第27話
由紀恵がその少年と出会ったのは中学二年生の時だった。
兄である小野哲也がTRPGを遊ぶためにTRPGサークルを主催していたのだが、その仲間の弟である戸塚 剛と、その友達である彼、水原 真司を連れてきたのだ。
最初の印象は「なんか弱そう」であった。
中学生とはいえ戸塚の方は運動部に在籍していて男の体になり始めていたが、真司は線が細く気弱そうだった。
だから由紀恵の印象もそんな感じだった。
真司も真司で、由紀恵が一緒にプレイすると聞いて気後れしたようであった。
そう、初めの印象は良くなかった。
お互いに初プレイということもあってかゲーム中も話をすることはなかった。
また同じ中学校ではあったが、クラスは違うし、真司は当時美術部に所属していた。
接点はTRPGを遊ぶ時だけだった。
だが、接点がひとつ出来れば同じ学校に通うだけあり、互いの存在を意識しないこともなかった。
廊下ですれ違った時に目が合ったり、遠目に見つけてしまったり。
そのうちちょっとずつ会話をするようになった。
それは男女のそれではなく、TRPGの話題ばかりであったが、ゲームにハマり始めていた由紀恵には楽しい時間となり始めた。
そうするうちに、由紀恵は真司の事を目で追いかけるようになっていた。
廊下に出ると真司の姿を求めて軽く眺めてしまったり。
窓から見下ろした先で戸塚とふざけてる姿を見つけて笑みがこぼれたり。
美術部で絵を描いている姿を覗き見てみたり。
そんな由紀恵の姿に、クラスメイト達は生暖かく見守っていた。ふだん男勝りで気が強い由紀恵が、乙女な顔や行動をとっている姿は彼らには新鮮で、密かに応援していたほどだ。
しかしながら、如何に勝ち気とはいえ男性と付き合った経験などない由紀恵にはそれが恋だとはわからずに居た。
が。
ある日の放課後、美術室に居残っている真司のところでTRPGの話をしようと顔を出した由紀恵だったが、真剣にカンバスに向かう彼の姿を見つけてしまい声が掛けられなかった。
そんな風に由紀恵が真司に見とれていると、彼の方が気づいてしまい、美術室へ入るように促された。
笑みを浮かべた彼の表情に、由紀恵は頬が熱くなるような気がした。
絵の方が一段落するまで待ってほしいとすまなそうに言う真司に、由紀恵は微笑みながらうなずいて、少し離れた場所に椅子を置いて座り、ずっと彼を見ていた。
けっきょく、その日はTRPGの話は出来なかったが、遅くなったからと真司に家まで送ってもらい、由紀恵は浮かれ気分で帰宅した。
それからというものの、由紀恵はよく美術室へと顔を出すようになった。
特に用事があるわけではないのだが、彼と一緒に居たかったのだ。恋愛に疎い彼女は一歩踏み出すことは無かった。
だが、話をせずとも真司の真剣な横顔を眺めているだけで、由紀恵には十分だった。
それが恋だと、彼女が気づくには、まだまだ時間が掛かった。
そうして長い間、由紀恵は真司との時間を緩く過ごし続けていた。二人きりでいられるその時間だけで、由紀恵には十分だった。
二人での時間が増えると、相手のことが良く解るようになってくる。
真司の優しい部分や周囲への細かな気遣いが出来ること。
勉強はそこそこだが、頭の回転が早いこと。
目立つタイプではないものの、クラスでは割りと頼りにされていること。
運動は苦手なこと。
生卵が苦手なこと。
ちょっとだけズボラなこと。
コンクールで賞を獲るくらい絵がうまいこと。
じつはアニメが好きで、そっちの方にも詳しいこと。
TRPGでは魔法使いを好むこと。
謎解きが好きなこと。
ちょっとしたアイディアでGMを驚かせるのが好きなこと。
ピンチの際にも冷静に機転を利かせて切り抜けられること。
小さなことから大きなことまで、様々な真司を由紀恵は少しずつ知っていたのだ。
そんな風に由紀恵は、ゆっくりと彼への想いを育んでいったのだ。
空想の世界でも由紀恵は真司の活躍をしっかり見てきた。地味ながらも、仲間達と力を合わせて苦難を乗り越えてきた。
妖精達が死んでしまったときにも静かに見守ってくれたし、妖精が魔剣として帰ってきてくれたときも少し涙ぐみながら「良かったね」と言って魔剣となった妖精達と、スノウの再会を描いたイラストをプレゼントしてくれた。
その瞬間からこの絵は由紀恵の宝物になった。
そんな優しい彼を好きだと、由紀恵がきちんと認識したのは、高校に入ってからである。
いや、本当はもっと前から気づいていたのかもしれない。
彼と同じ高校へと進学するのに受験勉強も頑張ったし、入れた時は天に昇りそうなほど嬉しかった。
そして、真司に会いに美術室へ向かった由紀恵は、彼が一人の少女に告白されているところに遭遇してしまったのだ。
それで気付いた。
真司の良さを知っているのは自分だけではないことを。
気弱な男の子から柔和な笑みの似合いそうな穏和な感じの少年へと成長していたことを。
その光景に由紀恵の心は千々に乱れ、彼女は結果を見ること無く逃げるようにその場を後にしてしまった。
その後、家に帰ってから盛大に泣き腫らした。
これだけ泣いたのは、妖精達を喪った時以来だった。
そして彼女は気づいた。
自分が、真司のことをどれだけ好きなのか。
後日。
真司が告白を断ったらしいと聞いて、由紀恵は心底安堵した。
と同時に怖くなった。
もしあの告白していた少女が自分だったら?
やはり振られていたかもしれない。
由紀恵は男勝りで勝ち気なのは相変わらずで、女性らしい魅力に欠けている(と、本人は思っている)。
彼の女友達の中では、一番仲が良いと自負はしていたが、それが男女の仲に発展するようなものではないとも思っていた。
そして、振られてしまったら。
きっと、彼と一緒に居られる時のあの優しい空気は失われてしまうだろう。それだけではなくTRPGへの参加もしづらくなる
いや、それどころか真司が抜けてしまうかもしれない。
それが怖くて。
由紀恵は全く踏み出せなくなってしまった。
しかし、意外なことが起きた。
高校生活が始まり、兄が部長をしているゲームコミュニケーション部に入部した由紀恵だったが、そこへ真司も入部してきたのだ。
聞けば少し美術の世界から離れたくなったんだと言う。
てっきり美術部に入部すると思い込んでいた由紀恵は大層驚き、喜んだ。
だが、やはり由紀恵は告白する勇気を出せなかった。そして今に至る。
「…………水原くん、元気かな。…………逢いたいな……」
焚き火を見つめるスノウの口から、由紀恵の想いがこぼれ出た。




