第72話
「ふたりともなに話してるの~?」
声が聞こえてそちらを見れば、アルエットが眠そうに目を擦りながら階段を下りてきた。
長い髪を引きずりながら。
「おはようアルエット。また遅くまで起きていたのかね?」
「ちょっとマグナス様が降りてきまして……」
ジェリコのとがめるような声に、愛想笑いを浮かべてアルエットは言い訳をはじめた。
ちなみに『マグナス様が降りてきて』というのは、鍛冶の神でもある金剛神マグナスが、四六時中なにかを造っていることから発明などのアイディアをひらめく事を言う。
閑話休題。
そんなふたりにサーシャはため息をつきながら立ち上がった。
「もう、そうじゃないでしょ? ふたりとも」
あきれたように言いながらアルエットに近づいていく。
「あ、おはようサーシャ」
「ええおはようアルエット。けど、髪くらい整えてからおりてきなさいな? せっかくの髪が台無しになるでしょう?」
サーシャは丁寧な手つきでアルエットの髪を持ち上げた。
アルエットの髪は下ろしてしまえば地面に引きずるほどの長さだ。
それをそのままにすることは、サーシャには我慢できなかった。
アルエットを椅子に座らせ、ジェリコに櫛とブラシを持ってこさせると、そのまま彼女の髪を整えていった。
「……先の方は傷だらけね? まったく。女の子なんだから髪は大事にしなさい」
「えー? 面倒だよ……」
サーシャに注意されるが、アルエットはめんどくさげに言う。
「だぁめ。しっかり手入れをしなさい」
「ぷう、もう切っちゃおうかなあ……」
サーシャに言われてむくれたアルエットが呟くと、サーシャはため息をついた。
「……せっかくキレイな髪質なのにもったいない……。あの子とおんなじね……」
サーシャは嘆くように言う。が、切る切らないは本人次第であるから強く止める気はないようだった。
だが、最後にぼやいた言葉をアルエットは耳ざとく拾った。
「? あの子って?」
「え? ああ……」
訊ねられて、サーシャは一瞬思案したが、すぐに笑顔になった。
「わたしの……妹みたいな子よ。あなたみたいに髪の手入れを面倒くさがって、最後にはばっさり切っちゃうのよ。キレイな髪なのに」
苦笑しながら、しかしどこか懐かしそうにサーシャが語る。
「ほんとの妹じゃないの?」
「ううん、幼馴染みな妹なのよ。いつも私が面倒を見ていたの」
少し照れ臭そうに言うサーシャに、アルエットはへぇと声をあげた。
カウンターで仕込みをしているジェリコも耳をそばだてている。
サーシャは話ながらも手を止めなかった。丁寧にブラシを掛け、絡まった髪をいっぽんいっぽんほどき、櫛で整えていく。
その手際のよさに、ジェリコは感心したような顔になった。
「……うまいもんだ」
「慣れてるからね」
笑いながら返す。
その横顔はどこまでも優しかった。
「はい終わり」
そう告げたサーシャは、アルエットの肩に、ぽんと両手を乗せた。アルエットの髪は艶が乗ったようにさらりと流れていた。それを一本に纏めているリボンは自己主張しすぎない程度に彼女のポニーテールの一部として溶け込んでいた。
アルエットはそんな自分の髪型を手鏡で確認し、少し躊躇してから、サーシャへと振り返りながら見上げると。
「……ありがとう」
とお礼を言ってはにかんだ。
サーシャも笑顔になり、どういたしましてと返していた。
その様子を見ていたジェリコは優しい気持ちで微笑んでいた。
不意に人の気配を感じてそちらを見れば、部屋から下りてきたロンドが呆けたようにして階段口に立っていた。
「……女神だ」
そんな彼の姿にジェリコは嘆息した。
「どうしたんだ? ロンド。そんなところでぼーっとして」
ジェリコが声を掛けると、彼はハッとなった。
サーシャとアルエットもロンドに気付いてそちらを見る。
「あらロンド。おはよう」
「おはよー! ロンド」
「! あっ、ああおはよう……」
サーシャとアルエットと朝の挨拶を交わすが、ロンドは少々キョドり気味だった。
「なにキョドってんのよ? ロンドってば」
「くくく」
そんなロンドの後ろから声を掛けたのはリンだ。
その隣ではケインが含み笑いを漏らしている。
ロンドはバツが悪そうな顔になってそっぽをむいた。
「な、何でもないっ!」
その様子は少年のようにも見えてサーシャはなんだか吹き出してしまった。
「ふふ、ロンドったら子供みたいにすねちゃって♪」
「?! か、からかわないでくれ!」
サーシャに言われ、ロンドは思わず声をあげた。
サーシャは楽しそうにしながらも「ごめんなさいね?」と告げ、ロンドは憮然となった。
そこでタイミングを見計らったジェリコが咳払いをする。
「……いつまでも立っていないで座ったらどうだ?」
「はーい」
「ええ、分かりました。ほら、ロンドも」
「……ああ」
ジェリコに答えて、リンがテーブルのひとつに向かうとケインがロンドを促しながらそれに続いた。
ロンドは乱暴に頭を掻くとうなずいて、それに続いた。
さらに二組の冒険者グループが降りて来て、食堂は活気づき始めた。
そうして冒険者達の朝食が始まる。
真鍮の歯車亭は、宿泊している冒険者に朝食だけはサービスで出してくれる。その代わり昼食や夕食のサービスは無く、お金を払うことになる。
そして依頼を受けた冒険者なら、頼めば一食分のお弁当も用意してもらえる。
この辺りは店ごとにサービスが異なるので、冒険者が自分に合ったサービスの店へと宿泊するのが常だ。
真鍮の歯車亭は人気店というわけではないものの各種アイテムや武具の購入出来、修理や整備なども引き受けてくれるという珍しい店で重宝がる冒険者が少なくない。
宿泊できる部屋は大部屋ひとつに四人部屋二つと個室が四つだ。宿屋としては小規模だが大きめの入浴設備も備えており、出される食事も美味い、隠れた名店扱いだ。
そんな店での朝食は、穏やかに進んだ。




