第11話
「……アールシア界を……救う?」
スノウの言葉に由紀恵は戸惑った。
アールシア界はゲーム内世界だ。空想の世界に過ぎないはずだ。
それを救って欲しいと言われても、戸惑うのが普通だろう。
『そう。いま、この世界は危機に瀕しているの。邪神の手によって』
「邪神……って、神様に倒されたっていう?」
だが、スノウは首を振った。
『ううん違うのよ。アールシア界とは別の世界の邪神なんだよ。それを倒して欲しいんだ』
突拍子もない願いに、由紀恵はあわてふためいた。
「……ま、待って待ってっ?! あたしただの高校生だよっ?! そんな力なんて無いよっ!?」
『大丈夫。戦う力はあたしの体を使ってくれれば良いから』
「って、言うかスノウがやれば良いじゃん!」
思わず叫んでから由紀恵はバツが悪そうに顔を背けた。スノウは悲しそうにうなだれた。
『……うん、出来ればそうしたい。けれど、できないの。この邪神を倒すことは、アールシア界の人間には出来ないらしいのよ』
「えっ?!」
スノウの言葉に、由紀恵は驚き、彼女を見た。
うつむいた姿のスノウは、悔しそうに拳を震わせていた。
『レーズンが神様に伺ったところ、そう返ってきたって。その邪神を倒せるのは、異世界の魂持つモノのみだって』
レーズンというのは、由紀恵のクラスメイトで親友の倉持 節子のPCだ。クラスは神官の上位クラス司祭だ。キャラクター作成時に、彼女がシュガーレーズンロールというパンを食べていたがために、こんな名前になったキャラだ。
『けれど、そんな人は、このアールシア界には居なかった。そこで異世界の守護神に護られているあたし達が、守護神を受け入れる器になったの。それしか方法がなかったから』
「……そ、そんな」
由紀恵は呆然となった。
スノウは悲しそうに目を伏せ、頭を下げた。
『……ごめんなさい。いくら謝っても、謝りきれないし、許されないことだと思う。けど、お願いっ! この世界を救って!』
そんなスノウから顔を逸らし、空を見上げる。青かった空は灰色になっていて、すべてが停まっていた。
不意に由紀恵が小さく息を吐いた。
「……うん、わかった。やるよ」
『えっ?! ……ほ、ほんとに? 無理矢理連れてこられた上に選択肢なんて……』
由紀恵の答えに、スノウは信じられない面持ちとなった。
由紀恵は、スノウを見やり、笑んだ。
「……ほんとだよ。選択肢が無いのも確かだけど、それ以上にあたしはこの世界を救いたいと思ってる」
傲慢かもしれないけど。と苦笑する由紀恵。
「……けど、今まで三回。スノウ《あなた》を通してこの世界を救って来たんだもの。いまさら見捨てられないよ。それに逆の立場だったら、スノウは世界を見捨てる?」
『見捨てないよ』
即答だった。
由紀恵は、でしょ? と笑った。
「それにこの子達にも信じて欲しいってお願いされてるしね」
そう言って視線を下げると、赤、青、黄、緑のよっつの小さな光の玉が由紀恵の周りをくるくると踊るように浮いていた。
『……あなたたち』
それを見たスノウが、表情を和らげた。
「それにさ……」
そんなスノウに、由紀恵は笑いかけた。
半透明のスノウが彼女を見やる。
「あたしはあなたで、あなたはあたしなんだから」
信じないという選択肢は無い。
自分なら。
スノウなら。
絶対に引き受けるという確信が、由紀恵にはあった。
それを肯定するように、スノウも笑った。
灰色の、全てが停まった世界で、ふたりは笑いあった。
そして、スノウがひとつ頷いた。
『うん、お願いね? 守護神さ……』
「由紀恵だよ」
言葉を遮られスノウがきょとんとなった。由紀恵が、いたずらっぽく笑う。
「プレイヤーさんなんて呼ばれ方、変な感じだもの。あたしの名前は、小野 由紀恵。こっちの世界だとユキエ・オノかな? 仲の良い子はユキって呼んでくれるから、あなたにもそう呼んで欲しいな」
由紀恵の言葉に、スノウがはにかむように笑った。
『うん、わかったよユキ。……この世界をお願い』
「任せて」
スノウの願いに、由紀恵が力強く頷いた。
そして、どちらからともなく右手が上がり、ふたりのそれが重なった。
すると、優しく暖かな光が溢れて由紀恵とスノウを飲み込んだ。
世界に、色が戻る。
停止していた全てが動き出し、スキュラクラーケンの巨体を滑り落ちるようにして、大量の海水が滝のように海面を打ち据え、無数の波を産み出した。
その様子をスノウは落ち着いたように見ていた。
先ほどまでの絶望感はなんだったのか?
前に戦ったエルダーヴァンパイアドラゴンロードと比べれば、その迫力は段違いだ。
すでに恐怖は無くなっていた。
だが、この巨大な獣魔と戦うには準備が必要だ。
さきほど由紀恵が見たキャラクターシートのスノウはフィアフェアリーシスターズ以外なにも装備しておらず、丸腰に近い状態だった。
それを解消しなければならない。
「……カレン、しばらくひとりで時間を稼げる?」
唐突に声を掛けられて、カレンは一瞬戸惑い、スノウを見た。その横顔に勇気を貰い、彼女は頷いた。
「……任せてください」 そう言って銃杖を両手に持った。
「……なんならわたくしだけで倒して見せましょうか?」
「……頼もしいね」
スノウが横目でカレンを見た。彼女もまた、スノウを見ていた。
互いに笑みを浮かべ、得物を手にした腕を上げて、軽くぶつけた。
固い音が響いた。
それを合図としたか、鎌首をもたげていた巨大な蛇の頭が一本、ふたりめがけて襲いかかった。
スノウとカレンは即座に左右に跳んでこれを避ける。
ついでとばかりにカレンが銃杖から炎弾を放った。
一般的な攻撃魔法スキル【シュートマジック】と補助スキル【エレメントスペル:火】を組み合わせた属性攻撃魔法だ。
基本的に、様々な効果を発揮する魔法スキルは、単体で使うことも多い。これにバリエーションを付加する補助スキルを組み合わせることで、効果範囲を広げたり、射程を伸ばしたり、効果を強化したりできるのだ。
TRPGは、コンピューターのような優秀な計算機を使用しないゲームだ。
故に複雑な計算は極力使用されないし、戦闘のルールもかなり手順化されている。
アールシア戦記TRPGではキャラクターの動作は抽象化され、主行動と副行動を中心に、魔法に限らず、PCの使うスキルは使用できるタイミングが決められており、同じタイミングのスキルは基本的にひとつしか使用できない。
だが、今スノウやカレンの戦っているのは現実の戦闘だ。
そのため、抽象的なそれとはスキルの使い方が異なるのは自明である。
それでも、スノウ《由紀恵》は戸惑う暇もなく、戦いの準備を進めた。




