第39話
「こっち!」
「え?」
不意に左腕をひっぱられて驚くスノウ。見れば小さな手が自分の手首を掴んでいた。そのまま走り出した小柄な影にスノウは咄嗟に従う。
「カレン! ガラム!」
ふたりの仲間に声を掛ける。
その気配がついてくるのを感じながら、スノウは白い靄の中を走った。
魔物達は視界を塞がれ右往左往するばかりだ。
「チッ、メンドクセエな」
フォールンエルフの男は、金色の眼を閉じ、耳を澄ます。
「ギャギャッ!」
「ガウッ!」
背中に乗った主であるゴブリンの命令に従い、ダイアウルフは靄の中を走った。
ダイアウルフは狼を大きくしたような魔物だ。その体長は一メルク(約二メートル)にもなり、狂暴な魔物で飼い慣らされることはない。だが、ゴブリンたちは、古より伝わっている特別な方法でこの巨大狼型の魔物を従えることができるのだ。
鋭い嗅覚を備えるこの巨大狼たちは、視界をふさがれても、その自慢の鼻は誤魔化しきれるものではなかった。
数体のゴブリンウルフライダーは白い靄の中を正確に追跡する。
それに気付いたカレンが、魔導師らしからぬ軽快さで一瞬振り向ながら銃杖を構えた。
同時にその先端に青く小さな魔法陣が展開し、水弾が生み出される。
それは弾けるようにして撃ち出され、白い霞の中で放射状に広がった。
魔力を散弾のように撃ち出す【スプレッドマジック】に【エレメントスペル:水】で水の力を付加した魔法攻撃だ。
雨粒のような無数の小さな滴が追跡者どもを襲う!
「ガアッ?!」
「ギャウッ!?」
先頭を走っていたウルフライダーは、無数の水滴によってズタズタに引き裂かれて絶命した。雨粒のように小さくとも、その威力は高い。続く者たちも、横殴りの雨に突っ込んで、次々と被害を受ける。
「……よし!」
手応えを感じたカレンが身を翻そうとした瞬間、肩に衝撃を受けた。
「あぐっ?!」
もんどりうって倒れると同時に、激痛が全身を貫いた。
見れば肩口に矢が刺さっていた。
「う、ぐ……っ!」
カレンは唇を噛み締めて立ち上がり、よろよろと走り出した。
しかしつまずいてしまい、転びそうになる。
が、その身体がガシリと受け止められた。
「大丈夫かっ?!」
ガラムだ。
カレンはなんとかうなずくと、ガラムに支えられながら再びよろけながらも走り出した。
「んー? 逃がしちまったか?」
フォールンエルフの男は、矢を放ったままの姿勢で首をかしげた。
その眼は閉じられている。
視覚に頼らず音と気配、そしてイメージと直感でカレンを射たのだ。
男は眼を開くと弓を肩にかついで霞を見た。
「手応えはあったが、殺せた感じじゃねーな。まあ良いか」
特に問題を感じた風でもなく漏らし、肩をすくめると魔物どもへと向き直った。
「“よし、お前ら撤収だ”!」
共通語ではなく、魔物の言葉で指示を出す。
すると、ゴブリンやコボルトはともかくとして、オウガやトロウルまでもがおとなしく従い撤退していく。
フォールンエルフの男は不意にスノウらが逃げ去った方を見た。
霞は晴れ始め、無惨な死体と化した二体のゴブリンウルフライダーと、大なり小なりダメージを受けた他のライダーたちの姿が見えてきた。
ダイアウルフに乗ったゴブリンは森林地帯での機動戦力として頼りになる存在だ。
だが、これだけダメージを受けてしまうと、しばらくはまとまった運用はできそうになかった。
「こいつは痛いな。まあ仕方ねえか」
ぼやいた男は、ゴブリンウルフライダーたちにも撤収を指示し、自らも森の中へと消えていった。
手を引かれながら白い霞を抜け、森の中を走り、スノウは奥の開けた場所へたどり着いた。
「ここまで来れば大丈夫」
そう言って、スノウを掴んでいた小さな手が離れた。
「はあ、ありがと」
お礼を言ってその手の主である、小さな人影を見た。
その人影が、こちらへと振り向いた。
おでこを隠すように切り揃えられた長い黒髪が揺れ、ピンと立った三角形でふさふさの毛が内側から伸びているの大きめな耳がぴくりと動いた。
腰から伸びる細くて長い黒しっぽがゆらゆらと揺れる。
身長は半メルク《約一メートル》にも満たないだろうか?
黒い顔に長く伸びた数本ずつの眉。
縦に黒い線が入っている大きく愛らしい翠眼。
小さな鼻が前に突き出るような口周りは白くて左右に数本ずつ長く伸びるヒゲ。
直立した猫のような小柄な女の子がそこに居た。
「……ケットシー?」
「ええそうよ? フレニのメルスノウリーファ」
スノウの言葉に、ケットシーの少女が目を筆で引いたような一本線にしながら笑った。
ケットシー族。
宵闇の神、黒影神ダルク・ゼオスによる祝福を受けて産み出された夜の種族だ。
イタズラ好きではしっこく、夜間行動に高い適正がある種族で、夜の監視者とも言われている。
彼らを産み出したダルク・ゼオスは、光明神アルス・ゼオスの双子の兄で、思慮深く穏和で、公明正大であることで知られている。
ケットシーは彼の命を受けて夜闇に潜む魔を探しだし、これを誅するのが役目だと言われている。
見かけは可愛らしい猫だが、狩猟能力にも長けていて油断なら無い。
そんな少女が、スノウを“フルネーム”で呼んだ。
むろん初対面だ。
蒼穹の探索者にもケットシーは居なかった。
「……あなた、何者?」
スノウは油断無く小さな少女を見る。
対して少女は答えるでもなく微笑みながら尻尾をゆらゆら揺らすのみだ。
少しの間にらみ合い? が続き、焦れたスノウがふたたび口を開こうとした瞬間。
茂みからネズミが飛び出し、タタタッとケットシーの少女へと走っていってジャンプした。
肩の上に着地したネズミに、少女が笑い掛ける。
「ごくろうさま」
「チュッ!」
労うケットシーの少女に、ネズミが後ろ足だけで立ちながら右手? を挙げて答えた。
そんな奇妙な構図に、スノウは開いた口がふさがらなかった。




