第59話
冒険者街のメインストリートを、しばらく進むと、一風変わった店舗があることにサーシャは気付いた。
そこは、大きな歯車に、ハンマーとスパナが交差した看板を掲げた店だ。
「“真鍮の歯車亭”?」
看板にある名前を読みながらサーシャは少し首をかしげた。
~亭とあるくらいだから酒場かなにかかと思うが、看板の雰囲気は工具を扱う店のようにも見える。
建物は結構な大きさで屋根から伸びる煙突が太い。
何かの工房のようにも見える建物だ。
首を捻りながらサーシャが思案していると、ロンドが苦笑した。
「まあ首を捻るよな? これでもれっきとした冒険者の宿だよ。まあ宿屋兼酒場兼武具屋兼魔法道具屋って感じかな」
言われてサーシャは困惑した顔になった。
なんだ? その冒険者街を集めたような店は? と言いたげだ。
そんな彼女に見つめられて、ロンドは困ったような顔になった。
「あー。言いたいことは分かるよ。ちょっと珍妙な感じだもんな」
『失礼な。これでもちゃんと認可は受けてる冒険者の店なんですからね?』
ロンドの言葉に対して、頭の上から声が降ってきた。
一同が見上げると、ひとりの少女が真っ黒になった顔を煙突から覗かせながら彼らを見下ろしていた。
「アルちゃんなにやってるの?」
そんな少女へとリンが目を丸くしながら訊ねると、少女は煙突の縁に手を掛け、危なげなく出てきた。アルと呼ばれた少女は、そのまま屋根に降り立つとハンマーとスパナを合体させたような長柄の道具を肩に担いだ。
「よっ!」
「あっ?!」
そのまま屋根から足を踏み出し落下する少女を見てサーシャが声を挙げた。
が、少女はまるで羽毛か何かのようにふわふわとゆっくり降りてきた。
その様子を見て、サーシャはすぐにひとつの魔法に思い当たった。
「……【フォーリングコントロール】?」
落下制御の名前を持つ魔法だ。空が飛べるわけでも無ければ浮遊するわけでも無いこの魔法は、ただ落下速度を操れるだけだ。
それでも高所落下などの緊急事態に対処しやすくなるため、習得している冒険者はそれなりにいる。
それを、屋根から降りるためだけに使うのも珍しい。
「よっと」
ストン、と地面に降り立ったのは、小柄な少女だ。
身長は二と半アルク(約125センチメートル)くらいだろうか?
全体にコンパクトな体つきだが、手足は細すぎず太すぎず健康的な肉付きをしている。
胸元を押し上げるアンバランスなほど大きなふたつの果実も特徴的だ。
赤茶の髪を飾り気の無い紐まとめたポニーテールは地面に着くか着かないかほど長い。
クリッとした大きな茶色の目は生命力に溢れた光を宿し、サーシャを見上げている。
顔が真っ黒に汚れていなければ元気系の美少女で通るだろう。
おしむらくは身に付けた半袖半ズボン、大きな果実に押し上げられたエプロンは言うに及ばず、四肢から髪まですべて煤に汚れていることだ。
実にもったいない。
「あたしはアルエット。アルエット・シエラ。よろしくね♪」
にっこり笑ったアルエットに、サーシャは微笑み返した。
「……はじめまして。サーシャ・レクツァーノです。ところで、こちらにお風呂はありますか?」
「あるよー♪ あたしが作っ……ひゃっ?!」
アルエットの答えを聞いたサーシャは彼女の襟首を掴んで、ひょいと持ち上げた。
「ではすぐに洗いましょう」
「ちょっ!? あたしは猫の子じゃないよっ!?」
抗議の声を挙げるアルエットを半ば無視して、サーシャは真鍮の歯車亭に入っていった。
「いらっしゃ……何をしているんだ? アル」
「んにゃあっ?!」
カウンターから声を掛けてきた男は、アルエットの姿に半眼になった。その様子に小柄な少女は赤くなった。
それをそのままに、サーシャは店内を見回した。
向かって右側にカウンターがあり、その脇にはドア。
左側には丸テーブルが三つ置かれている。それぞれ椅子が六脚ずつ置かれているようなわりと大きめのテーブルだ。
奥にはさらにドアと二階への階段がある。
カウンターの精悍そうな男は三十代後半くらい。三アルクと半分(約175センチメートル)の身長に、絞り込まれた肢体を持つ、ある種芸術のように均整がとれた体つきをしている。
体幹がしっかりしていて姿勢が良いのもあるだろうが、静かな迫力があった。
「……お客さん。ここは食事処だ。汚れ物は持ち込まないでくれないか?」
「ヒドイよジェリコッ?!」
男の言葉にアルエットはガァーン?! という書き割りが幻視できるほどショックを受けた顔になった。
しかし、ジェリコと呼ばれた男は小さく肩をすくめて嘆息するだけだ。
その様子にサーシャが小さく笑った。
「ふふっ、仲が良いのね?」
「良くないよっ?!」
「……不本意だ」
サーシャの言葉に、ふたりは同時に突っ込みを入れた。
そんなふたりの息の合いように、サーシャはクスクス笑い始めてしまう。
それを聞いてアルエットはぐぬぬっとなり、ジェリコも顔をしかめた。
「……ン、ン。とりあえずだ。その汚れ物をどうするつもりだね? お嬢さん」
「サーシャよ? サーシャ・レクツァーノ。実はさっき街に着いたばかりなの。旅の垢を落としたいと思って。ついでにこれも洗ってあげるわ」
ジェリコの問いに、サーシャは笑いながら答えた。それを聞いてジェリコが眉を跳ねさせ、アルエットが顔を青くした。
「……ほお。ソレを洗ってくれるのか? なら風呂代はまけておこう。なにせソレの風呂嫌いは筋金入りだ」
ジェリコが満面の笑みを浮かべて言うとサーシャは一瞬目を丸くした。
危険を感じたアルエットは、放せーっとばかりに暴れるが、サーシャは小揺るぎもしない。
そのサーシャが、にっこり笑いながらアルエットを顔の高さまで持ち上げた。
「……それはそれは。ならば体の隅々まで、徹底的に洗わないといけないわねえ?」
「ひいっ?!」
顔は笑っているのに目は笑っていないサーシャに、アルエットは悲鳴を挙げる。
その様子にジェリコは満足そうに頷いた。
「ああ、徹底的にヤッてくれ」
「なんか発音が違うんですけどっ?! ていうかこの人怖っ!」
「大丈夫よ? 優しく丁寧に洗って挙げるから」
怯えるアルエットにサーシャは笑いながら言う。
その迫力にアルエットは背筋を震わせた。
「ひいっ?! ほ、ほんとに怖いよジェリコっ!? た、助け……」
「アル」
助けを求めるアルエットに、ジェリコは優しい笑みを浮かべた。それを見てアルエットは表情を明るくした。
が。
「普段の行動を鑑みるに、君は一度徹底的に痛い目を見るべきだ」
「見捨てる気ーっ?!」
バッサリ切り捨てられて再びショックを受ける。
すがるように入り口から覗き込むロンド達を見る。
「いや、すまん」
「無理だね」
右の手の平を立てて頭を下げるロンドに、苦笑するケイン。
アルエットはさらにリンを見た。
「リ、リン。あたし達……友達だよね?」
必死に訴えるアルエット。
リンは……笑顔を浮かべた。
「サーシャさん」
リンがサーシャを呼び止め、アルエットは救いの女神だ! とばかりに目を輝かせた。
「私もご一緒しても良いですか?」
「ええ、構わないわよ?」
「うらぎりものーっ!?」
冒険者通りに少女の声がこだました。




