愛生、卵焼き、オムライス
「もぉ、愛生ちゃんは容赦ないんだからー」
服を着た所長が赤くなった鼻を抑えながら不満げに呟いた。不満をぶつけられるいわれはないと、愛生は反論する。
「いい年した大人が仕事場で全裸にならないでください。僕ならともかく、他の研究員に見られたら所長として示しがつかないでしょう」
「それは大丈夫だよん。私は定期的に全裸になるから、みんなまたか……くらいにしか思ってないよん」
「…………」
愛生は言葉を失った。
彼女の名前は鋤崎小石。第27研究所の所長。腕だけは確かな研究者である。ぐるぐる眼鏡に大きな白衣。長い髪をツインテールという見た目からして目立つ女性で、実際学会の中でもちょっとした有名人らしい。その辺の事情を愛生は知らないが、まあそれでいいかなと思っている。愛生にとっては帝に次ぐ恩人で、そして生粋の変人。それだけわかっていればそれでいい。
「『きゃ☆ 愛生ちゃんのエッチ!』『ご、ごめんなさぁい』みたいな反応を期待してたのに愛生ちゃんってば問答無用で暴力に走るんだもんなー」
「いいから、早く検査を始めて下さい。余計なことは話さずに、黙って」
「愛生ちゃん。最近私に厳しくなってきたよね。だけどそこが好き!」
抱き着こうとする鋤崎を軽くあしらい、愛生は腕に巻かれたギプスを外し、包帯をほどいていく。そうして現れたのは肌色の地肌ではなく、黒い金属。光沢のない塗りつぶしたような黒色をした金属の義手が姿を現す。その義手は肩の先の方からついており、神経に直接接続することで殆ど自分の腕と同じように動かせる最新鋭の義手だったものだ。だったもの、というのは最新鋭の義手は愛生に宿った正体不明の力によって内側からその材質までも変化させられているからだ。地球上には存在しえない物質によって構成されたその義手は鋤崎にもどういった仕組みで動いているのかわからなくなってしまっている。もとは銀色に輝いていたフォルムは今はただ黒く、黒くなってしまっている。
むき出しとなったその黒い腕に鋤崎は触れる。
「何度見てみてもおかしなもんだよねい。ドリル使っても傷さえつかなかったし、びっくりするくらい軽いし」
黒い腕を握って上下させて鋤崎は呟く。
「これだけ軽いってことは中の人工筋肉も変質してるんだろうけど、頑丈すぎて確かめることもできない。ほんと、どうして動いてるんだろうねい、愛生ちゃん」
「それがわかったら毎週鋤崎さんのとこになんか来ませんよ」
「だよねー」
軽い口調でそう言って、鋤崎は腕からなぞるようにして肩に手を伸ばした。
「動き自体に問題はないんだよねい?」
「はい。むしろ前より軽くて快適ですよ」
「ふーん」
思案するように肩に触れた手を動かす。その様子を愛生は見つめる。眼鏡の隙間から覗いた瞳は想像以上に真剣だった。
「何度も確認するようで悪いけど、愛生ちゃんが土山と戦った時は、この腕、もっと違う形をしていたんでしょ?」
「はい。もっとこう、人工的というか、角ばった兵器みたいな形でした。今みたいな普通の人の腕の形ではありませんでした。気づいた時には戻っていたので、僕もよくわかんないんですけど」
「ふんふん。形質変化と形状変化。そして肉体強化……いや、侵食と言った方がいいのかな?」「侵食?」
その言葉の意図がわからず、愛生が首を傾げる。それを見て笑った鋤崎が立ち上がり、近くの棚に保管されていたいくつかの試験管の中から一つを持ってきた。
「これ、愛生ちゃんが能力発動した二日後くらいに取った血液ね」
鋤崎が差し出したその血液は黒ずんだ赤色。
「静脈血ですか……?」
「一見するとそうだけど、実は違うんだよね。別にこの血液は二酸化炭素を含んでいるわけじゃないのよ。この血液が含んでいるのは、愛生ちゃんのその黒い義手。それを構成する原子。そうだね……ここは仮に存在しないはずの原子。n原子と名乗っておこうか。これが含まれている。黒く見えるのはそのためなのかもね。で、こっちは発動から一週間後の血液だよ」
そうして見せられたのは鮮明な赤色をした自分の血液だった。まるで色が違う。
「これって……」
「仮説を立てるとすれば、このn原子は愛生ちゃんが言っている黒い刺青みたいな影を構成する物質なんだろうね。それが義手の形質と形状を変え、そして君の体に駆け巡るように広がった。その時の名残が血液に残留していたんだろう。つまりこれ、どういうことだかわかる?」「……n原子は、僕の体の内部にまで入り込んできていた」
「そういうこと。ま、内部に入り込むというよりは義手の様子を見るにむしろ内部から発生する類いのものかもしれないけれど、重要なのはそこじゃないのよん。たかが三日でも、能力の発動後もn原子が残留し続けた。それって結構やばいことかもしれないのよ。ただでさえ正体不明の能力に正体不明の原子。それが血液に残留しているっていうのは、怖いことだよ。今のところ愛生ちゃんの体には何も起こっていないようだけれど、いつ何が起こるか予想もつかない」
鋤崎は低く、真面目な声で愛生に告げた。
「この能力は、絶対に使わない方がいい。次に発動した時、前回以上のn原子が流れ込んでしまうことも考えられる。そうなった時、愛生ちゃんの体に起こる変化を私はどうしてあげることもできないと思うから」
くだけた態度を一変したその忠告に愛生は気圧される。ぐるぐる眼鏡の奥の瞳が真剣に自分を見つめていることがわかると、少しだけ目を逸らしたくなってくる。
やましいことがあった時、人は目を逸らすものである。愛生もその例外ではなかった。
「わかった? 愛生ちゃん」
「は、はい」
うわずった声で答える愛生。その態度に何か不信を抱いたのか、鋤崎が疑うように愛生の顔を覗き込む。
や、やばいと内心冷や汗をかく。気づかれないように表情は固定するが、それもどれだけ効果があるものか。
「愛生ちゃん。何か私に隠し事してるでしょう」
にっこりと満面の笑みで鋤崎が言った。あまりにも図星な指摘。鋤崎の笑顔は愛生にとって恐怖の仮面のように見えた。怒るとこんなに怖い人だったのかと思い、冷や汗が現実のものになったところで鋤崎が嘘のように優しい声で告げた。
「怒らないからおねーさんに話してごらん」
「いや実はこの前五階から垂直落下するクラスメイトと遭遇しまして、その時に思わず能力発動させてしまったんですよ」
「ふざけんなああああああああ!」
怒られた。
凄い形相で怒鳴られた。
愛生は思わず両手で顔を隠して悲鳴をあげた。それを全く無視して鋤崎は怒鳴りちらす。
「思わず使っちゃったって、軽率にもほどがあるよ! 浅はかすぎるよ! 浅はかなり! 浅はかなりだよ!」
「す、すみません」
顔を隠したまま頭を下げる。簡単に収まる怒りではないのか、鋤崎は「ぐぬぬぬぬ」と歯を食いしばって愛生を睨みつけ続けた。
怖い……。
「てゆーか、初めて使った時に暴走したのによく使う気になれたね!?」
「その、使わないと絶対間に合わないと思ったら、思わず……」
「…………」
鋤崎はしばらく黙ったあと、仕方ないなとでも言うようにため息を吐いた。
「まあ、いいよ。愛生ちゃんだもん。そりゃ使っちゃうよね。むしろそこで使わなかったら私は怒ってたよ」
「じゃあなんで怒ってたんですか……」
キッ、と睨まれて愛生は反射的に謝った。よくわからないが、大人しくしておくに越したことはないようだ。
「もういいから、いい加減顔隠さなくていいよ」
言われて、愛生は顔を隠すのをやめて鋤崎を見た。まだ不満はあるようで、鋤崎は不機嫌そうに腕を組んだ。
「それで?」
「それでと言いますと?」
「使ったんでしょ能力。暴走とか、そういうのはなかったのかい?」
「なかったです。と言っても、この前よりかかなり力はセーブしてましたけど」
「じゃ、出力を抑えれば使いこなせないこともないってことか……。前回は初めての発動で力を出し過ぎたから暴走したってことかにゃ? 参考までに全力を一〇として、今回はどれくらいの力でその落ちてきた女の子とやらを助けたの?」
「一くらいですかね……」
「……じゃ、前回暴走した時は」
「三くらいです。それでも、必死に抑え込んでいたんですよ」
「それってつまり、殆ど使いこなせていないってことだよね」
鋤崎は困ったように頭をかく。愛生自身もこの現状にはかなり困っている。出力を抑えれば使えないこともない力。しかしそれでも完全に使いこなせるのは精々二割程度で、それ以上は暴走してしまい手に負えなくなる。その暴走ですら三割の状態だったと言うのだから、もしこの力を全て解放してしまえば……。
「多分、僕は死にますよね」
思いついたことを、そのまま愛生は口に出す。それに釘をさすように鋤崎が多分じゃないと告げた。
「絶対だよ。全力を出したら絶対に死ぬ。愛生ちゃん筆記の点数だけはいいんだから、能力暴走の危険性くらいわかるでしょう? まあこの力を超能力と同じ風に考えるのはナンセンスだけれども、それでも危険性で言うならば同じ、いやむしろこっちの方がデカいのよ。なにせ、正体不明の物質まで体に流れ込んでいるんだからねい」
鋤崎が苦々しい顔で続ける。
「私としては、例え一割だろうと制御可能っていうのがわかっちゃったのは痛いというか、都合が悪いよ。だってそれわかっちゃったら、愛生ちゃん絶対使うじゃん」
「そんなことないですよ。僕だって不用意に発動したことは反省しているんですから」
「じゃ、もし例の幼なじみちゃんがピンチになった時、力を使えば助けられる。でも自分は死ぬ、そんな状況になった時、愛生ちゃんはどうするのかな?」
鋤崎の問いに、愛生は言葉を詰まらせた。そうして悔しそうに、諦めたような声で答える。
「その質問はズルいですよ」
「わかって言っていることだよ。まあこんな都合のいい状況になることなんて滅多にないだろうけどさ、でももしもって時、愛生ちゃんは迷わず全身全霊全力で力を解放して死んじゃいそうじゃん。そういう危なっかしさ、帝さんから何度も指摘されてたよね」
言われて再び、愛生は言葉を失くす。そんなことはない、自分は弱い人間なのだから、そんな簡単に命を投げ出せない。うじうじと迷った挙句、何も救えないのが関の山だと。
そう言い返せばいいのに、何故か言葉にならない。
「……」
黙ってうつむくだけの愛生をしばらく見つめて、不意に鋤崎は掌で愛生の髪をかき回すように撫でた。
「ま、あんまり虐めるのも可哀そうだから、この辺でお開きだよ。何言ったって最後には使っちゃうのが愛生ちゃんだし、そういう所、やっぱり私は好きだしねい」
そう言って愛生の頭から手を放すと、鋤崎のはいつもの笑顔に戻っていた。
「でもくれぐれも注意しなきゃ駄目だよー? この力はどうあれ、君の体を滅ぼすものなんだから」
「侵食、でしたっけ?」
「そ、侵食。侵し、食らう。私の仮説ではそれがこの力の大元だよねい。形質変化も形状変化も侵食の上にある力だと思うよ。この力はあらゆる物体、固体だろうと液体だろうと侵食し、内側から形質や形状を変えていく。愛生ちゃんが強化能力さながらのパフォーマンスを発揮できたのも、体にn原子が侵食したせいなんだと私は考えている。暴走すれば死ぬし、暴走しなくても侵食によって死ぬかもしれない。これはそういう力なんだと考えておいてね」
それだけ言って、鋤崎は立ち上がる。
「またn原子の残留度を調べたいから、とりあえず血液だけ少し採らせてねい。それで今日は帰っていいから」
どうやら今日の検査は殆ど終わりのようだ。検査らしい検査は何もしていないということは、初めからただ忠告をするために愛生を呼び出したのかもしれなかった。
その力は、自身を滅ぼす力なのだと。
それをきっと、愛生は使ってしまう。彼女はそれをわかった上で忠告してきたのだ。その意味がわからないほど、愛生は馬鹿ではなかった。そして素直に、その気持ちはありがたいと思う。
「ありがとうございます」
思っていたことを、またそのまま口に出した。鋤崎は何の礼なのかわかっていない風だったが、追及してくることもなかった。
「あ、そうそう愛生ちゃん」
血液の採取も終わり、部屋をあとにしようと言う時、鋤崎は愛生を呼び止めた。
「詠唱考えておいた方がいいよ。全力を出すためのじゃなくて、力をセーブするためのをねい。一割、二割、三割と段階的に力を解放できるようなものをさ。どうせ使っちゃうにしても、少しでも暴走の危険は抑えないとだし。何か考えて、早めに修行しておきなさい。おねーさんとの約束だ」
笑いながら言う鋤崎に愛生は頷きを返して、研究所を後にした。
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第27研究所をあとにして家に帰り、夕食を済ませたあと、愛生はリナリアと一緒にソファに座ってアニメを見ていた。引っ越しの際、乾が全ての家具をここに運んできてくれてはいたが、家具家電一式揃っている部屋で、しかもその家具家電類が愛生が元使っていたものよりも数倍値の張る最新型だったのでほとんど昔のものは処分してしまっていたのだが、唯一これだけは手放せないと取っておいたソファ。帝からの贈り物である黒いソファに深く腰掛ける愛生。その膝の上で愛生の胸に体重を預けるようにしてリナリアが座っている。
彼女の灰色の髪からは千歳がくれた香りの良いシャンプーの匂いがした。同じものを使っているはずなのに、自分の髪はここまで香らないよな、と不思議に思いながら彼女の腰に手を回した。するとアニメからは目を離さないままリナリアは腰ごと体を愛生により近づける。そうすることで、彼女の香りと体温が強くなった。
今、二人が見ているのは先日宝守から借りた『魔法少女ギリギリ真美子』と呼ばれる作品。一九歳という十代のフレッシュさギリギリ、ついでに単位もギリギリな大学生真美子がひょんなことから魔法少女になってしまい悪の組織と戦う羽目になってしまったのだが、就活が始まる前に魔法少女を引退したい、そしてできることなら魔法で単位をどうにかしたい真美子がその割とギリギリな願いのために悪戦苦闘する物語である。
正直愛生にはよくわからない話だ。日曜朝の子供向けアニメだと謳ってはいるものの、その内容は結構ギリギリ。真美子は就活前に引退したいので、従来の魔法少女ものの事件が起きてから動くというスタンスではなく、むしろこちらから積極的に悪の組織に喧嘩を吹っかけ「もうやめてください!」と組織の設立者であるカボタン将軍が仮面の下から涙を流して許しを乞うまで戦い続ける様など、本当に子供向けなのかどうか非常に怪しいものだった。
まあ他でもないリナリアが好んで見ているのだから、子供向けというのも嘘ではないのだろう。時代は移り変わるもの、今の子供はこういうものを好むのだ。自分が子供の時はどんなアニメを見ていたのかと思い出そうとするが、しかし全く浮かばない。もしかしたらそもそも見ていないのかもしれなかった。
リナリアくらいの歳の時は、もうすでに帝さんといたからなぁ。
テレビを見ている暇も、なかったような気がする。
画面ではキラキラとした可愛いオープニングが流れている。本編と内容が殆ど違うような気がするが、そんなものなのだろうか。
リナリアは何も言わずに黙ったまま画面を見つめている。
好んで見ているんだよな……?
少し不安になったが、時折漏らす「ふへ、ふへへ」という笑い声のように聞こえなくもない音が不安をかき消す。というか塗りつぶしていく。画面では組織の呪いによって喜美子のお父さんのパンツが全て白のブリーフに変えられているところだが、正直それよりもリナリアの声の方が気になって仕方ない。
「ふ、ふへふ」
また例の声。
多分これ、笑ってるんだよな。自信はないが、そうだと思う。その後アニメを見終わるまでに三回ほど似たような声が聞こえてきたので間違いないだろう。愛生はなんだかおかしくなってしまって吹き出しがら、
「リナリア、お前笑うの下手だな」
と言った。するとリナリアは拗ねるような瞳で愛生を見て「うるさい」と小さく呟いた。
「別に、いいじゃん」
「でも『ふへ』はないだろ」
「別に、いいの」
今度こそ拗ねたのか、リナリアは愛生から視線を逸らした。ごめんごめんと笑いながら頭を撫でてやると、また顔を合わせる。リナリアの瞳がじっと愛生を見つめる。
ま、冷静に考えれば、笑い方が下手っていうより慣れてないだけなんだろうけどな。
リナリアの出自やこれまでの暮らしを考えれば、それは至極当然のことのように思えた。何しろ彼女は、感情というものを殺して生きてきたのだから。感情を抑え、殺してしまわなければ、とても生きて行けないようなところに、彼女はいたのだ。それでも最近は感情の片鱗のようなものを見せてきてはいるので、いつかはきっと慣れるのだろう。
まだ九歳の子供だ。これから学ぶことは多い。その中で少しづつ進んでいくこと、そしてできれば、彼女のそんな成長を見届けたいと愛生は思う。
「愛生」
と、リナリアが愛生の顔を覗き込みながら名前を呼んだ。
「愛生、なんか疲れてる」
「え?」
「小石にいじめられたの?」
そう言われて思わず苦笑。よく見ているんだな、と思う反面そんなにわかりやすかったかなと自分の態度を思い返してみるがよくわからなかった。良くも悪くも気を抜いていたのだろう。
そういうわけじゃないよ、と愛生はリナリアの言葉を否定する。
「ただ僕が馬鹿やったから、少し怒られちゃっただけだよ」
「それで、愛生は落ち込んでるの」
違う違うと笑って返す。
「ただちょっと考えなきゃいけないことがあってさ。……リナリアは詠唱って知ってる?」
ためしに聞いてみたが、リナリアは首を横に振った。まあそうだろうなと愛生は簡単に説明。
詠唱とは自らに語りかける言葉。集中力のスイッチとなる言葉のこと。
「リナリアみたいな常時発動型や、僕みたいにそもそも能力のなかったやつには殆ど意味のないことだけど、僕はもうそうも言ってられなくなったからね」
「あの、《黒》のこと?」
リナリアが《黒》と呼ぶのは、愛生に宿ったあの正体不明の力のことだろう。そうそうと頷く心の中では少しだけ感心していた。
《黒》と呼ぶのは実に的確で、いいなとそう思ったのだ。まさしくあれは《黒》としかよべない。そういうものだったから。
「その《黒》を制御するための詠唱を考えておきなさいって、鋤崎さんに言われたんだよ」
愛生などはよく知らないが、通常超能力を行使するにはそれなりの集中力を要する。いくら生まれつき持ち合わせた才能だからといって、片手間で行えるほど甘くはないのだ。半端な集中で行使すれば、その力は持ち主すら傷つけかねない。
そのために詠唱を超能力者は誰しも持っている。集中力のスイッチ。原理としては気合いを入れる時にパンパンと頬を叩くのと大差ない。ただそれを暗示のレベルにまで引き上げたものが詠唱なのだ。
学校ではそういった詠唱の授業もなかったわけではないが、しかし能力を持っていなかった愛生はどうもコツを掴むことができず、テストに出るわけでもないのでたいして熱心に学んではいなかったのだ。まず最初に暗示に使う短い言葉を考えなくちゃいけない等、どうすればいいか頭では理解しているのだが、それだけだった。
「どうしたもんかなーってさ」
自分の膝に乗る小さな女の子に愚痴のような言葉を吐く。リナリアはそれを受けて、首を捻る。当然常時発動型の彼女が詠唱を持っているわけもなく、愚痴っても意味はない。
それでも、リナリアはわからないなりに考えてくれているようで、しきりに首を捻っては戻し手を繰り返している。
「まず、言葉を考えなきゃいけないんだよね」
「そうだなー。まずはそこからだな」
「とりあえず、好きな言葉にしてみたらいいの」
「好きな言葉? 例えばリナリアならどうする?」
「愛生。卵焼き。オムライス」
「……それ、好きな言葉というか好きなものじゃないか」
この幼女の愛情は自分と卵に注がれているようだった。
「愛生は、リナリアと千歳にすればいいの」
「なんかやだなぁ、それ……」
すると、リナリアが自分の服の袖をキュッと掴んで言った。
「愛生は、リナリアのこと嫌いなの?」
「そんなわけないだろ」
それを、愛生は殆ど反射で否定した。
「僕は好きだよ。リナリアが大好きだ。勿論千歳も」
リナリアはほっとしたかのように更に体重を預けてきた。それに呼応して、彼女の小さな体を優しく抱きしめる。
別に自分だってリナリアが嫌いなわけじゃない。そんなことはない。ただ、あの禍々しいとも言える能力のスイッチをリナリアにしたくなかったのだ。あの《黒》は彼女には間違っても似合わないだろう。
詠唱についてはあまり焦っても意味はないだろうし、あとで千歳にも相談しようと自分の中で決着をつけたが、しかしリナリアはまだ何か考えていたようで無表情を若干だけきりりっとさせて、
「愛生の好きなもの……コロッケ、とか」
「食べ物から離れてくれ」
よく見てはいるんだけどなぁ、と愛生は苦笑した。