第41話
『……そこに居るのは誰かね?』
不意に聞こえた声に、四人は身構えた。
周囲を見回し警戒するが、なにも居ない。
と、スノウはどこか安堵するように警戒を解いた。
「……みんな大丈夫。樹精だよ」
スノウは一本の立派な大木の方へと足を進めた。
すると、大木がざぁっと葉を揺らしながら動いた。
『……ほう、エルフのお嬢さんか。友人をこの森に迎えるのは何年振りか』
大木から穏やかな声が聞こえた。
良く見れば、その大木の樹皮の模様や造形が年配の男性のように見えた。
樹精。常緑神ヘスペリアより森林の管理を任された樹木の精霊だ。エルフと同じくヘスペリアにより産み出され、互いに助け合うようにして森を守っている。
そのため、どの森の樹精もエルフに対して好意的だ。
「騒がしくしてごめんなさい! 森の主さん!」
スノウが言うと、大木がその身となる木の幹を揺らし、無数の葉をざわつかせた。
『はっはっは、気にしないでくれ。周りのみんなが楽しそうにしているのを眺めるのが私の数少ない楽しみなのだから』
樹精はそう言って緩やかに笑った。
こんな樹精が居る森にも関わらず、なぜあんな連中が居るのか?
スノウは我慢できなくなって訊ねた。
「ねえ樹精さん。今この森で何が起きているの? 森の雰囲気がおかしかったり、邪神の軍勢が居たりして、とても平和な森には見えないわ」
スノウの言葉に、穏やかに笑っていた樹精から悲しい気配が漂ってきた。
『……うむ。今のこの森には、邪悪で強力な存在が住み着いておる。そやつの力によって、この森は徐々に支配されようとしておるのだ』
「……そんな。そいつをやっつけようとは思わないの?」
諦めたような樹精にスノウが声を挙げた。だが、樹精は笑みを崩さなかった。
『……そうしたくはあるが、やつの力は強大だ。それに今はこの子達を守るだけで精一杯なのだ』
樹精が言うと、周りの茂みが次々にガサガサし始めた。
スノウも、他の三人も警戒するように身構えた。
が。
「……」
ひょっこりと顔を出したのは野うさぎだった。
「え?」
スノウは思わずあっけにとられてしまう。
そのうちに、さまざまな動物達が次々に姿を現し始めた。
狐、狸、熊、狼、リス、鹿、小鳥、ふくろう……。
森に住む生き物達が、続々と集まり樹精の周りへと集まった。
「……動物達が」
呆然としながらその様子を見ていたスノウは思わず呟いた。
それほどの数の動物達がその場に居るのだ。
『……今、この森には邪悪な気配が満々ちている。そのせいで邪悪なゴブリン共が我が物顔で森を闊歩し、動物達を襲っているのだ。私はその邪悪な気配と魔物たちから動物達を守るために、この場に結界を張っているのだ。しかし邪悪な気配が強すぎてな。結界を張るだけで精一杯なのだ』
その言葉に、スノウは思い当たることがあった。
この森に入ってから感じていた異様な気配。森に愛されているエルフをして感じる不安感。
あれこそが、邪悪な気配であったのだ。
スノウは表情を歪めた。
この場の包み込むような優しい気配。樹精の優しい力がこの森の本来の姿を想像させてくれる。本当ならは平和で豊かな森なのであろう。
それを脅かす存在にエルフとしてのスノウは激しい憤りを感じていた。
「……許せない」
怒りのままに呟くスノウ。
だが、不意にその怒りが霧散した。
『……ありがとうエルフのお嬢さん。私たちのために怒ってくれて』
スノウは、自分の頭に大きな手が乗ったような感触を感じていた。
優しく、雄大なまでのそれが、スノウの頭をゆっくり撫でていく。
エルフの少女は、それがこの樹精の優しい心根のように感じた。
「……樹精さん」
『だが、怒りに呑まれてはいけない。それは邪神に連なるものたちの力へと変わってしまうものだ』
優しく諭す樹精に、スノウはうなずいた。
「……うん。そうね……そうだね」
スノウが笑みを浮かべた。
感じていた怒りは、悲しみは、消えてしまったわけではない。
だが、それを源とするのではなく、この森を、動物達を救うため。
スノウはきゅっとくちびるを結んだ。
「樹精さん。あいつらは、邪神の軍勢は私たち蒼穹の道程が、この森から追い出します」
スノウの言葉に樹精から驚くような気配が伝わってきた。
『……しかしお嬢さん。やつらは強い。危険だよ?』
樹精が心配そうに言う。
だが、スノウは笑みを浮かべた。
「危険でも。見過ごしてはおけません。みんなもそう思うでしょう?」
振り向き、仲間達へ訊ねた。三人とも笑みを浮かべて答える。
「おう! 当然だぜ!」
「わたくしも傷のお礼をしなければなりませんしね」
「及ばずながら私も手伝わせていただきます。ねえ? ラーシュ」
「チュッ!」
ガラムが力こぶを作り、カレンが銃杖を掲げ、ミルがうなずきながら相棒に微笑んだ。
小さなネズミは当然とばかりにひと声鳴いてみせた。
「任せて」
樹精と動物たちへと振り向いて、スノウは力強い笑みを見せた。
それが、樹精と動物たちに、不思議な安堵感を与えていた。
戦将としてのスノウの力が、彼らに勇気を与える。
『ありがとうお嬢さん』
代表して樹精がお礼を告げた。
スノウはなんでもないとばかりに首を振った。
「良いんです。それにあたしはこの森のちゃんとした平和なところを見たいから」
そう言って笑うスノウの顔は、とても魅力的であった。
が、スノウは即座に表情を引き締めた。
「それで、あいつらについて判っていることを教えてくれませんか?」
スノウの願いに、樹精がひとつうなずいた。
『わかったよお嬢さん。この森は私自身と言っても良いんだ。わかる限りの事を伝えよう』
そうして、樹精は語り出した。
あの日起きた異変を。
邪心の軍勢の狙いを。
それは、スノウにとっても大きな意味を持つものであった。
つまり。
『……やつらは復活させようとしておるのだ。いにしえの魔神を』
それを聞いてスノウ達は息をのんだ。
いにしえの魔神。神世の時代に神々によって倒され、封じられた存在。それをよみがえらせる。
神々が眠る今世にそんな存在が復活すればどうなるのか。
その惨劇を想像し、四人は青ざめた。
「そ、そんなものが復活したら、この世界は無茶苦茶になっちゃう。なんとしても停めなきゃあ」




