第57話
「“大地母神ギアよ、その慈悲を以て彼の者達を癒やしたまえ”【ヒール】」
神への祈りを唱えたサーシャから、暖かい光が溢れ、ローブの青年を包み込んだ。
癒しの魔法だ。
「う? こ、これは?」
瀕死の重傷だった青年の傷は瞬く間に癒され、体には傷ひとつ無くなった。
死を覚悟していたようだった青年は、ポカンとしている。
そんな彼に、皮鎧の少女が泣きながら抱きついた。
「ケイン! よかった……よかったよぉ……」
「ケイン、なんとも無いのか?」
「あ、ああ大丈夫だよ。ロンド、リン」
長剣を腰に差した男、ロンドに訊ねられ、ケインは頷いた。
リンは未だに泣きじゃくっている。
その様子を見て、サーシャは優しい微笑みを浮かべた。
「しかしすさまじい回復力だったな」
街道をゆっくり進む馬車の傍を歩きながらロンドが言う。
幌の無い馬車の荷台には、いくらかの荷物と、御者をしているムロトの妻ハンナと息子のローガン。そして短弓を背負ったリンの姿がある。
ローブ姿の青年ケインは、先ほどの怪我のこともあるので、御者台。
最後にサーシャはロンドとは馬車を挟んで反対側を歩いていた。
「そうかしら? きっとたまたまよ」
ロンドの言葉にサーシャは曖昧に笑う。
馬車は中央平原の大都市“ローデン”を目指していた。行商人だったムロトは商売に成功し、一念発起してローデンに店を持った。
生まれ育った村に妻と子を迎えに行き、たまたまゴブリン退治を終えたロンドの一行に帰りがてらの護衛をお願いして同道しているのだという。
その道中にて、盗賊に襲われたらしい。
「それにしても平原で盗賊なんて珍しいわね?」
サーシャが言うとロンドが頷いた。
「ああ。見通しも良いから待ち伏せにも向かないしな。だから、草むらから唐突に姿を表した時は肝を潰したよ」
「……ごめん。あたしが気づかなかったから……」
ロンドの言葉を聞いてリンがシュンとなった。
盗賊である彼女が警戒役だ。それが奇襲に気づけなければ、役割を果たせていないようなものだ。
落ち込むリンの姿にロンドは、しまったと顔をしかめた。
「あれは仕方ないかと思いますよ? リン。恐らくあれは魔法だ」
慰めるようにケインが言う。
ローブ姿の彼は見たまま魔術師だ。その彼が言うならそうなのだろう。
しかし、とサーシャは首をかしげる。
「あの連中に魔法の心得がありそうな者は見当たりませんでしけど……」
「ええ、それが問題なんです」
サーシャの疑問にうなずいたケインの表情は真剣だ。
サーシャはわずかに目を細めた。
「というと?」
「いま、ローデンでは魔法道具を使った犯罪が増えているんですよ」
サーシャに答えたケインの顔は苦々しいものだ。
魔法道具の販売は厳しい審査を経た資格を必要とする。
魔法道具は犯罪に利用できるものも少なくない。
そういったものを安易に取り扱わないようにするための配慮だ。
買う側も冒険者と軍隊、一部の貴族に限定されていおり、それらが奪われでもしない限りは犯罪に結び付かない。
盗賊ギルドも国との折り合いがあるため、やりすぎは容認できない。
場合によっては街の裏を仕切る盗賊ギルドに制裁されかねないこともあるため、なかなか犯罪に使うものは少ないのが普通だ。
しかし、これが増えているということは、盗賊ギルドによる抑制が効いていない事になる。
街の裏を牛耳るはずの盗賊ギルドの力が弱っているのか、はたまたそれを掻い潜っているのか?
どちらにしても街にとっても国にとっても良いことではない。
ローデンのように人間が多く集まれば犯罪も増える。これが行きすぎないようにコントロールしているのが盗賊ギルドでもあるのだ。
国が盗賊ギルドの存在に寛容であるのは、犯罪の数を制御出来るからだ。
だから国とギルドは協力関係にあることも少なくない。
もっとも、治安が行き届いている国などでは、盗賊ギルドの力は小さく、国から軽視されていることもある。
しかし、ローデンが所属する中央平原の大国アルガ連合は、連合国家ゆえに治安は並みだ。
それでも街道に盗賊集団が現れることは滅多にないはずだ。
サーシャは、きな臭さを感じて正面を睨んだ。
街道の先に、長い城壁が見えてきていた。
中央平原の城塞都市“ローデン”だ。
人口は十万を越える大都市で、アルガ連合に参加する都市国家のひとつだ。
アルガ連合には大小合わせて三十以上の都市国家や小国が参加しているが、ローデンはその中でも下手な小国より大きいトップクラスの規模を誇る都市国家だ。
連合内でも発言権は強い。
治安もそこそこ行き届いているし、なにより交易で発展した街だけあって魔法道具の取り扱いには厳しいことで知られている。
そんな都市国家で魔法道具による犯罪が増えている。
「……いったい、何が起きてるのかしら?」
サーシャは周りに聞こえないように呟いた。




