第70話
真っ黒なスライムが、四足獣の姿になる。
『……逃がしたか』
フォールンエルフの姿が無いのを認めて、ジェリコは軽く息を吐いた。
追跡したいところだが、彼自身のダメージも決して小さくない。
『……俺もロートルってことか』
主に創造され、短くない時間を生きた彼だが、やはり思うところはあるようだ。
と、あちらで轟音が響いた。
巨大な土くれの人型が、その形を失い崩れ落ちていく。サーシャがゴーレムを倒したのであろう。
もうもうと立ち込める砂煙の中から、薄茶色の髪の女性が手を振りながらやってきた。
その姿を見て、ジェリコはその獣面に笑みを浮かべた。
『……ふ、元気なお嬢さんだ』
呟くと、彼女に向かって足を踏み出した。それが二歩目になるときには、精悍そうな男の姿となっていた。
「無事で何よりだ」
「あなたは大分やられたみたいね?」
サーシャに声を掛けたジェリコだったが、彼女がちょいちょいと指差した場所を見て顔をしかめた。
服の一部が変化しきれていない。
彼自身が思っているよりダメージは大きいようだ。
「……やれやれ、これでは帰れんな」
大きく息を吐いたジェリコにサーシャは眉を寄せた。
「……アルエットには教えないの?」
「出来れば解決するまでな」
サーシャの問いに、ジェリコは強い決意のこもった答えを返した。それを聞いてサーシャは嘆息した。
そして、彼に【ヒール】の魔法を掛けた。
たちまち錬金生物の受けていたダメージが消えていく。
「……話には聞いていたが、すさまじい回復量だな」
「これで擬態化能力も正常に働くんじゃないかしら?」
感嘆するジェリコにサーシャが訊ねた。彼は指摘された場所をきちんと変化させてみてうなずいた。
「うむ、問題ない」
サーシャの問いにジェリコは満足げだ。その様子にサーシャは安堵の笑みを見せた。
「良かったわ。擬態化能力そのものが完全にダメになっていたら、私じゃあ直せないしね」
彼女の言葉にジェリコは難しい顔になった。
「……たしかに。しかし、この街に修理できそうな錬金学士は……」
「……いるでしょう? ひとり」
ジェリコの言葉を遮るサーシャ。それが誰の事かをすぐに察して彼は顔をしかめた。
「……アルエットはダメだ。技術的にはいけるかもしれんが、戦闘のダメージだと解れば追求してくるだろう。アレを巻き込む訳には……」
「ジェリコ。さっきの戦いで感じたでしょう? 私たちだけでは限界があるわ。それに、アルの知識や見識があれば違う角度から全体が見えるかもしれない」
頭を振って拒否の姿勢を見せるこの錬金生物に、サーシャは強く切り込む。それでもジェリコは首を縦に振らない。
「……やはりダメだ。あいつはまだ半人前だ」
「ジェリコ。護ることと過保護は違うわ。彼女が信じられない? それとも守りきる自信が無い?」
サーシャの言葉に、ジェリコは詰まった。
「……しかし……だな」
「はあ。そこまで言うなら今回は引くわ。けど覚えておいて? 事件が長引けば犠牲者は増える。短時間で解決するには……」
「……すまん」
ジェリコの弱々しい謝罪に、サーシャは小さく息を吐いた。
「……はあ、はあ。なんなの? あの女……」
暗がりで息を整えながら、フォールンエルフの女、ロザリーは歯噛みした。
その左腕と右足を存在していない。彼女の四肢はすべて義手と義足だ。
それも義手は肩はおろか肩甲骨まで人工物。義足も骨盤の一部にまで及んでいる。
魔に与した堕ちたるエルフの生き残りとして迫害された結果だ。
しかもこれらは独学により、自分で作り上げた。
そうしなければロザリーは生きてこれなかった。
「人間なんかに……人間なんかにッ!」 その瞳と言葉に憎悪をたぎらせる。
『あら、ダメよ? そんな顔をしちゃあ』
「!」
不意に響いた声に、ロザリーは弾かれたようにそちらを見た。
暗がりの奥から人影がふたつ、現れた。
ひとりはきらびやかなドレスを纏った婦人。今ひとりは、全身をくまなく鎧で覆い、盾を手にした人物。
クローズドヘルムで顔まで隠してはいるが、その面頬の隙間から覗く瞳は生気がある。
「エルマ様、ロドヴァイス……」
ロザリーは苦々しい顔で二人を見上げた。
「ボロボロねえ? 大丈夫?」
ドレスの女性、エルマはロザリーの前にしゃがみこみながら訊ねた。
ロザリーは、エルマの視線から逃れるように顔を逸らす。
「……大丈夫です。義手と義足を失っただけですから」
「……ロザリーちゃん」
エルマは、そっとロザリーを抱き締めた。
「無理はダメよ? あなたは傲慢なる王から借りてきただけではなくて、私にとっても大切な存在なんだから」
「……あ、ああ」
ロザリーは青ざめていた。
優しいエルマの声は、虚飾に満ちている。
カチリ、カチリ、カチリ……と音がして、ロザリーの四肢が外された。
「今晩はたっぷりと慰めてあげるわロザリーちゃん。安心して眠りなさい」
虚栄の女王エルマ。
その優しさは虚飾に満ちていて、自身の虚栄心を満たすもの。
「あ、あああ……」
弱者を憐れみ救う聖女として、幼子を守る母として、ただひたすらに自らが満足するために、エルマは愛を説く。
その愛は、どこまでも歪で、ゆがみきっていた。
彼女がロザリーを大事にするのは、その哀れな傷だらけの身体と心を癒し、みずからを満足させるためだ。
「さあ、帰りましょうね? ロザリーちゃん」
「や、やめ……」
慈母の笑みを浮かべてロザリーを抱き上げたエルマに、ロザリーは恐怖した。
エルマはロザリーを見ていなかった。その瞳にはエルマ自身しか映っていない。
「やめて、やめて……」
「うふふ、たくさん愛してあげるわ。あなたが癒されるように」
嫌がるロザリーを無視しながら、エルマはふたたび暗がりの奥へと戻っていった。
「……」
ひと言すら発さずに成り行きを見ていたロドヴァイスは、彼女達の後ろ姿を見送った。そしてその背中が見えなくなると、ロザリーの外された義手と義足を拾い上げる。
ロドヴァイスがそのまま呪を唱えると、足元に魔法陣が展開して輝いた。するとその周りの空間が歪み始めていく。そして魔法陣がひときわ強い光を放ちその姿を飲み込んだ。
やがて光がおさまるとロドヴァイスの姿影も形も無く消えてしまった……。




