第2話
「な……なななっ?!」
思わぬ事態だったのか少女は目を白黒させながら尖った耳の先を軽く引っ張った。
耳の付け根の辺りが突っ張り、それがこのとんがり耳が自分のものだと主張していた。
「な、なんだよコレっ?!」
浜辺で座り込んだまま声をあげる。
しかしそれに答えるのは、寄せては返す波の音と、空を舞う海鳥の鳴き声のみだった。
とはいえ、彼女も答えを期待していたわけではないようで、自分の体をペタペタ触って確認し始めた。
「うわ、白っ。肌白すぎだろ……てーか、指細っ! 足もスラッとした感じだし、あたしの体じゃないみたいだ……」
元々、少女は可愛い部類に入る器量ではあったが、日本人らしい黄色系の肌色だったし、小学生の頃から習っていた古武術の修練のおかげで手足はもっと筋肉が付いていた筈だ。
しかし、手のひらを見たとき、アッとなる。
「……タコ」
その手のひらはゴツゴツとしていて皮が厚くなっていた。
それも刀の柄を握り続けたことで出来る部類のタコだ。細い指に滑らかで白い手の甲側とは対称的で、そうとうな修練の跡がうかがえる。
これほどのタコを見たのは、古武術の師でもある祖父の手を見て以来だ。
「……」
思わず凝視ながら手を開いたり閉じたりしてみる。
その通りに動く指を見て、少女はそれが自分の手だと認識できた。
だが違和感もある。
古武術を習う課程で、ある程度は刃を潰した刀を振り回したことはある。
しかしそれは刀の重さや間合い、取り回しを覚えるためのものであり、これ程に手の皮が分厚くなる修練したわけではなかった。
いったい、どれだけ武器を振るい続ければこんな手になるのだろうか?
彼女には、想像もつかないようだった。
「……ほんと、なにがどうなってるん……」
うつむいて息を吐く。
ふと見れば視界にこんもりとした迫力のあるふたつの山が存在していた。
「……」
無言でそれを鷲掴みにすると、確かに圧力が掛かったのを感じて、目を見はる。
「…………まさか……これが……あたしの……?」
その圧倒的ボリュームに、思わずゴクリと喉が鳴った。
彼女の女性の象徴であるふたつの膨らみ。それは記憶にあるものよりふたまわり……否、それ以上に大きくボリュームアップしていたのだ。
「……くう、願ってやまなかったこの大きさ、重さ、柔らかさ……これで……これでもう胸板とか呼ばれない……」
感動に、涙が溢れる。
勝ち気で男勝りである彼女は、ほどほどのボリュームであったその部位を揶揄されることが多かった。だからこそ、大きなそれに憧れたのだ。
そうなった事の異常性に目をつぶってしまえるほどに、彼女は喜んでいた。
そんな少女の背後に、黒くて大きな影が近づいていた。
その巨体に見合わぬほど静かに接近するそれが、大きく前肢を振り上げた。
鋭く振り降ろされたそれが向かうのは、少女の頭頂。
ドスッと重い音がして、砂が跳ねた。だがしかし、そこに少女の姿はない。彼女は振り向きもせずに横に転がって避けてしまったのだ。
そのまま片膝片手を着いて体勢を立て直し、顔を上げて蒼い瞳で影を見上げる。
巨大な巻き貝から体を覗かせ、大きなハサミを備えるヤドカリのような姿。しかし、その大きさは見上げるほどに巨大だ。
「……ギガントハーミット?」
思わず呟く。
すると視界に文字が現れ、目の前の巨大ヤドカリに名前が表示された。
その事にギョっとなるが、呆けてはいられなかった。巨大ヤドカリは足をわしゃわしゃと動かし、少女へ迫らんと動き始めたから。
「……な、なんでこんなっ?!」
驚きの声をあげながらも、少女はバックステップで距離を取る。
軽く飛んだつもりが、二メートル以上の距離を稼いだ。
張り付いた衣服と浜辺と言う足場の悪さがありながらもだ。
「……か、体が軽い?」
少女の驚きは続く。さらに接近しながら大きなハサミを繰り出してくるヤドカリに対し、少女は冷静にステップを踏んで避ける。
まるで危なげない。
だがヤドカリは諦めた様子も無くさらに襲いかかってくる。
横薙ぎに繰り出された巨大なハサミをさらにバックステップで避ける少女。その左手は左腰にピタリと着けられている。
まるでそこに自らの得物があるかのように。
「……確かギガントハーミットはレベル13のモンスター。レベル33の“あたし”なら敵じゃあ……」
呟いてからハッとなる。
「……あたし……今、なんて?」
動揺し、体が固まる。その隙をヤドカリは逃さない。
「! しまっ……」
気づいた時には、その大きなハサミが少女の体に突き刺さった。
瞬間。
ガシャン!
と、ガラスが砕けるような音が響いて、少女の姿が砕け散った。
かと思えば数メートル先の砂を蹴立てるように弾きながら右足でブレーキングする少女の姿。その顔は驚きに染まりながらもヤドカリから目を離さない。
「……【スケープイリュージョン】。そんな……まさか……」
今起きた現象に心当たりがあるのか、少女は小さく漏らした。が、それは数瞬の事。
すぐに頭を振って切り替える。
「今はこいつを何とかするっ!」
口に出して気を引き締めて接近してくるヤドカリを見た。
歩行肢で砂を蹴りながら接近してくるその迫力はなかなかだ。
振り上げられたハサミがガバッと開き、そのまま少女へと振り降ろされた。
それを左サイドステップで避け、軽く体を捻りながら右手が左腰に伸びた。
その手がギュッと握られる。
いつのまにか、その掌中に、柄が現れていた。
鋭く引き抜かれたソレの銀光が閃き、ヤドカリの巨大な前肢を薙いだ。
【居合い】そして【瞬撃斬】。
「……やっぱり」
確認したかったことがわかって、少女はごちる。
その背後でヤドカリの巨大なハサミが付け根からゴトリと落ちた。
甲殻類の硬い殻ではなく、その間接部のみを狙った斬撃。
その鋭さは達人と呼ぶべきほどのものだ。
武器を失ったヤドカリは、慌てて逃げ出した。
それを追撃する気にもなれず、少女は見送りながらつぶやいた。
「……あたし……今、自分のTRPGキャラになってる……?」