女王陛下と青い竜
女傑国。
それはある国の通称で、名の通り女性が強い国である。家の大黒柱も女性で、もちろん君主や領主といった存在も女性であることば多い。大体、男性社会の他国とは逆だった。
若き女王ヴィカは、その日、隣国から招いた第一王女とお茶会をした。
女傑などと呼ばれているのだが、別に乱暴で粗暴な女ばかりというわけではない。確かに気の強い女性が多いが、基本的に上流階級に属する者の気質はごく普通のものだ。
「ねぇ、マーヤ」
ヴィカはお茶会の席で、王女の付き人としてきた女性騎士に声をかける。
「あの竜なのだけれど、あの子が気に入ったから、わたくしにくれないかしら」
「え?」
にこにこ、と笑顔のヴィカが指をさしたのは、中庭の隅に警護の一環で竜のまま待機している騎士の一人だ。美しい青い鱗は、ヴィカが好むサファイアのようで気に入ったのだ。
この国に竜はいない。
存在しないことは無いのだが、あまり血が濃くないようなのだ。
どうせ、前から変化できずとも竜を一人は、と下の者がうるさかった。なら、気に入ったのを手元に置くぐらいのワガママは、きっと許されるはず。ヴィカは考えて、マーヤに言う。
「お願い、あの子が好きなの」
「ま……まぁ、大丈夫です。構わないと思います。むしろ、その、どうぞ」
「あら、上や本国の指示はよいの?」
「あの子もその、ここがいいと言っていたので……これも、いい経験になると、はい」
隣の王女に半ば睨まれながら、マーヤは言う。これもまた国同士の繋がりになるから、と言いたそうなその目は、彼女は幼くともまぎれも無い王女――王族であることを気づかされた。
決して、自分の縁談相手として名を上げられているから、追い出そうとしている、とか。
あの子がいる限り、ひとり立ちできない限り、想い人が振り向かないとか。
そんな理由ではないと、マーヤは信じたかった。
「ありがとう、マーヤ。大好きよ。それで、あの子の名前は?」
「シルスです」
そう、とヴィカはつぶやき、立ち上がるとすぐさま竜の元へ。
「ねぇシルス、ずっとわたくしの傍にいなさい」
そういって腕を広げると、シルスという名の竜は猫のように喉を鳴らす。そしてヴィカの頬や首筋に頬すりをしたり軽く舐めて、すっかり甘えている様子を見せた。
それをマーヤは、心底不安そうに見ていた……。
■ □ ■
青い竜が、女傑国の女王に預けられて数年。
竜――シルスは十三歳になっていた。見た目は年上の兄や、あるいは亡き父に似た屈強な竜にして男性となり、実年齢より三つ四つ上に見られるのは日常の光景となっている。
そんな竜を眺めるヴィカは、憂鬱だった。
彼女は今年で二十一。ちなみにシルスの姉であるマーヤも同い年で、二人共通の悩みは結婚相手が見つからないことだ。もっとも、事情は若干異なっているのだが、ヴィカは知らない。
まさか、あのマジメそうな女騎士が第二王子に追い回されて、違う相手を探そうにも見つからずに国外逃亡すらも図り、現在件の王子の部屋に軟禁されているなど、知るわけも無い。
ちなみに現在のマーヤはというと。
『こ、ここ、こないで! 服、服返して、それから首輪もはずしてください!』
『マーヤ、何を怖がる必要があるんだい? ……大丈夫、優しくするよ』
『来るな触るな近寄るな! 兄さん! シルス! リシェ! 助けてえええっ!』
と、家族に助けを呼ぶ毎日だ。
しかし頼みの綱の兄トキは第一王女にストーキングされ、弟シルスは何年も前からこの女傑国にいて、残る妹リシェリはというと田舎でのほほんと巫女ライフを満喫中である。
一応同い年で友人でもあるヴィカは、マーヤの近況を何も知らず。
――最近、マーヤと連絡が取れないわ。まさか結婚しちゃったのかしら。
と、ため息をこぼしていた。
部屋の隅で読書をしていたシルスが、それにぴくりと反応する。
「ヴィカ、元気が無いな」
「ん、ちょっとね。でも気にしなくてもいいわ」
「少し遠乗りするか? どこへでも連れていけるから」
「……ありがとう、シルス」
幼いながらも優しい彼の存在は、若くして即位したヴィカの心を休めてくれる。母を早くになくした彼女は、ちょうど今のシルスと同じくらいの年齢で女王になった。
ろくに勉強もできないままで、あの頃はずいぶんと周囲に迷惑をかけたと思う。
それもまた、早すぎた即位の問題点だったが、最大の問題はやはり結婚相手だろう。なかなか来てくれる婿がいないのだ。元々女傑国の王族にとって、嫁いでくれる婿探しは最大の課題であったのだが、ヴィカの場合は早すぎる即位がさらに足枷となってしまっていた。
要するに、同年代の婿候補は、女王という存在のヴィカしか見てくれないのだ。
一線を引いて、決して近寄ってくれない。
今では傍にいる異性など、シルスだけとなってしまった。
「……もう、結婚などどうでもいいわ」
「ヴィカ?」
そう、他はもう要らない。
もしかすると自分から、この青い竜を奪うような男が夫になるかもしれない。そんな男など断固拒否なのだが、相手によってはそれができないかもしれなかった。
だったら、そもそも結婚などしなければいいのだ。
幼馴染といっていい侍女達と、大好きな青い竜がいる世界。
これだけで、ヴィカが幸せだった。
「妹の所に女の子がいるもの、その子を養女にもらう。見つからない相手を探すより、ずっとずっとマシな判断よ。わたくしは今いる部下と、それからシルスがいればいい」
確かに子供を腕に抱くというのは、憧れがある。
結婚をしないということは、その機会を永遠に失うことだ。
だがヴィカだけを乗せて大空を翔る、見た目は大人でも中身は幼い。そんな竜がすぐ傍にいれば、きっと寂しくはないだろう。ならば早く、一つの課題をクリアーしなければならない。
「だからシルス、お見合いをしましょう」
「え?」
「あなたとこの国で生きてくれる、よい嫁をわたくしが見つけますから」
そうすればシルスは、元の国に帰らずともよくなるはずだ。
ずっと――傍にいてくれる。
まかせなさい、とヴィカは笑顔で言ったが、なぜか部屋の中の空気が変わった。目の前の少年の雰囲気が、まるで別人になったかのように変化したからだ。
その目はじとり、とヴィカを見て、いや睨んで、どこか今にも泣きそうに見える。
「……じゃあ、僕には欲しい人がいるんだ。その人をくれないと、誰を嫁にもらっても、その人を連れて兄さんや姉さんの所に帰る。たとえヴィカが何を言ったってきかない」
「え、っと……わかったわ。わたくしの誇りにかけて、約束を守ります。その人と必ず結婚できるように、わたくしが何とかして見せます。大丈夫まかせて、シルスのためだから」
言いながら、ヴィカは少し驚く。
いつもヴィカの傍にいたあのシルスに、まさか好きな相手がいたとは。さすがにすでに結婚していたり、結婚相手が決まっていたりした場合は説得しなければならない。だが、フリーであったならば全権力を持ってしても、二人の仲を取り持って見せよう。
ヴィカの返答に、ぱぁ、とシルスの笑みが戻る。
そして彼は。
「じゃあ、ヴィカをちょうだい」
そういいながら、彼女の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
急展開についていけないヴィカは、とりあえず必死に言われた言葉を組み立てる。
シルスには好きな相手がいる。その人と結婚したいと思っている。その人と一緒になれないなら故郷に帰りたい。誰と結婚させられても同じ。ただ、好きな相手と結婚したいだけ。
そして、ヴィカをちょうだい、と言われたわけなのだが。
「えっと……」
シルスの好きな人=ヴィカ、つまり自分自身となるわけで。
「わたくし、マーヤと同い年だけど」
「別に? リシェ姉さんなんて親ぐらいの人とくっつきそうだし。兄さんと王女の年齢差だって結構あるし。それに問題ないよ。僕はずっとヴィカしか見ていなかったから」
「いや……えと、そういう問題ではないのよ? あなたは、一応来賓に近い存在で、わたくしが手を出すわけにはいかないから、えっと。だからとりあえず、あなたの家族に話を」
「……じゃあ、僕がヴィカに手を出せば問題ないね」
どうしてそうなるの、とヴィカはつぶやこうとしたが、その前に唇をふさがれる。ばたばたと抵抗をするが竜相手にそれは無意味で、彼女は寝室へと引きずりこまれたのだった。
■ □ ■
結論から言うと、数ヵ月後にヴィカはめでたく懐妊した。もちろん相手はシルスで、あまりおなかが目立たないうちに、とかなり慌しく二人の結婚式が行われ、二人は夫婦となった。
しかしヴィカは、全部夢のような気がしている。
なぜならば、同い年の友人の弟と、結婚など普通ではない……気がしたからだ。
ヴィカにとってもシルスは、間違いなく弟のような存在だったはずだ。なのにどうしてこんなことになってしまったのかわからず、全部夢だったらいいのにとブツブツつぶやいている。
籍こそ入れたものの、国民に結婚について伝えていないのも、彼女の中に諦めの花が咲くことを妨害する一因だった。ある程度からだが落ち着くまでは、秘されることになったのだ。
国のためにはいずれ結婚する必要があったし、子供だって必要だ。
だからとりあえず、これでよかったのだとヴィカは思う。
知りもしない相手よりは、弟のようでもシルスがずっとマシだろう。本人が聞くとすねるを通り越して後が恐ろしい考えであるが、いろいろギリギリのヴィカには精一杯の妥協だった。
「だって、シルス子供なのに、子供の父親にしてしまうなんて」
ぶつぶつ、と部屋でつぶやく女王を、侍女は心配そうに見ている。
――ということはなくて。
「い、いやよ。女傑国の女王なのに、年下にいいようにされるなんて。でもシルスだったら別にいいとか、そんなことは思っていないけれど。でも他の男なんて絶対に嫌だし、でも」
と、一つの結論を前に右往左往する女王を、暖かく見守っていたのだった。
■ □ ■
そんなある日のこと。
表向きは未婚でフリーのシルスは、ヴィカが思ったよりもモテモテだった。
身体のラインが見えにくいドレスを引きずって散歩に出たヴィカは、中庭で女性の集団に囲まれて口説かれている彼を、偶然にも見つけてしまったのだが。
「……何よ、アレは」
「えと、男爵令嬢や伯爵令嬢や……未婚のお嬢様方、ですわね」
一緒にいた侍女が、返答を求めないヴィカのつぶやきに、答えてしまう。
――未婚の女が、隠されているとはいえ、自分の夫に粉をかけている。
いくら傍目は優雅でおとなしくとも、彼女は女傑国の女王だ。
やられた分だけやり返す。
侍女が止めるのも聞かないで、彼女は彼らの前に立った。
「ちょっと、あなた方、何をしているの?」
心底嫌いな女のイメージそのままに、かなり胸をそらして上から睨む。わずかにあざけりの微笑を浮かべることも忘れない。笑顔の裏に、男漁りとか見苦しい、と笑う声をしのばせる。
相手も、それに気づかないほど愚かではないので、笑顔の裏に本音を隠しながら、それぞれに無難な理由を並べていく。道に迷っただの、話をしてみたかっただの、ありふれた理由だ。
その根底にあるのは、邪魔をするな、という一言だろう。
彼女らはみな十代前半で、ヴィカよりずっとシルスと年齢が近い。
もしこれでヴィカが女王でなければ、いや女王であっても、彼女らは腹の底では『失せろババァ』ぐらいのことは思っているはずである。現に数人はそれがモロに顔に出ていた。
ヴィカが暴君女王であれば、即首を刎ねるところだった。
できないことを少しだけ、ほんの少しだけ残念に思いながら、彼女はシルスを見た。
「……シルス」
比較的声が高いヴィカから、地を這うが如き声がする。
さすがのシルスもわずかに笑みを引きつらせ、だがしっかりと返事をした。
いや、本人はしようとした。
だがそれより先に一気に間合いを詰めたヴィカが、その唇をふさいだのだ。そして、どこで覚えたか知らないが、彼に教えられたままに、口付けを深くしていく。
「お前達、この竜はわたくしのモノよ。男漁りは他所でしなさい、目障りだわ」
口を離したヴィカはそういうが、令嬢達は反応しない。
気が触れたとも言われかねない女王の言動に、唖然としているのだろう。
それは、シルスも同じだった。
見た目も大人になり、それらしく振舞えるようになった彼にしては珍しく、子供のようにぽかんとしている。それが何だかかわいく思えて、ヴィカはふっと笑みを浮かべた。
「ヴィカ……あの、えっと」
「わたくし、あなたを誰にも渡したくないの。愚かでしょう? ずっと前から、それこそ一目見た時からずっと、ずぅっと、そんな浅ましい考えにとらわれているのよ」
そう、令嬢に囲まれているのを見た瞬間、彼女の中で白旗が振られた。
この青い竜は、ヴィカのモノだ。
数ヶ月前、ヴィカを組み伏せた彼が、彼女は自分のモノだと言ったように。互いが互いを独占したがっている。ずっとそれが認めきれず、胎に子ができても踏ん切りがつかなかった。
たかが色気も無い小娘如きのせいで認めるのは、少しだけ癪ではある。
でも、子供が生まれる前でよかった。
これで彼女は、身体の中で育つわが子に、心の底から幸せを与えられるのだから。
「シルス、わたくし疲れたから部屋に帰りたいの。歩くのが面倒だから、抱っこして」
「……仰せのままに、我が愛しの女王陛下」
すっかり二人の世界に入ってしまった夫婦は、そのままいちゃいちゃしながら城の中へと消えていく。侍女が慌てて二人を追いかけ、残されたのは唖然としたままの令嬢達だけだった。