第56話
「ん?」
空を見上げていたサーシャは、不意に聞こえてきた音に耳を澄ました。
剣戟の音だ。目を細めながら向こうを見れば、一台の馬車が止まっており、数人の人影が見える。
「ん~? トラブルかしらね?」
呟きながら駆け出した。
ほとんど全身を覆う白銀の鎧の重さを感じさせないほど軽やかな走りだ。
さらに。
「“神の祝福において、その身は大地を駆ける”【グランドスライダー】!」
呪を紡いで神の奇跡を祈る。と、彼女の身体が加速した。
良く見れば、その足元の土が滑るように移動している。
大地神ギアの神聖固有魔法だ。
こと地を操ることにかけては、魔導師などよりもギアを信仰する神官の方が上だと言われるゆえんだ。 走るより早くいさかいの場に着いたサーシャは、ざっと見て状況を把握する。
馬車の方には御者席に男がおり、荷台には女性と男の子の姿。その正面に冒険者風の男が一人、剣を手にして五人ほどを相手に立ち回っている。
どうやら盗賊のようだ。
周りにはさらに四人の盗賊が倒れ伏し、こちら側には血を流すローブ姿の青年を抱えた皮鎧の少女の姿。
サーシャは、そのまま馬車の方へと声を掛けた。
「助けは要りますか?」
「頼みます!」
御者をしている男から即座に返事があった。
サーシャは素早く御者席に上がると、盾を持った左手を振るった。御者をしている男が驚く向こうに現れた盗賊の顔面に、盾の先端が叩き込まれる。
「ごがっ?!」
それは見事に盗賊の口中へと吸い込まれ、彼の歯を砕き折りながら吹き飛ばした。
「ごびゃっ?!」
盗賊は地面に転がり、口から血を巻き散らしながらのたうち回った。
サーシャは御者台からすぐに飛び降り、盗賊の顔面を銀色のレガースを履いた足で蹴り抜いて意識を刈り取ると、すぐさまとって返して五人相手に立ち回る冒険者の元へと走った。
「助勢します!」
「助かる!」
サーシャは銀色の長剣を引き抜いて中央に大きなサファイアを嵌め込んだ盾を構えた。
盗賊はサーシャが加勢に来たことに驚いたものの、すぐさまその顔が下卑たものに変わった。
銀色の鎧甲冑に身を包んだ女神官は、彼らにとって上等な獲物に見えたようだ。
そしてその顔は、サーシャ《静香》がもっとも嫌いな顔だった。
「……下品な。その顔をまともに見られるように矯正してあげましょう」
「ハッ! やってみな!」
サーシャが吐き捨てるように言うと、盗賊の一人が素早く切り込んできた。
盗賊達の装備は軽い皮鎧に短剣や小剣のような小回りの利く武器だ。
素早い立ち回りで、相手を翻弄し、ダメージを与えていくのが彼らの戦法である。
その刃は、サーシャの鎧の継ぎ目を正確に狙っていた。
だが、サーシャはその軌跡を完全に把握していた。
突き出された小剣の切っ先が、固い音を立てて弾かれた。
サーシャが盾で弾いたのだ。
「ちぃっ!」
盗賊は舌打ちをして、左手から小袋を投てきした。
目潰しだ。
同時に踏み込んで小剣を振るう。
が、目潰しの入った小袋は盾ではたき落とされた。のみならず、その盾の軌跡が小剣を阻んだ。
「んなっ?!」
盗賊は思わず声を挙げた。
その隙を逃さず、サーシャが踏み込んだ。
銀色の剣が閃く。
盗賊はそれをするりと避けた。
しかし、その先にサファイアの輝きがあって、盗賊は顔をひきつらせた。
サーシャの盾にぶつかった盗賊は、まるでバッファローか何かに跳ねられたように宙を舞った。
『……は?』
他の盗賊も冒険者も、一様に目を丸くした。
無理もない。剣を躱した盗賊が盾にぶつかった瞬間、彼の身体が歯ね飛んだのだから。
その盗賊の体は、きりもみをしながら優に四メルク(約八メートル)は先に落ちた。
意味が分からない。
他の盗賊と冒険者、そして馬車にいる者達すべてが似たような顔をしていた。
サーシャはそのまま別の盗賊に向かって滑るように移動する。
「え?」
アッパースイングで振るわれた盾が盗賊の顎を砕き、彼の体は勢いのまま一回転して地面に落ちた。
「やろうっ!」
「てめえっ!」
仲間がやられて我に返ったふたりが、サーシャを左右から挟み込むように切りかかった。
が、サーシャは左の盗賊へと躊躇無く踏み込んだ。
彼の目の前に盾が広がる。
「ヒッ?!」
思わず悲鳴を漏らした彼の顔面ごと、その身体が盾に激突。
彼は自分の身体が軋みをあげて砕けるのを感じながら吹き飛んだ。
そして攻撃を空かされたもう一人が、一旦距離を取ろうとバックステップ。
サーシャはすばやく振り向いてその盗賊へと鋭く接近する。
「ちいっ!」
盗賊は牽制するように小剣を振るいながら着地する。
その足が払われた。
身を屈めたサーシャがそのまま左腕を振るい、盾で彼の足を刈ったのだ。
「ぐっ?! ぐあぁぁぁあっ?! あ、足があぁっ!?」
盗賊は絶叫しながら地面を転がった。
見れば盾で払われた彼の足は向いてはいけない方向を向いていた。
残るひとりは唖然となっていた。
犠牲は出ていたが、護衛の冒険者をもうちょっとで排除できるはずだった。
六対一に等しい状況で、馬車の確保に一人を走らせ、完全に詰んだはずだった。
だが、たったひとり。
たったひとりの神官戦士によって、瞬く間に仲間が打ち倒されてしまった。
信じられない強さである。
しかしながら、この結果はサーシャ《静香》には見えていたものだ。
サーシャのレベルは33。
対して盗賊達は2~3レベル程度だ。負ける要素などほとんど無い。
馬車を護衛していた冒険者は、全員初心者のようであるから、盗賊達にはくみしやすかったのだろうが、冒険者としてもベテランである彼女には通用しない。
しかも、盗賊は誰も死んでおらず、完全に無力化されていた。
「……まだやりますか?」
長剣を向け、静かに訊ねてくるサーシャに、残った盗賊は武器を落として降参した。




