第38話
「……静かだな?」
村の南部に広がる森林へと分けいった蒼穹の道程一行であったが、小一時間ほどの探索でもなにも見つけられなかった。
ただ。
「……静かすぎるね」
油断無く周りを見回しながらスノウが漏らす。
ヒト族においては、最高の森林活動能力を持つエルフのスノウが警戒しているのだ。隙は無い。
だが、彼女自身言い様の無い何かを感じていた。
「……なんだか嫌な感じ。森に囲まれてるのに」
森の民であるエルフは、深い森の中に居ることがもっとも自然な状態だとされている。
だが、今は不快さすら感じていた。
「……まるで、森全体から敵意を放たれているような?」
訝しむように周囲を見やる。
「……ざわつき過ぎて気配が読みづらい?」
スノウがハッとなった。
素早く右手が動き、出現した蒼い魔剣を居合い切りのように振るった。
鋭い音が響き、地面になにかが落ちる。
矢だ。
カレンとガラムもすぐさま戦闘体勢に……。
「!? カレンっ!」
唐突に生まれた気配に、スノウが声を挙げた。その時にはすでにカレンの横合いから大きな影が降ってくる。
「くっ?!」
ある程度接近戦もこなせる銃使い《ガンスリンガー》である彼女の身の躱しはスノウにも劣らない。本気のスノウとは比べるべくもないが、肉薄されたさいに攻撃を捌くには十分に余裕があるレベルだ。
だが、今回のこれは奇襲だ。
奇襲された側にはペナルティがあり、した側にはボーナスがある。
よほど回避にリソース(資源。この場合はキャラクターのスキル量や装備品)を回していない限りスノウのような高レベル戦士系キャラでも回避は難しくなる。
魔導師としてリソースを魔法に回しているカレンには無理な注文だった。
カレンが身を固くする。
固く重い音が辺りに響き、衝撃で草木が揺れた。
カレンを狙ったその攻撃は、彼女へ届くこと無く空中で静止していた。
ガラムだ。
攻撃とカレンの間に割り込んだ彼が、愛用の折り畳み式ハルバードで、彼女を狙った攻撃を受け止めたのだ。
「くっ……」
ガラムが顔をしかめた。
重い。
彼が思っていたより遥かに重い攻撃だ。
見上げた先にあるのは体毛のまるで無い頭があった。
肌は岩のようにゴツゴツしており、黒目は無い。
彼が受け止めたのは丸太をそのまま使ったようなこん棒だ。
それを握る指は節くれだっていて長い。また腕そのものも長く、人型なのに妙にアンバランスさを感じる相手だ。
「……トロウルっ?!」
その姿を見て、カレンは声を挙げた。
トロウル。オウガより大柄で狂暴かつ残忍。かなり強力な魔物で、こいつもまたヒトを喰う。
高い再生能力と膂力。鉄の鎧のような皮膚を持ち、天然のカモフラージュ能力を保持している。
レベルはオウガよりさらに高く9レベル。ベテランパーティーでも奇襲されれば全滅しかねない魔物だ。
今回はどうやら通常のトロウルのようだった。
これがさらに高レベルのトロウルデストラクターやトロウルキリングネイルだったら聖騎士のガラムはともかく、魔導師のカレンは倒れていてもおかしくない。
これを行幸と言うべきなのだろうか?
聖騎士であるガラムでも、普通のトロウルであるなら倒せないことはないだろう。
だが、聖騎士はどちらかと言えば守勢に秀でており、攻撃手段は少なくダメージ量では戦士系に及ばない。
スノウを通してガラムを見ていた由紀恵は、彼の強さはレベル20台前半くらいだと目算をつけていた。
守りに関しては十二分に頼れる。だが、レベル9とはいえ頑健な肉体と再生能力を持つトロウルはしぶといのが特徴だ。
ガラムでは一撃で倒すことは無理だろう。
と、カレンが銃杖を抜き放ち、【シュートマジック】を撃ち放った。補助スキル【エレメントスペル:火】によって炎を付加された魔法弾がトロウルの顔面を襲った。
その一撃でトロウルの頭が吹き飛び、その巨体が力を失い、魔石を落としながら崩れ落ちた。
スノウは小さく安堵の息を吐く。
接近戦に対応できると言ってもカレンは後衛職だ。
そのHPはスノウの半分ちょっとにしかならない。
レベルに差があると言っても至近に敵がいない方が望ましいのは当然だ。
そうしてスノウが気を緩めたところを狙うように、矢が飛来した。これを蒼の魔剣で打ち払い、その影に隠れていたさらにもう一本を瞬時に顕れた翠の魔剣で切り払う。
今度は驚くような気配が伝わってきた。
「……出てきなさい。居るのは分かってるんだから」
「……ハハハ」
森の中から染み出すように現れたのは、“蒼い肌と白い髪のエルフ”だった。
「…………フォールンエルフ」
スノウは嫌悪を込めた厳しい視線をそのエルフ……フォールンエルフの男に向けた。
「そんなに睨まないでくれよ? 兄弟」
「誰がっ!」
ニヤニヤ笑いながら言うフォールンエルフの弓手に、スノウはつい声を荒げてしまう。
フォールンエルフ。
それはエルフを産み出した常緑神ヘスペリアを裏切り、邪神に付いた者たちだ。
エルフに限らず、人間やドワーフ、ニクシーなどすべてのヒト族から邪神へ寝返った者が存在するのだ。
彼らは邪神や魔族の尖兵として、あるいは魔族すら従える強大な敵としてヒト族の前に立ちはだかる敵である。
そんな存在に兄弟呼ばわりされて、良い気分がするはずもない。スノウは剣先を彼に向けた。
「なるほど、あんたが黒幕って訳?」
「くくく……」
スノウに答えず、フォールンエルフの男は含み笑いを漏らす。
その態度が、スノウの……いや、由紀恵のカンに触った。
「あなたが黒幕? いったい何を企んでるっ!?」
思わず激昂してしまう。
それに応えるように。
男が指を鳴らしたのと、魔剣から警戒を促す振動が伝わってきたのは同時だった。
ざわり、と森が震えた。
「な……っ?」
「こいつぁ……」
後ろからガラムとカレンの声が聞こえた。
その理由が、スノウにもすぐわかった。
森のあちこちから魔物が次々と姿を現す。
ゴブリン、ホブゴブリン、コボルト、バグベア、オウガ、トロウル……。
ダイアウルフに乗ったゴブリンライダーや、ゴブリンシャーマンなども姿が見える。
レベルは10レベルに届かない魔物ばかりだが、その数と種類の多さにスノウたち三人は絶句した。
通常、この手の知恵のある人型の魔物が複数種類集まって行動することは無い。
ある時を除いて。
「……邪神の……軍勢……」
そう、彼らを統率する者が居なければ。
スノウはフォールンエルフを睨み付けながら奥歯を噛み締めた。
「…………答えは否。黒幕は俺じゃない。やれ!」
フォールンエルフが命じた瞬間魔物の群れが雄叫びを挙げた。スノウは咄嗟に剣軍を作り出そうとした。
その瞬間。
スノウとフォールンエルフの間に、一匹のネズミが躍り出た。
「え?」
「なに?」
白いボールを抱え二本の後ろ足で走りながら。
色違いのエルフふたりが驚く中。
ネズミが器用にボールを持ち上げ、地面に叩きつける。
その瞬間、破裂したボールから勢い良く濃密な白い煙が吹き出し、辺り覆い隠した。




