3◇魔法
3◇魔法
=============================
翌日から朝はアンナに起こされて一日が始まる。
実は昨日は寝る前に、これは俺の夢ではないのかと疑った。
トラックに轢かれたのはまぎれもない事実だ。
あの状況でトラックが俺に接触していないなど、どうしても考えられない。
また、接触していないならいないで、なぜその時俺の意識は途切れたのかと。
実際の俺は病院のICUに繋がれ、生死の狭間を彷徨っており、強力な鎮痛剤などで意識が朦朧としている。
そんな中で、家族に話しかけられているのを会話していると思い込み、無意識の中で物語を紡いでいるのではないかと。
それにしては鮮明な夢だと思い、頬をつねるとちゃんと痛い。
夢でも痛覚はあるという研究結果もあったかなと思い出し、ますますどちらだか分からなくなっていく。
だがアンナにそっと起こされ、改めてベッドの周りを見渡すと全ての感覚はこれは夢ではないと告げている。
夢特有の不鮮明さ、あいまいさが全く無いのだ。
背中にあてられたアンナの手のぬくもりも、僅かに香る若い女性特有の匂いもこれは現実だと分かる。
シャンプーやリンスの匂いではないのは、ここが中世相当だからだろうか。
さて、着替えくらいは一人で出来ると思ったが、この世界の貴族の衣装はどう着るのか分からなかった。
結局、アンナに手伝ってもらってやっと着替えが終わった。
なんでこんなにごてごてしてるんだ..
朝食はダイニングで、家族皆で同じテーブルに着いて摂る。
父親、母親、妹、そして俺。
妹は相変わらず俺と目を合わそうとしない。
父親と母親は俺に声をかけてきたが、俺も他人行儀な返事しか出来ず、少し気まずい雰囲気になってしまう。
まぁ父親が気長に回復を待つとしようと言い、朝食が始まった。
朝食が終わると執事が俺の所に来て、記憶喪失の度合いを確認した。
「マーティン様、会話は出来ている様ですが、言葉が不自由と思ったことはありませんか?」
俺は執事の言うことはすぐには理解できず、暫く考えてから聞き返した。
「会話はちゃんと出来ていると思う。言われている事は理解出来てると思うし、しゃべるのも不自由ないみたいだ。」
俺は元は日本人だ。
当然、日本語と英語を少々しか分からない。
なのに今まで聞いたことのないこの国の言葉をネイティブに理解出来ている。
ということは、このマーティンという人間の生まれてから12年間の言語学習結果を受け継いでいるということだ。
しかし、言葉は分かるんだが、それ以外の記憶が無い。
歩くことは出来るが、地理が分からないのでどう行ったらよいか分からないみたいなもんか。
「マーティン様がどれくらいのことを覚えてらっしゃるかは、家庭教師となるアイリスにゆっくりと時間をかけて確認させましょう。王都学園への入学は一年延期されていますので時間は十分にあります。」
執事のセバスチャンはそう言って、俺の家庭教師となるアイリスの紹介を始めた。
「アイリスは私の姪に当たります。現在は領都の領内管理部で税収管理の見習いをしております。そちらは一時休職とし、マーティン様の家庭教師となる様に昨日手配いたしました。」
「えっと、その人はどんなことを教えてくれるのかな?」
「アイリスは王都学園在学中は上位十指に入る成績でしたので、人に教えるのも上手です。学習内容は学園で習うことの予行演習みたいなものですね。それに加えて、魔法も得意な様ですので、初心者向けの魔法教育も予定に入れております。」
俺は魔法教育と聞いてちょっと興奮した。
「魔法!この世界には魔法があるんだよね!どんなことが出来るのか教えて!」
「マーティン様、慌てずともお教えしますとも。ひとまず明日からアイリスの授業を予定に入れますので、その中で魔法についても一から順番に覚えていただきますね。」
俺はちょっと気分が高揚してセバスチャンの言葉を半分も聞いていなかった。
魔法だぜ、魔法!
その日は頻繁にセバスチャンやアンナを捕まえて、知っている限りの魔法についての情報を聞き出した。
・魔法は日常生活に入っている。
・但し、日常魔法は殆どの人が使える反面、魔法の効果は非常に小さい。
・日常魔法は、薪に火を点ける火魔法、喉を潤す水魔法、土を掘り返す土魔法、風を当てる風魔法が主な種類となる。
・魔法は個人の適性による差が大きく、幼少期から使える者も、成人しても日常魔法すら使えない者も居る。
・貴族魔法は貴族の中でも幼少期に才能が認められた者に英才教育を施すことで大きな効力を出す魔法となる。
・貴族魔法の種類は日常魔法の延長上に加え、専門分野の教師による指導で様々な方向性の魔法を学習する。
セバスチャンやアンナも日常魔法は何種類か使えた。
セバスチャンは火魔法で指先にろうそくくらいの炎を、アンナは持っていたトレーのティーカップに水魔法で少量の水を、そして二人とも手の平から少し強めの風を出して見せてくれた。
「すごいすごい!何も無いところからこんなことが出来るだね!」
興奮して目を輝かせているとセバスチャンもアンナも少し悲しげな目をしていたが、俺はそんなことは気にもせずに繰り返し魔法をせがむのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
翌日の朝、俺は夜も明けないうちから目が覚めてしまった。
何せ魔法だよ魔法。
前世?では空想や小説、映画の中だけの摩訶不思議現象だ。
昨日も少し見せてもらったが、物理原理に縛られずに突拍子もないことが出来るんだ。
これに興奮せずにはいられないというものだ。
俺は窓から見える外の景色と部屋の中の装飾を交互に眺めながらしばらくスキップしていた。
「坊ちゃん。おはようございます。お着替えのお手伝いをさせていただきますね。」
アンナが急にドアを開け、そう話しかけてきた。
気分アゲアゲで窓に向かって両手を振り回していた俺はそれを見られて急に恥ずかしくなってきた。
「い、いきなりドアを開けるなよ!ノックくらいしてよ!」
「え、いつもはまだベッドにもぐりこんでいる坊ちゃんが元気に起きている。あ、失礼しました!」
アンナは俺が両手を振り回しているのにドン引きしたかの様に後すざりしてドアから出て行った。
「アンナ!もういいから、着替えを手伝ってよ!」
俺が叫ぶと、アンナは恐る恐るといった案配で部屋に戻って来た。
「まだこの服の着方が思い出せないんだよね。だから手伝って。」
「はい、わかりました。お手伝いします。」
アンナはちょっとうつむき加減になりながら着替えを手伝ってくれ、やっと俺は朝食に向かうことが出来た。
ダイニングには既に父母と妹が座っていた。
「今日は早いのね。いつもはアンナが何回か起こしに行っているのに。」
「え、そうですね。魔法の授業があると聞いて興奮して早起きしてしまいました。昨日もセバスチャンとアンナに少し魔法を見せて貰いましたが、あれはすごいものですね!」
すると母親は不思議そうに、
「魔法なんて誰でも使えるでしょ?あなたも初歩的な風魔法は使っていたわよね?」
「え、私が魔法を使っていた?本当ですか?」
「ハンスから初歩の手ほどきを受けて、まずは安全な風魔法から教えてもらっていたでしょ。少し前に見せて貰った時は手の平からそよ風を出して私を涼しませてくれたじゃない。」
うーん、と俺は首をひねる。
覚えていないものは覚えていない。
しかたがないので最初からということにしてもらおう。
「残念ながら今までの記憶が無いですし、魔法の使い方についても覚えていない様です。」
「まぁ、そうなの。仕方がないわね。じゃぁ今日から来る家庭教師にそこら辺りも話しておくわ。」
母親はそう言ってアンナと他のメイドに指示して朝食が始まった。
朝食を終えるとセバスチャンが俺の所に来て家庭教師について話してきた。
「マーティン様。家庭教師のアイリスは10時になったらこちらに来ます。お屋敷の談話室で学習をしますので、10時になりましたらお声をかけに行きます。」
セバスチャンはそう言って一礼すると他のメイドの指示に戻って行った。
今は8時くらいなのであと2時間はあるな。
俺はダイニングにある大きな据え置き時計を見ながら思う。
この世界は中世くらいの文化レベルと思っていたが、機械式時計はあるんだな。
大きな錘を引っ張って巻き上げ、それが重力で落ちる力を利用して時を刻む振り子時計だ。
博物館で見たことがあるな。
時間も一昼夜で24時間制らしい。
―――――――――――――――――――――――――――――
俺は自分の部屋に戻って本棚の本を何冊か出してめくってみる。
「動物図鑑」
「魔物図鑑」
「はじめての魔法」
「カルダナイト王国の歴史」
「ランバート領の主な産業」
背表紙に書いてある本の名前はちゃんと読める。
絶対に日本語でも英語でもないが、何故か読める。
しゃべる言葉もそうだな。
日本語ではないが、ちゃんと会話が成り立っている。
これはマーティンの記憶のおかげだろうが、それではなぜマーティン自身やこの世界のことを思い出せないのか。
そもそも何故俺は日本からこちらに来たのか。
肉体はこちらのマーティンのものなので、精神だけが次元を超えたことになるか。
仮説として考えてみると、日本で俺はトラックに轢かれて死んだ。
それと同時にこちらの世界でマーティンは馬車に轢かれて瀕死になった。
その時にマーティンの精神と俺の精神が死を目前にして共鳴か何かして入れ替わった。
マーティンの精神はあちらの俺の肉体に移ったが、トラックに轢かれて死んだ状態になる。
本当にあちらの俺は死んだのか?
ひょっとしたらかろうじて生き残り、マーティンの精神を宿したまま俺の肉体はICUにでも寝ているのではないか。
やめやめ。
いくら考えてもそれを確認する手立ては無い。
気分を変える意味でも本棚から出してきた本をめくり始める。
当然最初は「はじめての魔法」だ。
「あれ、分かるぞ。本をめくって内容を見た瞬間に頭の中に覚えているという感覚が出てくるな。」
俺はぱらぱらと本をめくっていると「はじめての魔法」を読み終えてしまった。
恐る恐る試してみると思ったとおりの魔法が発動する。
「ウィンド」
手の平からそよ風が出てカーテンがなびく。
「ウォーター」
ティーカップに向かって指先から水がちょろちょろと出る。
「ファイア」
指先にろうそく程の炎が出てゆらぐ。
「アース」
指を当てた銀製のスプーンの柄が少し曲がる。
「ライトニング」
人差し指と親指の間に1cmくらいの間隔で細い火花放電が出る。
「た、確かに魔法だが、全部ショボいな。」
俺は少し落胆したが、俺自身が学園に入学する前の12歳だということを思い出す。
母親は風魔法だけ俺が出せるのを知っていたが、実はこの本は既にコンプリートしていたかと思うと少し元気が出て来た。
「そうだ、俺はまだ12歳だ。これからなのだな。」
俺はこの世界での魔法を極めてやろうと思い、俄然やる気になった。




