第1話
カラリと晴れた空。
流れる白い雲。
その下に青々とした水面が広がり、波打つ。
その青一色の中にひとつ、色の違う点がある。
それは、波に揺られてゆらゆらと揺れ動いていた。
青の中にぽつんと白く浮かぶそれは、緩やかな曲線を描く丸みを持っており、片側になだらかな割れ目を持っていた。
その割れ目とは反対の方向に、わずかに沈んだ白い平野が続き、左右に広がる。
その先には細まった白が続き、唐突に日の光を照り返す金色が海草のようなものが広がっていた。
ぷかぷかと漂うそれに興味を惹かれてか、白い羽毛に黄色いくちばしの海鳥が一羽、舞い降りてくる。
軽くホバリングして、海面に突き出たその白くて丸い物体に着地。
した瞬間。
ビクッ!?
と、丸い物体が震え、驚いた海鳥は慌てて翼を広げて舞い上がった。
そして、広がる金色の辺りに、ボゴッ! と、気泡が溢れ出た。
ボゴッ! ボゴゴゴッ! ゴボゴボッ!
と、続けて気泡が海面で破裂し、ざばあっ! と金色の海草の塊が跳ね上がった。
「なっ! なびっ?! ばびがおごっ……」
上がった声はすぐに水に沈み込んでいく。
ばちゃばちゃと水音をたててさらに二本の棒が海中から飛び出し、振り回された。
よくよく見ればそれは、人である。
抜けるような白い肌に、金髪。
一瞬確認できた胸元の盛り上がりから、女性であろうことが推察できる。
どういった理由なのか、この女性は海原を漂っていたようだ。
「ごぼがばごべがべっ?!」
そして必死に両腕をばちゃばちゃと振り回している彼女は、溺れているようであった。
しかし、彼女の周りには船影どころか人影すら見えない。
つまり、彼女を助けられる存在はいなかった。
「がばごぼげぼごぼがぼっ!?」
海水を飲みながらも必死で声をあげるが、助けは現れない。
やがて、水を叩く音も必死の声も小さくなっていき、終いには海中へと没していった。
ざぁーん。ざざぁーん。と、さざ波が浜辺に打ち寄せる。
蒼い空と照りつける日の光を反射し、波打つ海。
砂浜に生息する小さな生き物が、みずからの餌を求めて動きまわり、空を海鳥が旋回していた。
人影の無い砂浜はとても静かで、しかし、命に満ち溢れた音楽を奏で続けている。
人の意思の介在しない、自然界の音楽だ。
そこにいきなりざっばぁっ! と、不協和音が混ざった。
「ぶっはぁっ!? じ、死゛ぬ゛がど思゛っだ……」
水しぶきを巻き散らしながら海中より立ち上がったのは、ひとりの女性……いや、少女と言った方が良いか。
少女は長い金髪と白を基調としたシャツとホットパンツを顔や体に張り付かせ、大量の海水を全身から滴らせつつ、ぜーぜー息を切らせながら肩を上下させていた。
かなり必死だったらしく本来なら整っているであろう顔が、親の敵を見つけたかのように険しくなっていた。
少女は重たい足取りでざばざばと海水を蹴立てながら浜辺へと向かい、やがて足まで水中から出ると、海水が入ったショートブーツをがぼんがぼん言わせながらしばらく歩き、そのまま浜辺に膝から崩れ落ち、四つん這いになった。
「ぜーは、ぜーはー……」
海の濃い塩水でやられて痛む喉を気にすることも出来ず荒い息を整える。
しばらくして落ち着いてきたところで、彼女は体を半回転させるように寝転がり、空を見上げた。
「……はあ、マジ……死ぬかと思った……」
蒼い空を見ながら少女は大きく息を吐いた。そして、ハタとなる。
「……つーか、なんであたしはこんなところに居るんだ?」
漏れ出たのは疑問。
それは当然かもしれない。
直前まで、彼女は海とは縁遠い都心に自宅の部屋に居たのだから。
「……確か、兄貴の部屋で部の連中と卓を囲んで……」
ぽつりと呟き、状況を反芻する。
卓を囲む、と言っても麻雀ではない。
テーブルトークロールプレイングゲーム。
通称TRPGをするために、コミュニケーションゲーム部のメンバーと集まっていたのだ。
テーブルトークロールプレイングゲームとは、その名の通りテーブル上で会話をしながら進めていくゲームだ。そのため、プレイすることを「卓を囲む」と表すことがあるのだ。
TRPGは、コンピュータゲームのロールプレイングゲーム……RPGの元祖とも言える遊びである。
TRPGでは、RPGで機械的に処理される部分やストーリーの構築を、ゲームマスター……GMと呼ばれる人に担当して貰い、その他のプレイヤー達は想像の世界のキャラクターとなって冒険に繰り出すのだ。
RPGとの違いは、提供されるストーリーはGM次第でいくらでも続けられる点。そしてゲーム機ではないため重い処理は無理だが、人間らしいその場で柔軟にシナリオが変化する点などが挙げられる。
彼女は、コミュニケーションゲーム部の創設者であり、学校のOBでもあり、現大学生の兄のGMでそのTRPGをプレイするために友人達と集まっていたはずだった。いままで三度、兄のGMでゲーム世界の危機を救うロングキャンペーンをこなしていた。今回、新たなロングキャンペーンを始める事になり、GMも兄から現部長の沢木先輩に変わることになったが、彼女は子供のように興奮しながらゲームの開始を待っていたのだ。
「……確か、沢木先輩が骨董屋で買ったっていう変わったダイスを振って……」
そのダイスというのは、六つの面にそれぞれ不思議な紋様が描かれたふたつの木製のダイスだった。
駄弁りながら沢木がそれを振り、なんらかのゾロ目が出た瞬間。
「……パアッと光が広がって……」
少女はそのときの様子を思い起こしながら身を起こした。
海水でグショグショの衣服が体に張り付き、ベトついて気持ち悪い。髪もへばりついていてうっとおしく思い、彼女は髪を掻き上げようとした。
ふと気付く。
「……なに? これ?」
手にした自らの髪をまじまじと見つめ、少女は呆然と呟いた。
海水に濡れながらも、太陽の光に負けないくらい力強く煌めく金糸の束。
「……嘘でしょ? あたし日本人だよ? 染めた覚えだって……」
つぶやく彼女は純然たる日本人で髪も瞳も黒だ。過去に外国の血が入った等とは聞いたことはない。
おしゃれの延長で金色に染めているクラスメイトは居たが、自身は染めるつもりなどまるで起きなかった。
信じられない面持ちで金糸の束を引っ張れば、頭皮が引っ張られて痛みを訴え、それが自分の髪であることを納得せざるおえなかった。
何がなんだかわからないく、ため息を吐いて、彼女は改めて髪を掻き上げた。
そこでさらに気づいた。
耳が……大きい。
「……というか、長い?」
いぶかるような顔で、両手で左右それぞれの耳たぶを触り、そのままなぞっていく。
彼女の耳は普通の人間ではあり得ないほどに左右に伸びていてその先端は笹の葉のように尖っていた。