第45話
大広間の魔物はひしめき合っており、いかに透明化していても実体がある以上は気付かれる可能性が高い。
それでも広間の外周に沿って玉座へと近づく道を選んだのは、オークロードの座す側に、拐われた女性が見えたからだ。
探索中のミルへと翠の魔剣の風に女性達の所在の言葉を乗せて送り出し、三人は気付かれぬように足を進めていく。
「……さすがにこの数を相手取るのは手間だしね」
広間で飲み、喰らう下品な魔物共の姿に、スノウは小さくため息をついた。
体育館ほどの広さにひしめき合っている亜人タイプ魔物は、どう少なく見積もっても二百体はいる。
十中八九集団戦扱いだ。
強敵三人も部隊を率いて集団戦で挑んでくるだろう。
となれば幻影で剣軍を作り出せるスノウはともかく、ガラムとカレンはもろに集団戦ペナルティを受けるはずだ。
しかも、近接距離からスタートになるため即接敵状態になるはずである。
接敵状態はアールシア戦記TRPGの戦闘ルールに存在するキャラクターの状態を表す言葉で、この状態のキャラクターは敵あるいは味方、もしくはその両方と白兵戦が行える程近い距離に集まった状態を指す。
基本的にこの状態のキャラクターは自分と接敵状態の相手に、射撃攻撃が行えない。
集団戦ペナルティは、攻撃の命中回避を含むあらゆる判定や被ダメージ、与ダメージにも大きな修正がかかるので単独のキャラクターが敵部隊と接敵状態のままでいるのは危険だ。
また、この接敵状態を解消するには、移動により距離を取れば良いが、その為に判定を行って接敵状態から離脱し、状態を解消しなければならない。
判定に用いる数値は行動力と呼ばれる、どれだけ早く動けるかを示す数値同士で行われる。
カレンやガラムのような魔法系クラスはこれがあまり高くならない。
しかもガラムは前衛の為、ミスリル銀製の鎧を着込んでいる。いかにミスリルとはいえ、板金の鎧を装備して素早く動くのは無理だ。
さらに集団戦ペナルティは、この判定にも適用される。
つまり、カレンとガラムは優勢な敵に接敵されたら逃げられないのだ。
そうなれば、パーティ全滅の可能性が高まる。
やろうと思えばスノウひとりでも犠牲を省みなければ殲滅できるかもしれないが、強敵三人にこの数となれば、敗北する公算の方が高いだろう。
アールシア戦記TRPGは戦記物であるがゆえに集団対単独なら、集団側に有利なゲームとなっている。
無論、高レベルのスノウなら、そのペナルティを受けつつも敵を薙ぎ払っていく“無双プレイ”といわれるゲームの進め方も可能だが、結局人質もなんとかしなければ最終的に詰むだけだ。
ここは慎重に進まねばならない。
三人は魔物共に気付かれぬようゆっくりと気を付けて進んでいった。
「で? 儀式はいつ頃になるんだ? ガルボのダンナ」
壁に寄りかかりながらゼロンが訊ねれば、オークの王は弛んだ頬肉を揺らしながら彼を見た。
「うむ。近日中には行えそうだ。頭数は揃えたからのう。まあ、今の状態でもやれんことはないが、供物が足りねば我らが神、魔神オルケス様はお怒りになるだろう。難しいところだ」
「うへぇ。魔神の怒りを買うとか勘弁だぜ……」
「……」
ゼロンが軽くあごを掻きながらぼやき、ゲハルトは微動だにせず立つ。
だが、ガルボは気にした様子も無く口の端を吊り上げた。
「……ともあれ、うまくいけば七狂王の中でのワシの発言力は高まる。お主らの主たる二人の狂王にも益があるだろう。がはっがはっがはっ」
「……へっ」
「……」
得意そうなオークの王に、ゼロンは肩をすくめた。
そしてゲハルトは身じろぎひとつせず、まるで彫像のように立っている。
と、ゼロンが訝しげな顔になり、周りを見回した。そんなフォールンエルフに気づいて、ガルボが肉厚のまぶたを震わせながら彼に声を掛けた。
「……どうした? ゼロン」
「……ダンナぁ、どうやらネズミ共が入り込んだみたいだぜ?」
ゼロンの返しに、ガルボが眼を見開いた。
「ほお! もう来おったのか! なかなか活きの良い連中だな? がはっがはっがはっ」
奇妙な笑い声をあげながら、ガルボが体を震わせた。
ファントムアーマーのゲハルトは、それを聞いてなお動きを見せない。
ゼロンが注意深く辺りを窺う。
「……いるな。透明化の魔法か? ダンナ、仕掛けは動かせるかい?」
「うむ。おいっ!」
ゼロンにうなずいたガルボが、近場に居たコボルトに声を掛けた。
コボルトとは、ゴブリンと並んで最弱に近い魔物だ。人間そっくりな体に、犬の頭を持つ魔物で、はしっこい。
レベルは2と、普通の雑魚ゴブリンより高いが、種族にバリエーションが少なく、最大で5レベル止まりだ。
そのため、ゴブリンロードなどにすら顎でこき使われることも少なくない。
そんな魔物がオークロードに命じられ、慌てて広間から飛び出していった。
そんな魔物達の動きを見て、スノウ達は一旦歩みを止めていた。
彼女達はすでに玉座に一挙動でたどり着けるほど近い場所まで来ている。
が、代わりにゼロンに気づかれたという感じだ。
と、いきなり透明化が解除され、スノウ達の姿が、大広間にさらされた。
「え? なに?」
「うおっ?」
「これはっ?!」
三者三様に驚く。その姿を見てゼロンが笑みを浮かべた。
「やっぱりお前らか。さっきぶりじゃねーか!」
肩に担いでいた弓を構え、素早く矢をつがえると、躊躇無く放った。
「くっ?!」
スノウはそれを打ち落とさんとばかりに雷神のごとき早さで翠の魔剣を抜き放った。
だが、手にした魔剣は小さなつむじ風となって雲散霧消してしまう。
「え?」
「あぶねえっ!」
思わぬことに呆けるスノウをガラムが押し退け飛び出し、矢をその体で受け止めた。
ミスリル銀製の板金鎧は魔力によって強化されたその防御力を発揮し、矢を弾き飛ばすはずだった。
だが、鈍い衝撃と共に矢はガラムに突き刺さる。
「ぐぬっ?! なんだ? 身体が……いや、鎧が重めぇ!」
幸いにしてダメージはかなり押さえ込んだようだが、ガラムはしかめ面で悪態をついた。
その様子にスノウはハッとなった。
自らの纏うヘスペリアの戦鎧の豊富な魔力が感じられなくなっていた。
「魔力がっ?! カレンっ?!」
思い当たる状況に、カレンへ視線を走らせれば、彼女は銃杖を手に首を振った。
「……ダメです。魔法も使えません」
それを聞いて、スノウの顔が驚き、焦りをにじませ始めた。




