第52話
「……なに? あれ」
立ち上がったそれを見て、スノウは顔をしかめた。
表面に光沢のある、コールタールのようなそれは、まるで人間のでき損ないのようないびつな人型となっていた。ある種、強い嫌悪を呼び起こされる外見だ。そんなでき損ないの人形の群れが、スノウ達に向けて足を踏み出し始めた。
そこへ炎の弾丸が襲いかかった。銃杖を二本構えたカレンが魔法の炎弾を撃ち込んだのだ。
最初期の基本的な攻撃魔法ではあるが、カレンのようにレベルが高ければ、高い魔力や魔法強化スキル、装備している魔法道具の効果によって、その威力は数倍から十数倍にもなる。
しかし。
「えっ?」
異形なる人型は、頭とおぼしき部位からグニャリと広がり、その攻撃魔法を飲み込んでしまった。
「……魔法を……食った?」
呆然と呟くカレンを尻目に、コールタール人形がさらに立ち上がり、進み始める。
その数は数十体にもなった。
「シャッ!」
よたよたと歩くそれに、ミルが牽制するようにワイヤーを投じた。
それが絡まると、人形は豆腐を糸で切るより容易く切り刻まれてしまった。
「……物理攻撃は有効みたいですね」
拍子抜けしたようにミルが呟き、ワイヤーを回収する。
カレンは少し思案してから、人形どもの頭を越えるようにして、スパイラルストームフレアをオルケスの腕に撃ち込んだ。
螺旋状に逆巻く炎嵐の槍が、魔神の腕を貫かんと飛翔する。
しかし。
「なっ?!」
コールタール人形はその体をみょーんと伸ばしながら大口を開けてスパイラルストームフレアを飲み込んでしまった。
どうやら防御貫通効果も無意味のようだ。
その様子を見て、スノウは眉を寄せた。
「……取り巻きはカバー役か。オルケスの腕は魔法に弱いけど、カバー役は魔法を無効化できる」
ぶつぶつと呟きながら、スノウ……由紀恵はオルケスの戦術を考察する。
こう見えて由紀恵も四年は濃いアナログゲーム環境に身を置いていたのだ。ゲーマーとしての分析力もそれなりにある。
が、人形達は考える時間を与えまいと足を早めて進撃し始めた。 おそらくだが取り巻きが沸いた時点で集団戦扱いになっただろう。この場での蒼穹の道程メンバーは全員集団戦ペナルティーを受けることになる。
そうなれば、取り巻きに袋叩きにされ、オルケスの腕の攻撃を受けることになるのは明白だ。
「ならっ!」
スノウは砂嵐の魔剣を翠の魔剣と黄の魔剣に分離し、詠唱に入った。
「“我が眼前に在るは虚ろなる現実にして幻実”」
スノウの足元に魔法陣が展開した。フィアフェアリーも四本とも姿を顕し、それを支える。
「“我が意を込めたりて、我が紡ぐは無数の剣群にして剣軍”」
膨れ上がる魔力と共に、エルフの少女の周囲にゆらゆらとした幻像がいくつも浮かび上がり始めた。
「“虚と実と幻を織り、我はここに我が軍勢を想像せん”」
」
それらは、剣の姿をかたどって、次々に顕現していく。
「“夢幻なる剣の軍勢”」
そして、スノウに従う剣の軍勢が、その偉容を露にした。
スノウの最大級とも言える幻影の剣軍だ。
さらに【マテリアライズイリュージョン】で実体を持たせると、即座に突撃を指示する。
「行けっ!」
将の命に従い、剣の兵士達がその切っ先を敵軍へ向け、飛翔する。
コールタール人形達はそれを迎え撃たんと大きく口を広げた。
ふたつの軍勢が激突。その衝撃に広間の空気が揺れた。
そして、コールタール人形達が貫かれていく。
魔法攻撃として吸収しようとした人形達は、無防備に剣の群れにその身をさらしたのだ。
だが、“夢幻なる剣の軍勢”は魔法攻撃でありながらも、【マテリアライズイリュージョン】の効果により、物理攻撃として扱われる。であるがゆえに、魔法を吸収する人形達はスノウの軍勢の攻撃を吸収できず、次々に打ち倒されてしまった。
「よしっ!」
その様子を見たガラムが快采を挙げ、スノウが笑みをこぼした。
さらにカレンは次の魔法攻撃を用意し始める。
だが。
(おのれいっ!)
それを見たオルケスが怒りを露にし、裂け目より突き出している左腕を大きく振り上げた。
スノウ達は思わず身構える。
勢いよく振り降ろされたそれは、エルフの将を狙った。
それを余裕を以て避けるべく、スノウはステップを踏んだ。
が。
「きゃっ?!」
避けようとした足が石畳を突っ掛けてしまい、少女は転んでしまう。
尻餅を着きながら、スノウは愕然となった。
普段なら絶対にあり得ない失敗だ。
この事に、由紀恵は思い当たるものがあった。
絶対失敗である。
アールシア戦記TRPGはダイスを振って成功か失敗を決めるルールだ。
その中で、ダイスの目がすべて一の出目であった場合、合計の値が目標を越えていても必ず失敗し、最悪の結果をもたらすのが絶対失敗と言うルールだ。
逆に六の出目が二つ以上なら完全成功といって、その判定は必ず成功となり、普通より良い結果になる。
出る確率は低いが、レベルが高くても失敗する可能性が常にあることが、プレイヤーに緊張感を与え、レベルが低くても成功の可能性があることが、小さな希望を産み出す。出目に一喜一憂するという、偶然が産み出す演出というTRPG独特の盛り上がりを作り出すルールだ。
それが今回は絶対失敗と言う形でスノウのピンチを演出したわけだ。
「くっ!」
顔をしかめたスノウ《由紀恵》は、とっさに動けず、迫り来る巨大な手を見上げた。
「スノウっ?!」
カレンが悲鳴をあげ、ミルが目を見開いた。
その威力がどれ程かはわからないが、ただでは済まないだろうことが、由紀恵には感じられた。
様々な思いが、彼女の脳裏をかすめ、走り去っていく。
そして……エルフの少女の華奢な身体が、魔神の巨大な手によって叩き潰された。




