したのだ。
「あ、は、あはは、あはははははははははっ!! 遂にやったぞ!! 強大な悪を浄化してやった! あは、あはははははは――」
『――何がおかしいんだよ』
「……!?」
勇者は届いてきた声に驚き、周りを見渡す。しかし、目の前にはそこの見えない崖が広がるだけで何も生物の気配は感じられない。
『――悪、って言ってるが、お前の方が余程だと思うがな。何でも知ってる知恵袋に聞いてみるか?』
「だれだ……誰だお前はァァッ!!」
勇者の実力でも位置が把握できないのは明らかな異常事態。
叫んでも叫んでも姿を見せない事に苛立ちを感じ、剣に魔力を込め始めたその時。
「こっちだ」
「がはぅ!?」
何者に勇者は腹部を蹴られ、強く吹き飛ぶ。
大砲の砲弾のような速度で勢いよく飛ばされることは、彼にとっては数十年ぶりの出来事であった。
「ぁ、ぁ……」
「よう、愛しのお姫様。待たせたな」
「……ゆ、う……な、の?」
「さーて、どうでしょうな」
軽い口調で、恥ずかしげもなくアルトをお姫様抱っこをしていたのは、間違いようもなく波風 夕。しかし、彼の格好は、見るも無残な程にボロボロで、片方の瞳は赤く輝いていた。
アルトを優しく下ろすと同時に、回復魔法をかけ軽い止血処理をし終えると、夕はどこか困ったような表情でこう語った。
「鏡で見たが、これ、アルトとお揃いだぞ? 男がやると相当痛々しい感じはあるが」
「ほん、とに、ユウなの?」
「あー、これは誰かさんのおかげで助けられたが、誰かさんのおかげでこうなってな」
あっはっは、と棒読みに近い笑い声を上げた後、夕はアルトに不意に近づき、頭を撫でた。
「遅れてごめんな」
「ユ、ウ……ユウだ……っ」
アルトの赤と青の瞳に再び涙が溜まり始める。この涙は、明らかに先程の涙より、暖かいものであった。
「さて、最弱のクラス、ここに復活だ」
彼女から手を離し勇者を吹っ飛ばした方向へ立ち直る。
そして右手を横に広げ、勢いよく払うと、ゴウッ!という音と共に、彼の手には真っ黒な炎のような魔力が宿る。
それは、夕から作り出したとは思えないほど、冷たい魔力で、突然彼の優しさのような要素は微塵にも感じられなくなり、アルトはぞくりと背中に寒気が走る。
そして、もはや完全な別人と化した夕は虚空に向けて語り出した。
「あいつは敵だ。さっさと終えるぞ」
ご高覧感謝です♪




