昼休み
我王愛生。肩書きで言うならば、元始末屋助手。超能力者兼無能力者、といったところだろうか。超能力者でありながら無能力者であるという矛盾を抱えた彼をとりまく事情もまた複雑怪奇ではあるが、しかしそんな過去を思い出す暇もなく、愛生の日々はやることだらけの大忙しだった。
灰髪の少女。
名をリナリア。
現在、愛生と生活を共にする九歳の女の子。彼女は日本に六人しかいないとされるフェーズ7。その七番目の人物として政府によって存在をひた隠しにされていた過去を持っている。愛生にとっても唯一無二の恩人である我王帝に助け出されてからは、愛生がその護衛兼生活係として彼女を守っている。守っている、といっても帝が紹介してくれた現在の住居の防犯設備は充実しており、愛生が護衛の任務を果たすときはリナリアと一緒に外に出歩かなければならない僅かな時間だ。どちらかというと彼女の生活係として食事の支度や日々の面倒を見なければならないことが愛生にとっては負担だった。毎日の献立を考えなければいけないのは、これで結構大変なのだ。
そして、愛生はリナリアのことだけでなく、自分の身を心配する必要もあった。先日の事件の際に覚醒した正体不明の能力のことだ。現段階でわけがわからないことだけがわかっている謎の力であり、腕だけは確かな(性格に難あり)研究職の人間が言うところには、
「なんだかよくわかんないけどー、とにかくこれが一般に言われている超能力ではないことは確かだねい」
とのこと。その言葉通り、脳波の検査など超能力発生に関する様々な検査を行ったが、どれも全く反応はせず。結果としてESP細胞があるということ以外、愛生に超能力を持っているという証拠は見られない。つまり、覚醒前と変わらずだ。
そんな不思議能力の心配は愛生の精神にそれなりのダメージを与えている。それに加えて学校では期末試験も迫ってきており、もう本当に忙しくて首が回らないと愛生は嘆いていた。
だからこそ、こういった学校の中でも唯一休める時間が愛生にとってはとてもありがたいものだった。
時刻は一二時半過ぎ。丁度お昼休みの時間である。
「お、愛生はまた弁当か」
愛生の机に自身の机をくっつけながら、一人の男子生徒が愛生に話しかけてきた。
「しかし年がら年中パンばかり食っていた超絶パン派のお前がどういう風の吹き回しなのだ? 最近毎日のようにお弁当じゃないか。さては彼女でもできたか」
「早まるな馬鹿。彼女とかじゃないよ」
「ならば一体なにゆえだ?」
「……その、ほら。パンばっかだと栄養偏るじゃん……?」
自分で言ってみてこれはないなー、と思っていたが言われた男子は「なるほど」なんて妙に納得した顔で席についていた。
「……」
「ん? どうした愛生。俺の顔に何かついているのか?」
「いや、別に」
まあ深く詮索されないならそれがいいのだが。なんだかなぁ、と愛生はため息をつく。
「これ、ため息をするもんじゃない。幸せが逃げていくぞ」
そんな古風なことを言われて、愛生はじっと自分の正面に座る男子生徒を見る。
男子にしては少し長めの黒い髪。一八〇センチの長身の男が仏頂面でそこに座っている。
彼の名前は宇治切助。この学校において、愛生の数少ない友人の一人だ。
愛生は友人の数が極端に少ない。健全な高校生であればそれで大丈夫かと言われるほどにだ。元々愛生はラボラトリにおいて特殊な立ち位置だ。能力者ではあるが、なんの力もない。それはつまり超能力研究を推し進めるラボラトリにとっては重要ではない人間であると言うことだ。あくまでも研究機関であるラボラトリでは超能力の力、フェーズは高い方が優遇される。高フェーズの方が全体的な人数が少なく、貴重であり、それと同時にフェーズが高いということはそれだけ強いということ。だからラボラトリはそんな貴重な高フェーズ能力者を確保、またラボラトリに対して反旗を翻さないように優遇措置をとるのである。その一つがラボラトリ内の学業課程における超能力科目の導入だ。
ラボラトリは『超能力』という科目を小学校の一年次から導入した。『超能力』は大きく実技と筆記の二つに分けられる。筆記の方は様々な能力を知り、自分の持つ超能力という存在をより理解するための純粋な勉強だ。しかし実技では様々な能力という大きな枠ではなく自分の持つ能力という個人の枠を見る。つまり、能力の強さ、フェーズの高低、希少性だけを見る科目なのだ。それは個人の生まれ持った才能だけを評価する科目ということ。
そして『超能力』という科目は中学や高校の受験の必須科目に割り当てられている。必然的に高フェーズの能力者ほど良い学校に進めることになっているのだ。
愛生の通う直塚高校はフェーズで言うならば大体3~4の中位能力者の集まる所である。そんな高校に愛生が入学できたのは自身の努力あってのことであった。超能力科目の筆記、またその他の科目に置いて愛生の成績はかなり高い。能力さえまともにあれば、もっと上に行けるほどにだ。しかしそんな愛生の努力もあまり報われたわけではなかった。中位能力者の通うこの高校に置いて、愛生の存在は珍しいを通り越して異質だったのだ。生徒たちはみな愛生を腫れ物か何かだと思っていた。それでも、歩み寄る機会はあっただろう。しかし帝と一緒に小学中学時代を丸々世界各国を飛び回る事に費やしていた愛生は同年代との付き合い方がよく分かっていなかったのだ。
端的に言えば、愛生は友達作りに失敗したのである。
早々に学校のイレギュラーというレッテルを張られ、愛生がもう友達作りを半ばあきらめていた頃、宇治という人物に出会った。一年次は別のクラスだったはずだが、宇治は愛生のクラスにひょっこりと顔を出すようになり、そのままなんとなく仲良くなった。きっかけは覚えていないが、それ以来二年三年と友人をやっていることだけは確かである。
宇治切助も変わり者で有名なので、いいコンビと言えばそうなのだろう。
ただ、目立つことを嫌う愛生にとっては自身のレッテルも変わり者の宇治もあまり歓迎できるものではなかった。
それでもこうして毎回昼休みになれば机を向い合せて一緒に食事をとるのだから、やっぱりいいコンビなのかもしれない。認めたくはないが。
愛生は何か諦めたような顔で弁当の蓋を開けようとして、宇治に止められた。
「待て愛生。いつもの儀式がまだだ」
言われて、またかと思いながら愛生は弁当箱を宇治に差し出す。宇治はそれを受け取ると、弁当箱の蓋の部分に手を当てた。
「解析」
そして、一言だけそう呟いた。
それは詠唱と呼ばれる言葉。能力者ならば誰しもが持つ、自身の集中力のスイッチとなる言葉。言葉自体に意味はない。ただ自身に語りかけられるならなんでもいい。超能力という埒外な力を扱うための集中力を引き出すもの。それが詠唱だ。
一言呟いた宇治は数秒そのまま硬直し、弁当箱から手を放した。ふぅ、と一息つくと弁当を愛生に返す。
「卵焼きとハンバーグ。あとかぼちゃの煮つけか。卵焼きは少し甘めに作ったようだな」
と、なんでもなさそうに言うのだった。
「毎度毎度、お前の能力は確かに凄いとは思うけど。でも宇治、何も毎回僕の弁当をテストする意味はないんじゃないか? 蓋を開ければ中身なんて一目瞭然、食べれば味だってすぐわかる」
「別に俺は便利だから能力を使っているわけではない。毎度毎度手間だとは思うが、許せ友よ。これも修行の一つだ」
すっと、修行僧のようにピンッと伸ばした掌を自身の前に掲げる宇治。
「修行って、超能力のフェーズは基本的に上がりも下がりもしないもんだろ。これでお前の実技の成績が上がるわけじゃあるまいし」
「それはそうだが、しかしせっかくの力だ。十全に使えるに越したことはない。能力の強さと扱いの上手さは別物だ」
「そんなものなのかな」
「そんなものなのだ。だから愛生」
と、宇治は少しだけ真面目な顔をして、
「お前のその左腕。俺がテストしてやってもいいのだが」
宇治が指さすのは愛生の左腕。肌が見えなくなるまで包帯を巻かれ、ギプスをはめて固定されている。
愛生は少しだけドキリとしたが、それを気取らせないように平常に答えた。
「いいよ。医者に診てもらってんだから、わざわざお前に見てもらう必要はない」
「ふむ。それもそうか」
そう言って、宇治もまた弁当箱を取り出す。重箱のように大きなそれを見ながら、よく食べるなぁと愛生はいつも思っていた。宇治が早速食事を始めたところで愛生は自分の弁当箱を開ける。おかずは卵焼きとハンバーグ。そしてかぼちゃの煮つけ。
いただきます、と合掌。するとその瞬間、
「ちょっと切助」
と横合いから宇治に語りかける女生徒の姿を見た。
「ん? なんだ委員長。俺に何か用でもあるのか」
委員長と呼ばれた女生徒は不機嫌を隠そうともしない表情で宇治に詰め寄る。
「あるわよ、おおありよ! 来年の選択科目のプリント、出してないのもう切助だけなんだけど? 早く出してよ。先生の小言聞くのはあたしなんだから」
彼女の怒りに連動して濃い茶色をしたポニーテールの尻尾がふりふりと揺れるのを犬みたいだと愛生が見つめていると、宇治が箸を置いて委員長に告げた。
「残念だが、君にプリントを渡すわけにはいかないな」
「はぁ? なんでそうなるのよ。あのプリントを集めるのはクラス委員長でもあるあたしの仕事なの。同じクラスメイトなんだから、協力してよね」
「それは無理な相談だ」
「だからなんでよ!」
「何故なら、既に俺はプリントを紛失しておるのだ。ないものは渡しようがないであろう」
「……」
委員長の額に青筋が浮かぶのを愛生は見た。怒りに任せて髪の尻尾は更に揺れる。
「あんたの言い回しってほんっと嫌い!」
「そう言うな。俺はお前のことを割と快く思っているぞ。クラスのために頑張る奴はいい奴だ」
「うるさい変人」
拗ねるように、委員長は宇治から視線を逸らす。
「……プリント失くしたんなら、今日中に職員室に取りに行きなさい。明日忘れたら承知しないんだから」
それでも、最後まで面倒を見ようとするのは委員長故か。宇治もそれ以上は何も言わずただ黙って頷いた。
「あ、それと我王くん」
宇治への要件は終わったらしく、委員長は今度は愛生に話しかけてきた。キリッとした目が愛生を見つめる。ただ、そこに宇治と対峙していた時のような鋭さはなく、視線もまるで照れるかのように逸らして愛生に一冊のノートを差し出した。
「こ、これ。我王くん。前にしばらく休んでたじゃない? その時のノートなんだけど、よかったら使う? もうすぐ期末だし……その、この前助けてもらっちゃったし」
「え、いいの!」
愛生にとってその申し出は素晴らしく魅力的なものだった。愛生の数少ない友人である宇治の成績はお世辞にもいいとは言えないものでノートもとっていない。他にノートを借りれるような友達もいないので、丁度困っていた所だったのだ。
「でも、これ借りちゃったら委員長が勉強できなくなっちゃうんじゃ……」
「それは大丈夫よ。それ、写しだから。あたしの分はちゃんとあるわよ」
「なんと……!」
自分のためにそこまでしてくれるなんて、と愛生は感動すら覚える。しかし別段委員長と仲良くしていた覚えはない。その快活な性格のためか、腫れ物扱いの愛生にも臆することなく話しかけてくれるというだけで、友達とまではいかないだろうと言うのが愛生の認識。そんな彼女がどうして自分に……、と少し考えて結論が出た。
「あ、そっか。日曜に委員長がベランダから垂直落下したときの――」
そこまで言って、愛生の頬に委員長の見事な右ストレートが飛んできた。たいしたダメージではないが、意外と容赦のない一撃だったのでもの凄く驚いた。バクバクと心臓が鼓動を速める。殴ったことを謝るわけでもなく、委員長は愛生に耳打ちする。
「ちょっと! それは内緒って約束でしょ!」
「そ、そうでした」
そういえばそんな約束もしていたようなしていなかったような……。何分当時は空から知り合いが降ってくるというちょっとした不思議体験だったので、あまり記憶が鮮明ではないのだった。
「と、とにかく。あたしも期末頑張るから。我王くんも頑張ってよね!」
そう言って、委員長は教室を飛び出していった。購買にでも行くのだろうかとしばらく彼女が出て行った扉を見つめていると、宇治が不意にこぼした。
「二人して俺を差し置いて内緒話とは。一体何を話していたんだ?」
「内緒なんだから言えるわけないだろう」
「まあそうだろうな」
しかし、と前置いて宇治は続ける。
「委員長も変わった人だな」
「お前にだけは言われたくないだろうけどな」
「彼女の能力、それなりに希少性があるはずだろう。なのにこんなフェーズ相応の高校に通っているのは変わっていると言ったんだ。上の学校の方が優遇措置も多くなる」
「そんなの本人に聞けばいいじゃないか」
「前に聞いたがはぐらかされた」
「お前が聞いたらそうなるかもなぁ……。でも、僕みたいにたいした理由もなく能力もないのに上のとこにいる変な奴もいるくらいだし、別に変ってるってほどでもないんじゃないか?」
「だとしても、レベルを下げるものだろうか」
思案顔でそう言って、宇治は躊躇いなく愛生の弁当に手を箸を伸ばして卵焼きを一つ奪っていった。愛生が文句を言う前にそれを口に放り込み、美味いなと言いながら咀嚼する。
「まったく……」
呆れながら、また取られる前にと愛生は卵焼きを急いで口に運んだ。ふと、今日は卵焼きがいいと言っていたリナリアの顔を思い出した。
++++++++++
学校が放課後を迎えても、愛生の忙しい日々は終わらない。宇治に別れを告げると愛生は早速ある場所に向かった。学校からそう遠くないそこは超能力研究特別区域第27研究所。愛生のもう一人の恩人でもある人物が所長を務めるラボラトリ直属の研究施設だ。愛生は所長の呼び出しに応じてここに来ている。
ガラス製の大きな扉を開けると、少し広めに作られたロビーが顔を出す。そこの受付に座っている人物に挨拶をしてから中へと進む。途中、数人の子供とそれを追いかける白衣の研究者とすれ違った。最近になって子供たちの養護施設も併設されたので、こういった光景もこの研究所では日常の風景になりつつある。ただ子供たちを追いかける男の目が意外と本気だったのは、多分悪戯でもされたのだろう。
エレベーターに乗って七階へ。廊下に出て突き当りの部屋。愛生の目的の部屋だ。そこにこの施設の所長がいるはずである。
「失礼します」
扉をあけながら部屋に足を踏み入れる。すると、そこには全裸の所長がセクシーに見えなくもないポーズをとっていた。
「……」
愛生は無言で持っていた鞄を変態に投げつけた。