第5話
「……はあ」
スノウ《由紀恵》は大きく息を吐き出し周りを見回した。
周囲には生きたギルマンの姿はなかった。横に居たはずの青いハイギルマンも逃げ出したらしく、その姿もない。
と、足元を見ると絶命した赤いハイギルマンの近くに、光沢の無い黒い石が落ちていた。
“魔石”。
アールシア世界の生物が死んだ際に生成される魂の残滓と言われる石だ。
その種族を守護する神によって異なる色の宝石となるが、このギルマン族は、魔に属する存在。
その魔石は光沢を持たない黒い石となる。
もし、スノウ《由紀恵》が死ねば、エルフを創ったと言われる常緑神ヘスペリアにちなんだエメラルドグリーンの宝石が現れるだろう。
「……!」
そうして、あちこちに転がる魔石を見た由紀恵は、自身が奪ったものに思い当たったようだった。
一瞬、体をくの字に折りかける。
「……うっ」
青い顔は吐き気を覚えたせいだろうが、ギルマンの姿が魚そのものに近いせいか、そう強いものではなかったようで、彼女は堪えた。
と、スノウ《由紀恵》は手にした剣を見下ろした。二本のそれからわずかな振動を感じたのだ。
「“フィアフェアリーシスターズ”? 慰めてくれるの?」
スノウ《由紀恵》は少し嬉しくなって笑みを浮かべた。この四本一組の魔剣は、アーティファクトだ。
アーティファクトとは古代の強大な魔術師、あるいは神々が創ったとされる強力な力を持つ魔法具だ。
アールシア戦記TRPGでは、体力や肉体の耐久性を総合的に表すHPが0になると、戦闘不能状態という無防備な状態になる。
この状態で殺意を込めた攻撃を受けた場合、“トドメを刺された”として死亡が確定するのだ。
そしてキャラクターが死んだ場合、基本的に生き返らせることは出来ない。
戦闘不能から復帰する魔法等は存在するが、一般的なコンシューマゲームやTRPGのような蘇生の魔法など存在しないのだ。
だが、強力なアーティファクトならばそれを可能とするものがある。
まさに神の奇跡すら呼び起こせるのがアーティファクトなのだ。
スノウの所持するこの四姉妹の剣は、そのアーティファクトに分類される。
しかし、その力は失われている。今は少し切れ味が良く、その剣身を風や水そのものに変じ、即座に装備できる程度のものでしかない。
はっきり言えば、一般的な高位魔法具の剣の方が遥かに強力だ。
しかし、それ以上に、由紀恵にとってこの四本は思い出深いものだ。
それは、まだ由紀恵が中学生だった頃の事。
兄に誘われて始めたばかりのTRPGで、由紀恵はアドバイスを貰いつつ右往左往しながらスノウというエルフの剣士を創造した。
そして、駆け出しの冒険者としておっかなびっくり冒険し、先ほどの雑魚ギルマン相手にすら恥も外聞も無く逃げ出していたような頃の事。
冒険の中で、スノウは仲間達と妖精の四姉妹を助けたことがあった。
彼女達は、そのシナリオのみのゲストキャラのはずだったが、プレイヤー達がノリと勢いでキャラ立てと設定を作りはじめてしまい、ついにはスノウ達を手助けしてくれるNPCとして独立し、彼女達の旅に同行するようになった。
いたずらっ子な末っ子、フィー。
泣き虫な三女、ティーネ。
のんびり屋の次女、ノン。
元気な長女、サラ。
四姉妹との旅と冒険に、由紀恵は目を輝かせた。
だが。
ロングキャンペーン終盤。スノウ達が、荒れ狂う“狂乱の大精霊”を鎮める冒険の中で、スノウは取り返しのつかない失敗をした。
そして、大精霊を鎮めるため、妖精の四姉妹は自らを犠牲にした。
そう、妖精達は死んでしまったのだ。
シナリオ終了後、由紀恵は兄に詰め寄った。
やり直させてほしいと。
しかし、兄は首を振った。
「……人生にやり直しが利かないように、TRPGもやり直しはできない。TRPGはコンピュータゲームのようにセーブしたりリセットしたりしても同じ話にはならない。プレイヤー達が積み重ねたその一瞬一瞬が、TRPGの、君たちプレイヤーの物語になるんだからね」
その言葉に由紀恵はうつむいた。あふれてくる涙は止められなかった。
その死に号泣してしまうほどに、由紀恵は妖精姉妹達に感情移入していたのだ。
兄の同級生であり、卓ゲ仲間の立花 静香がケアしてくれなかったらTRPG自体やめてしまっていたかもしれない。
しかし彼女はやめなかった。ただの物語。想像の産物とはいえ、妖精達が命を懸けてまで狂える精霊を鎮めてくれたのだ。その想いを無にしたくない。
その一念で、彼女達の魔石をお守りにロングキャンペーンを走り抜け、アールシア世界の危機を救った英雄となった。
そんな四姉妹との再会は、爵位を持つ貴族級の魔族達との戦いを繰り広げた第二のロングキャンペーンの最中だ。
ダンジョンで見つけた四大精霊の剣というアーティファクト。キーアイテムでもあったこれは、しかし、当時のスノウ達には制御しきれないものだった。
だが、パーティが全滅の危機に瀕したとき、スノウがお守りがわりにしていた四妖精姉妹の魔石が光輝き、四大精霊の剣に融合したのだ。
アーティファクトの剣は、狂える精霊を鎮めた四妖精の魂の残滓と混ざり合い、四本の魔剣となり、スノウ達を救った。
それ以来、由紀恵はこの魔剣をスノウのメイン装備にしている。第二ロングキャンペーンでの決戦で、その真の力を使い尽くし力の大半を失った今も。
そんなスノウの冒険の歴史に匹敵するほど長い付き合いの魔剣、そして、その魔剣になった妖精姉妹の意思を感じて、スノウ《由紀恵》は残りの魔剣も呼び出し、四振りをいっぺんに抱き締めた。
溢れた涙が頬を伝い魔剣の刃に降り注いだ。