第3話
ギガントハーミットを追い払った少女は、周囲を見回した。
広がる海。
白い砂浜。
左右には岩場があり、壁のようにそびえ立っている。
そして背後には山と森。
少女は森の方に向かって歩き出す。
が、森より遥か手前、浜辺にまばらに存在する木の元へ行くと、その根元に座り込んだ。
「…………まさか」
自身の口を衝いた言葉が信じられず、呆然となる。だが、様々なことがそれが真実だと示唆していた。
「あたしが……スノウになってるなんて……」
いまだ信じられない面持ちで言葉を吐き出していた。
スノウは、彼女……小野 由紀恵が作り、三つのロングキャンペーンを通して育て上げた“アールシア戦記TRPG”のPCだ。
中学生の時から四年にも渡って使い続け、強い愛着のあるキャラクターでもある。
「……こんなことが起きるなんて……」
思い出すのは、沢木の振った奇妙なサイコロの放った光。
あれが原因としか思えない。
と、そこまで考えてから由紀恵はハッとなった。
「……みんなは?」
自分以外にも部活の仲間や兄達があの場に居たのだ。
「……まさか、あたしだけじゃなくてみんなも?」
そう呟くと由紀恵は慌てて立ち上がり、浜辺を探し始めた。
もう居ても立ってもいられなかったのだ。
「兄貴ーっ! 沢木先ぱーい!」 付き合いの長い卓ゲ仲間の名前を呼びながら探し歩く。
「静香さぁーん! 戸塚くーん!」
周囲に人影は見えない。
「せっちゃぁーん! 水原くーん!」
時折、先程のとは違うギガントハーミットの姿を見るが、先程の戦いのせいか襲っては来なかった。
そして、由紀恵は日が暮れるまで仲間の姿を求めて周辺を探し歩いた。
だが、浜辺周辺にただのひとりも人影は見当たらなかった。
完全に日が落ち、由紀恵は疲れきって浜辺に寝転がりながら、夜の帳が降りた空を見上げていた。
肉体的な疲労は全く無い。だが、訳の分からぬ場所に異常な状況でたった一人放り出された彼女は、精神的に消耗していた。
ただ、過度に取り乱さなかったのは彼女にとって幸運だったかもしれない。
「……ここがアールシア界だとしたら、あたし……どうなるんだろう?」
ぼんやりと星の瞬く夜空を眺めて呟く。そらに浮かぶ星の配置には、まるで見覚えが無かった。
それが、さらにここが異世界であることを強く主張している。
「……けど、綺麗だな」
けれども、由紀恵が暮らしていた都心近くではついぞ見れないほどに、夜空に星が広がっていた。
「兄貴達も、どこかでこの空を見てるのかな……?」
呟きながら右手を空へ向けて伸ばした。
「……星が掴めそう……」
静謐な世界に酔いそうになりながら、由紀恵は目を瞑った。
…………。
ピクリ、と由紀恵……スノウの長い耳が動いた。
由紀恵は目を開き、ガバッと起き上がった。
「……なんの音?」
訝しげに見回す。
スノウの種族はエルフ族。常緑神ヘスペリアによって産み出され、その加護を受けた種族だ。
そのため、エルフ族は森の中での行動にボーナスがある。
また、エルフ族は高い感性と知覚力を有している。
それが、わずかに響いた音を拾ったようだ。
耳を澄まし、音のする方を見やる。
と、切り立った崖のような岩場の向こう側が明るくなっているのに気づいた。
「……なにか起きてる?」
由紀恵は立ち上がってそちらを見ると駆け出した。
『わあぁあっ?!』
『きゃあぁぁあっ』
『た、助けっ?!』
『ひぃいいっ!?』
悲鳴が、上がる。
家が、燃える。
人が、逃げ惑う。
そこは、小さな漁村だった。
少々貧しくはあるが、平和な漁村であったのだ。
だがそれは、今宵をもって終わりを告げた。
「……」
ギョロリとしたどこを見ているのかわからない瞳が、逃げ惑う人々を捉えている。
その姿は、まさに異形であった。
大雑把に言えば、その異形の肉体は海を行く魚そのものである。
だが“彼ら”は、ただの魚ではない。
その体は半メルク(約一メートル)以上はあった。そして、海を行く魚には無いはずの器官を備えていた。
魚顔に近い部分から左右に伸びるピンク色をした長い管状の器官。その先端は五つに分かれ、粗末な槍を保持していた。
そう、手である。
そして、尾を挟むように伸びぺたり、ぺたり。と音を立てるのは足。
魚の体から手足を生やした異形の種族。
ギルマン族である。
それが、百人に満たないこの漁村に襲いかかっていたのだ。
逃げ惑う村人へ、ギルマン達が突き掛かる。
老若男女を問わず、殺し尽くすために。
「あっ?!」
「メアリーっ!」
母親に手を引かれていた幼い女の子が、転んだ。
そこへ一匹のギルマンが槍を振り上げながら近づいていく。
「メアリーっ!」
とっさに母親は娘に覆い被さった。
その背中へと、無情にもギルマンの槍が……。
突き立たなかった。
「……ギョ……」
ズンッ、と重い音を響かせて、ギルマンの体が倒れ伏した。
「?」
母親が不思議そうに顔を上げると、そこには二本の長剣を手にした長い金髪のエルフ少女が立っていた。
「あ、あなたは……?」
母親は思わず訊ねてしまう。少女はそれには答えずに振り返り、親子に対して笑みを浮かべた。
その笑みに、母親は不可思議な安堵を感じた。
と、エルフ少女が口を開いた。
「ここはあたしが何とかします。だから早く逃げてください」
そう言ってエルフの少女は村を荒らし回るギルマン達に向けて走り出した。
その背中へ、女の子が必死で身を乗り出し、手を伸ばす。
「お姉ちゃんありがとう!」
小さな体一杯に振り絞るようにして送られたお礼の言葉に、しかし、エルフ少女は振り返りもしなかった。
ただ、右手に構えた蒼い長剣を振って答えた。
「さあ、早く逃げましょう」
立ち上がった母親に言われ、女の子はうなずいて、自らも立ち上がる。
そして、親子は森へ向けて走り出した。




