第60話
白い湯気が溢れるそこは、温泉のような広さの風呂場であった。
数人が同時に入れそうな湯船は、自然石が周囲を囲んでおり、そのひとつに設置された魔法道具らしき水晶球からはこんこんとお湯が涌き出ていた。
洗い場も広く、木製の手桶や椅子も用意されている。
そこに三人の人影があった。
サーシャ、アルエット、リンの三人だ。
もっとも背が高く、スラリとした肢体のサーシャは、それでいて女性らしい丸みと柔らかさを兼ね備えた美しい裸体を堂々とさらしていた。
手拭いを手に隠すそぶりすら見せない。
まだ若いリンは成熟しきっていない青い果実か花の蕾のように慎ましい体つきだが、手足も長く将来に期待が持てる。が、本人は堂々としたサーシャに気後れしてか体の前を広げた手拭いで隠しながらの登場だ。
最後に一番ちんちくりんなアルエットは、もう諦めきったように肩を落としうなだれながらやってくる。ポニーテールにしていた髪はおろして結い上げている。髪が長いため下に着いてしまうからだ。
こちらもサーシャと同じく隠そうともしない。
そして。
「……やっぱりアルちゃんのソレって大きいんだね……」
少し羨ましそうに呟くリンに、アルエットは「ほえ?」と彼女を見上げた。
そう、アルエットの女の象徴であるふたつの実りだ。
その大きさは、サーシャのそれと遜色無いものだ。
身長から言ってもアルエットはサーシャの胸元より下くらいにしかならない。いわゆる大人と子供くらいの差がある。
にも関わらずりっぱに自己主張するソレの大きさはほとんど変わらないのだ。
体の前を隠す手拭いが、女の実りとお腹の辺りで微妙な起伏しかないリンとは大違いである。
「リンはまだまだ育つ余地があるわよ? 悲観しないの」
そんなリンをサーシャがフォローする。
確かにリンはまだ十五才だ。
成長期はこれから。
人によってはいきなり育つ者もいるので、リンのふたつの実りが立派な果実となる可能性もゼロではないのだ。
まあそれはそれとして、三人は思い思いに体を洗い始める。
「……サーシャさん、肌綺麗ですよね? あ! サーシャさんって呼んでいいですか?」
泡だらけになりながら、リンは気さくにサーシャへ話しかける。
「構いませんよ? 私もリンと呼ばせて貰いますね?」
「はい!」
どうやらリンは人見知りしないようだ。
その会話に紛れるように、小柄な影が移動しようとする。
「……」
「逃げないで下さいアルエット。あなたがドワーフ族とは言っても入浴を嫌う理由にはならないでしょう?」
ピシャリと言われてアルエットは固まった。
「よくわかったね? あたし、もやしっ子だから人間の子供だってよく勘違いされるのに」
頭を掻きながらもとの位置に戻るアルエット。その受け答えに、リンが目を丸くした。
「えっ? アルちゃんってドワーフだったの?」
どうやらリンは気付いていなかったようだ。
しかし、もやしっ子と言う割りには体つきは普通である。
というか、血色も良く屋根から飛び降りたり、暴れたりと健康優良児といった方が良いくらいだ。
とはいえ、濃い褐色の肌が普通のドワーフよりは色白ではあるし、筋肉も少なめで手足は細い。
男女ともずんぐりとして頑健なドワーフ族として見れば確かにもやしっ子なのかもしれない。
「ほらちゃんと洗ってあげるからおとなしくなさい。あちこち煤だらけよ?」
そんなアルエットにサーシャは泡立てた手拭いを持って背後に回った。
「……あう。べつに石鹸なんて使わなくても濡れタオルで拭けば綺麗になるのに……」
観念しておとなしくしてはいるが、ぶちぶちと文句を垂れる。が、サーシャは気にした様子もない。
「肌の張りも良いし、器量も良いからちゃんとしてれば可愛くなるわよ? ねえリン?」
「そうだよアルちゃん。もったいないと思うよ?」
アルエットの背中を流しながら言うサーシャに、リンもうなずきながら自分の体の泡を落とす。
「……冒険者なのになんで綺麗にしようとするの? すぐ汚れちゃうじゃない」
「冒険者だからこそよ?」
アルエットの言葉に、サーシャは重く首を振った。
サーシャ……静香がこの世界で目を覚ましたとき、彼女は広大な平原の真ん中で寝転がっていた。
目を覚ましていなかったら肉食動物辺りに食われていたかもしれないと思うと体が震えたものだ。
近くに人里が無く、大平原をさ迷い歩いたサーシャ《静香》は、さんざん野宿させられて精神的にかなり疲弊したのだ。
食事は大量の保存食があったのでなんとかなった。睡眠などもだ。
だが、排泄と身体の汚れに関してはかなり抵抗感があった。
どちらも現実に生きている以上絶対について回る要素である。
排泄はある程度回数をこなせば慣れたが、汚れは慣れなかった。汗と垢でべとつき、襲ってきた魔物を倒した際の返り血などで汚れた時などは、静香の精神がガリガリと削られていったものだ。
神官の【浄化】という魔法で身を綺麗にすることに思い至るまでの三日間などは、女性としての色々なものを失った気分であった。
この事から解るように、冒険者の世界は基本的に汚れる事が当たり前の世界だ。だからこそ、清潔さを保つ努力を怠るわけにはいかないのだ。
特に年頃の女性として。
そんなサーシャの話を聞かされて、アルエットはぐったりとなり、リンはしきりに頷いていた。
「……それに、こんな綺麗な髪が煤まみれだなんて、同じ女として許せないわよ」
サーシャは結い上げてあったアルエットの髪をほどきながら言う。
ドワーフの髪は、基本的に太めで硬質だ。
柔らかさはあまり感じられないが、つややかでなめらかな髪質をしていることが多い。
実際、ドワーフは男女ともに自らの髭や髪は丁寧にブラッシングをし、油を塗るくらいしっかり手入れするのが普通だ。彼らにとっては髭や髪は自らの誇りに等しいものだからだ。
その点はアルエットも同じらしく、煤汚れを落とせば艶やかな長い髪が表れた。
髪に傷みもほとんど無く、彼女が髪の手入れだけは欠かしていない事が見てとれた。
「……やっぱりもったいないわ。髪の手入れをするならやっぱりお風呂が一番なのだから」
「うー。けどぉ……」
綺麗になった髪を見てなお、アルエットは渋る。
とはいえ葛藤が強い辺り、やはり髪を大事にしているようではある。
「……お風呂の何が嫌なのかしら?」
サーシャはストレートに聞いてみた。アルエットは髪の先をいじりながら笑わない?
と言ってくる。
サーシャとリンは、不思議そうな顔をして顔を見合わせてからしっかり頷いた。
「ほんとに?」
念押ししてくるドワーフ少女に若干困惑しながらも、ふたりはさらに頷く。
「ええ」
「笑わないよ?」
「ほんとにほんと?」
すがるように見上げてくるアルエットに、いよいよ困惑する。
「……笑わないわ。我が信仰を捧げる女神ギアに誓って」
「森と精霊の加護に誓って笑いません」
サーシャとリンは、それぞれ自らの信仰する神と、狩人の加護に誓うとまで宣言した。
それでもアルエットは、迷うように髪をくるくる回しながら口をつぐんでいた。
それでもとふたりが根気よく待っていると、アルエットが口を開いた。
「……あ、あのにぇっぷし!」
話し出そうとしたアルエットがくしゃみをして、サーシャとリンは思わず吹き出してしまった。




