第55話
(ごぅあぁぁぁああっっ?!)
オルケスは両手で顔を押さえながらのけ反り、異空間の奥へと後退していく。
それを見ながら、スノウは裂け目から落ちていった。
そこへ下から掬い上げるようにして幻剣が飛翔し、彼女は危なげなくその背に着地した。
彼女の蒼い瞳が、裂け目の奥で悶える魔神を見た。
魔神は、そんなスノウを忌々しげに見やる。
そして、裂け目が徐々に閉じ始めた。
(……エルフの将よ。いまだすべての力が戻らぬとはいえ、この我を退けるとは見事な力よ。だが、忘れるな? 貴様はこの我を敵に回したのだということを)
そう告げながら魔神は手を退けると、顔に交叉した傷跡と、顔の左半分を抉ったかのような傷を晒した。
(この傷は残そうぞ? 悠久を生きるエルフの将に後れをとった証として。汝を忘れぬためにな。ぐっぐっぐっ……)
不適に笑うオルケスに、スノウは答えない。
そして、魔神の笑い声をせき止めるように、裂け目はゆっくりと閉じた。
それを見つめていたスノウは、裂け目が完全に閉じたのを確認すると、安堵の息を吐いた。
「……はあ。なんとか……なったあ……」
緊張を解いた主に応えるように、彼女を乗せた幻剣が、ゆっくりと降下していき、カレン達の傍に着陸した。
「……お疲れさまですスノウ」
「うん、カレンもお疲れ」
声を掛けてきたカレンにスノウが応えた。腐食ガスはオルケスが去ると同時に消えてしまっていた。
「なんとかなるもんだなあ」
「追い払っただけですけどね」
ぼやくようなガラムの言葉に、ミルが嘆息しながら応じる。
見れば四人とも装備がボロボロだ。
ケットシーのミルは特注の布製鎧。それが擦り切れてしまい、穴が空いている。
ガラムのミスリル製の鎧も、魔神の一撃を受け止めたせいか所々ひしゃげていた。
魔法銀とまで言われるミスリルで造られた鎧は頑丈なはずだが、それがこうまで破損する辺りは、さすがに魔の神ということだろう。
カレンもまた、纏ったローブや軽装の皮鎧がボロボロだ。
ゴブリンの斧を受けたりしたのだから当然だろう。
スノウのヘスペリアの戦鎧もダメージを受けているが、こちらは時間さえあれば自己修復するタイプの鎧だ。
武器もフィアフェアリーか幻剣を使用するため問題ない。
カレンの銃杖は攻撃を受け止めたりした結果傷だらけになっていたが、使用に問題はなさそうだ。
それより、ミルは手持ちのミスリルワイヤーをすべて引きちぎられてしまい使えなくなっていた。
ガラムの折り畳み式ハルバードなどは完全にひん曲がり、折り畳み機構部が壊れてしまっている。
肉体的なダメージは、ガラムの回復魔法で治せるが、装備はそう簡単にはいかない。
錬金術師が居ればその限りではないが、現状仲間にいないのでどうしようもなかった。
しかしそんな状態であっても、もう一度遺跡を抜けて外に出るのは容易かった。
罠の類いはミルが発見解除していくし、魔物はほとんど残っていなかった。
こうして、蒼き道程の初仕事は、無事成功したのだった。
『ありがとう、我が友よ。しかし、魔神復活とは恐ろしい事を考える輩が居たものだ』
「まったくです」
遺跡を脱したスノウ達の一行は、まず樹精の元を訪れた。まずは彼への報告からだ。
森に蔓延していた嫌な気配も霧散し、樹精も動物たちも大層喜んだ。
様々な動物たちが、スノウ達に会釈し、森へと駆けて行く。
それを見送ってから、スノウは事の顛末を樹精に話した。
「裂け目は閉じましたし、もう大丈夫だと思うけど、遺跡はそのままだから気を付けてくださいね?」
『うむ。あの遺跡には儂が封を施すとしよう』
スノウの忠告にうなずいて、樹精はそう告げた。
ならば安心か。と、スノウは胸を撫で下ろす。
森の主たる樹精は、その森の規模により強さが変わる。
森と供に成長していくからだ。
この森の規模や、樹齢からいっても、彼の強さはこの辺りでは破格だろう。
そんな樹精が施す封印ならば早々破られることは無い。
「お願いします。私たちはもう行きますね? さらわれていた人たちの事もありますし」
言いながらスノウは後ろを見た。
そこには二十人もの若い女性たちが集まってガラムの神聖魔法によって癒しを受けていた。
遺跡を脱出した彼女達はネズミのラーシュの案内でこの結界へとたどり着いたのだ。
ちなみに、遺跡の仕掛けはラーシュが解除したらしい。
器用なネズミである。
彼女達は身体的な消耗もだが、特に精神的な消耗がひどい。
心に安息をもたらす魔法を使いながらガラムがカレンと供にケアしている。
神官であるガラムはその辺りを心得ているようで、かれのまわりに集まった女性達は落ち着きを見せていた。
と。
『うむ……。おおそうだ! 儂からのお礼の品を受け取ってく』
「え?」
樹精の突然の言葉にスノウは驚いて彼を見た。
樹精が体を震わせると、立派に伸びた枝の先の葉の群れがざわめいた。
そして、四枚の葉がスノウの手元に舞い降りてきた。
「これは?」
『うむ。森の力を凝縮した葉だ。お守りとして持っておきなさい。きっと役に立つ』
優しく言う樹精に感謝の言葉を告げ、スノウはその葉を大事そうに仕舞った。
そして、樹精と動物達に見送られ、スノウ達は女性達を護衛しつつカルメルの村への帰途についた。
『ハンナ?! ハンナ~っ!』
『母さん!』
『ビクター!』
『エレナっ?! 良かった! 無事でっ!』
村に帰ってきた一行を迎えたのは、拐われた女性達の家族や恋人など親しい人たちだった。
だが、それ以外の女性が多く居ることに気付いた者は、あわてて村長を呼びにいった。
「こ、これはいったい?」
そうしてやって来た村長は、目を丸くしていた。
「どうやら他にも拐われていた人が居たみたいです。行方不明の人は居ますか?」
スノウの言葉に、村長は頷いた。
どうやら行方不明だった女性も含まれていたようだ。
それを見てスノウは小さく安堵の息を漏らす。
村長は女性達を見て思案する。
「……うーむ。もしかすると近隣の村でやられているところもあるかもしれん。早馬を出すとしよう」
「そうしてください。それからギルドへも連絡を。報告もしなくちゃいけませんから」
村長の案にうなずく。
それからスノウ達は尊重に子細を話すことにした。
これを聞いた村長が、さらにしばらく村にとどまって欲しいと追加依頼をし、事後処理を含めてスノウ達は一週間ほどカルメルの村に逗留することになった。
一週間後。
ギルドから派遣されてきた別の冒険者グループに引き継いで、スノウ達は帰途に着いた。
報酬は追加分や、ギルドからの報奨を含めてラ・エルサ金貨五十枚(約五千万円)にもなった。
街へ戻ったら装備の修理や消耗品の補充に充てることになるが、冒険者にとっては命に直結する事だ。おろそかにすべきではない。
「……こんなんで異界の邪神なんて倒せるのかな?」
街への道を歩きながら、スノウは小さく漏らす。
今回戦ったオルケスは、この世界の魔神だ。由紀恵がスノウに頼まれた異界の邪神ではない。
それでも力などまるで戻っていない半分封じられているヤツだ。
そんな相手でも、追い返すのがやっとだ。
完全な状態の邪神と戦って倒すなどとても出来そうにない。
「どうした? スノウ」
ドワーフの少年が寄ってきて見上げながら訊ねてくる。彼は今、武器も防具も分解してずた袋に押し込んで担いでいた。
クラフターである彼も、設備と材料が無ければ、さすがにミスリルの鎧を修復などできない。
かえって動きを妨げるようになった鎧は装備していられないし、ハルバードも完全に壊れて使い物にならないのだから仕方ないだろう。
お陰でガラムは、村にあった古い鎖かたびらと薪を割るための斧を買い取って身に付けている。
「……鎧、直りそう?」
スノウは誤魔化すようにしてガラムに訊ねた。
彼はずた袋を担ぎ直しながら頷いた。
「それなりに時間は掛かるがなんとかなるさ。けど、急いで仲間を探すんだろ? 金も入ったし、新しい防具を買ってすぐに出発しても……」
「ううん。取っ掛かりもないし、地道に情報を収集してから行くつもり。だから修理を優先しても構わないよ?」
「……わかった。完全に修復するよ」
スノウの言葉に、ガラムはわずかに目を細めてから頷いた。
スノウは空を見上げる。
仲間を探すだけではない。邪神についても調べなければならない。
正面からぶつかって、力押しで勝てるような相手ではないだろうことは、容易に想像できる。
なにか勝つための方策を練らねばならないだろう。
しかし、相談できる人が居ないのがもどかしい。
「……静姉、元気かなぁ……」
蒼穹の探索者の中で一番頼りになる幼なじみの姉貴分を思い、スノウは嘆息した。
だだっ広い草原を貫くような道を、ひとりの女騎士が歩いていた。
と、彼女は足を止め、空を仰いだ。
「ん? 今ユキちゃんの声がしたような?」
長くて癖のあるブラウンヘアーが風に揺れ、碧玉のような眼が細められた。胸元で聖印が揺れる。
女聖騎士、サーシャ・レクツァーノ。
スノウ《由紀恵》の姉貴分でもあるサーシャ《静香》は、アムルディア大陸中央部をさまよっていた。




