第78話
「……そ、そうだ。彼女の……ためにも……俺は……」
少し呆然としたように呟くロンドに、リンは首を傾げた。
「ロンド? どうしたの?」
「あ? いや、なんでもない」
覗き込むようにして訊ねてくるリンに、ロンドはハッとなって頭を振った。
「……ともかく、情報収集を続けながら女伯の屋敷に向かおう。踏み込むかどうかはその時しだいだ」
「いいぜ」
「わかった」
「はい!」
「う、うん」
「……」
ロンドの決定に、リックやナバロフ、ミルカがうなずいた。
リンも釣られるようにしてうなずいてしまう。
ただひとり、ケインだけが不審そうにロンドとミルカを見つめていた。
ふたりの距離が、かなり近い。
これが普段なら話の種にもなろうかという程度のものだが、ケインはどこかおかしなモノを漠然と感じていた。
と、ミルカがケインを見て微笑んだ。
同時にケインは軽い頭痛を感じた。
「……?」
それを疑問に思うが深く考えることを、どこか拒否し始めている自分に、ケインは驚き、表情を変えること無く警戒を強めた。
「どうしたの? ケイン」
そんな彼の様子に、側によって来たリンが小さく訊ねた。
ケインはチラとミルカを見るが、彼女はすでにロンドや仲間たちと歩き出していた。
「……なんでも無いですよリン。それより行きましょう」
「う、うん」
感じる違和感を心の片隅に留め、ケインはリンを促し歩き始めた。
リンは少し戸惑ったようだったが、すぐに彼を追って歩き始めた。
貴族街で情報収集を続けるロンドたち。
その中で、女伯の情報が少しずつ集まってきていた。
だが、決定的な情報は得られずにいた。
「……とはいえ、怪しいのは確かなようですね」
集まった情報を整理しながら、ケインがつぶやく。
表面上は聖女と呼ぶにふさわしい、慈愛に満ちた活動を精力的に行っており、なんらかの犯罪に協力するような人物には見えない。
だが、少し裏側を覗けば、邸宅に若い男女を呼び込んだり、一部の貴族との密会も絶えない。
あるいは宗教じみた集会も開いているという噂もある。
しかし、なぜかそれらの噂によって女伯が攻撃されている節は無い。
「いい人っぽいよね? 悪い噂はやっかみみたいなものばかりだし。むしろ、悪い噂が良い噂を補強しているような?」
盗賊としてリックと二人で情報集めの中心となったリンも、その辺りが気になってるようだ。
実際、そんな噂があるらしいという人はいるが、ほとんどの人はその噂を否定するのだ。
女伯の人の良さや優しさを褒め称え、ある意味崇拝するかのような人物もいた。
「だが、魔道具犯罪に関わっている可能性がゼロじゃないことも確かみたいだ」
ロンドが難しい顔をしながら唸る。
そう。
黒い噂の中には、魔道具の裏取引や横流しといったものもある。
実際に、魔道具を取り扱う貴族や商人が良く出入りしているのも事実だ。
「やっぱり乗り込むしかないんじゃないでしょうか?」
不意にミルカがそう言い出すと、ロンドはあごに手をやり考え込み始めた。
しかし、ケインにしてみればもっとはっきりとした確証がほしいところだ。
「まだ危険です。相手は貴族です。女伯が観念するほど確かなものが無ければ、言い逃れられてしまいます。リスクが大きい」
ケインの慎重論にも、ロンドは唸るのみ。
と、ケインはミルカが自分を見ているのに気づいた。
その瞳に浮かぶわずかな警戒の色に、ケインは疑問を抱いた。
なぜ、味方に疑念を抱くのか? ミルカは味方のはずである。
警戒などする訳がない。
そう考えてから、ケインはハッとなった。
「……」
自分は警戒していたのではなかったか?
ミルカの言動を。
ロンドの様子がおかしいことを。
なのに、なぜ警戒を解いているのか?
背筋をゴーストに撫でられたかのような悪寒に、ケインは身を震わせた。
その肩に、暖かいものが触れて、自分の中に広がる。
「……どうしたの? ケイン。顔色が悪いよ?」
リンだ。
心配そうに覗き込んでくる少女に、ケインは言い知れないほどの安堵を感じた。
彼女の手に自らの手を重ねる。
リンは少し驚いたようだった。その頬に朱が散る。
そんな彼女の手の暖かさに、ケインは微笑んだ。
「……助かりましたリン。大丈夫です」
「……? ど、どういたしまして?」
ケインの言葉の意味を図りかねてか、リンは赤くなったまま首をかしげていた。
その様子に小さく笑んで、ケインはミルカを見た。
彼女はロンドに何事か言っている。
それを聞いたロンドの顔が、思案気なものから呆けたようになるのを見て、ケインはますますミルカに疑いを深めた。
「……彼女には要注意。ですね……」
ケインは自らに言い聞かせるようにして呟いた。
と、ロンドが表情を引き締めた。
「……よし、女伯の邸宅を張り込もう。なにか動きがあれば踏み込めば良い」
決断したロンドに、ミルカ、リック、ナバロフがうなずいた。
だが、元々の仲間であるはずのケインは顔をしかめた。
「……ロンド、仮に女伯が黒だとして、踏み込むのは危険です。あいての戦力もわからないのですよ? 敵は骸骨従者を作れる魔導師がひとりかふたり。その護衛だっているでしょうし」
考え直してください。と、ケインがロンドに訴える。
それを聞いてロンドが再び思案しようとするが、またもやミルカが口を挟む。
「何言ってるんですか。今やらなきゃ逃げられちゃうかもしれません。そうしたら、彼女はあなたにガッカリしちゃいますよ?」
ミルカの言葉に、ロンドは目を見開いた。
「……そうだ。俺は期待に応えなきゃいけないんだ。彼女のために。彼女の期待に……」
呟くロンドの姿にケインは目を細めた。
明らかに様子がおかしい。
それにミルカの先ほどの言葉にも違和感がある。
なぜ、ミルカは。
「……ロンドが“彼女”を気にしていることを知っているんですか? いえ、それだけじゃない……」
顔を険しくして、ケインは杖をミルカに向けた。
「なぜ、あなたが“彼女”を知っているんですか? ミルカ」
「ケ、ケイン?」
あまり見ないケインの怒り顔に、リンは戸惑いながらミルカと彼を交互に見やる。
一方のミルカはと言えば、小さく嘆息していた。
「……失言でしたかね? もう少しでしたが」
諦めの混じったかのようにぼやく。
そしてケインとリンへと向き直りにっこり微笑んだ。
「大した慎重さと思考能力ですよ? ケインさん。あなたのような冒険者がもっとも手強くなる。惜しむらくは、実力がまだまだということでしょうか?」
「ミ、ミルカちゃん?」
優しそうな微笑みでありながら、吹き付けるような威圧感を放つミルカに、リンが戸惑ったように呼ぶ。
それを聞いてミルカはうなずいた。
「ええリンちゃん。あなたとももっと仲良くなりたかったのですけど、想定よりずっと早くバレてしまいましたから……残念です」
笑顔の威圧に気圧されて、リンは身を震わせた。
杖を向けているケインも足の震えが止まらずにいた。
なにをどうあがいても勝てないと、本能が悟っていた。
「くっ、ロンド! 彼女は、ミルカは敵です! 目を醒ましてください!」
そんな中で呆然とたたずむロンドに、ケインは必死に呼び掛ける。だが、彼はまるで反応しない。
「リ、リックさん! ナバロフさん!」
リンは他の二人に向かって声をあげた。
しかし、彼らもまた身動きひとつしない。
その姿にケインは苦々しげになる。
「そのふたりにも、何か仕掛けているんですか? ミルカ。あなたはいったい何者なんです?」
声が震えるのも構わず、ケインは叫ぶ。
が、ミルカはキョトンとした顔になった。
「……ああ、このふたりですか? 別に何も仕掛けてませんよ? 二体とも優秀な端末ですから」
そう言ってミルカが指を鳴らした。
すると、リックとナバロフが、まるで壊れた人形のようにぎこちなく動き始めた。
ふたりがケインらを見る。
「ひっ?!」
「なっ!?」
リンが息を呑み、ケインが絶句した。
リックとナバロフの顔面には顔が無かった。
ケインとリンが驚き止む間も無く、ふたりの冒険者から毛髪が消え失せ、装備も体に染み込むように失われていく。
そして、表面がのっぺりとした二体の球体間接人形へと姿を変えてしまった。




