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三本角物語  作者: 沢 あさと


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序章 第二 沈黙の学都

安藤美里は、分割された日本の中でも恵まれた生活を送っていた。

 父・安藤重雄は中華連合傘下の巨大企業《嶋田興業》の部長職にあり、

 その立場は日本人としては破格だった。

 統治下の日本では、企業と政治が一体化しており、

 中華連合に協力する者は「協力民」として特別な権利を与えられていた。

 重雄の家もそのひとつ。

 鉄柵に囲まれた高級住宅区の中で、

 庭には南国の花が咲き、電力も食料も滞ることがなかった。


 しかし、その安定の裏には常に薄い不安があった。

 誰もが知っていた――それが“保護”ではなく、“監視”であることを。




一 異国の学校


 美里と兄の亮は、特権層の子女が通う学舎《南嶺学院》に通っていた。

 中華連合が建てた石造りの校舎は重厚で、

 門の上には「共融コンロン教育」の標語が掲げられていた。


 授業はすべて中華連合語。

 日本語を話せば減点、繰り返せば退学。

 母国の言葉は「旧時代の反逆思想」として禁じられていた。


 教師の多くは中華連合人で、

 日本人教師は形式的に置かれた“補助員”に過ぎなかった。

 だが、美里の成績は常に上位で、

 その素直で穏やかな性格から、

 支配者階級の子どもたちの間でも一目置かれていた。


 昼休み、美里は友人の明蘭ミンランと並んで中庭を歩いた。

 白い制服の襟に中華連合の紋章が刺繍され、

 それが彼女たちの身分を象徴していた。


 「ねえ、美里。将来はどこで働きたい?」

 明蘭が笑いながら聞く。

 「うーん……お父さんみたいに、誰かを助ける仕事がしたいな」

 「助ける? 誰を?」

 「……みんなを、かな」


 その言葉に、明蘭は小さく笑った。

 「変わってるね、美里。みんな、自分を守ることで精一杯なのに」




二 沈黙の午後


 午後の授業が終わると、校内放送が響いた。

 「本日十五時より、中央広場にて政治犯の処刑が行われます。

  全生徒・職員は出席の義務があります」


 ざわめきが走る。

 処刑――それは、この国の日常だった。


 政治犯とは、抵抗活動を行った者、

 あるいは中華連合政府を侮辱したとされた者。

 その大半は日本人であり、

 罪状の真偽など問われることはなかった。


 美里たちは列を組み、広場へと向かった。

 銅像の前に組まれた処刑台。

 風に晒された縄の先には、

 痩せた日本人の青年が縛られていた。

 傍らには、鉄兜をかぶった官兵が笑っている。


 「罪人は“帝国思想”の保持をもって国家転覆を企てた!」

 役人の声が響く。

 そして、人々の拍手。

 笑い声さえ混じっていた。


 美里は俯いた。

 胸の奥に、重く沈むものがあった。

 (どうして……笑えるの?)


 その夜、家に帰っても食欲はなかった。

 父・重雄が静かに言った。

 「見たか、美里。あれが現実だ。だが、忘れるな――

  “人の命は、皆同じ価値を持つ”。

  奪う側が強者だと教える世界は、長くは続かない」


 兄の亮が頷いた。

 「父さん、いつか……僕たちは、変えられるのかな」

 「変えられるさ。心を折らなければ、な」


 その夜、美里は眠れなかった。

 窓の外では、赤い灯が遠くの処刑場を照らしていた。

 風に乗って、群衆の歓声が微かに聞こえた気がした。




三 歴史の影


 美里は、幼いころから両親に日本の歴史を教えられてきた。

 彼女が読む歴史の本は、すべて父の私蔵書である。

 それは今の教育制度では所持すら禁じられた「旧日本語文献」だった。


 その中で、美里が最も印象に残ったのは、

 第一次世界大戦後のパリ講和会議。

 日本が国際連盟に提案した“人種平等宣言”。


 「すべての民族と人種は平等である――」

 それが世界の支配構造を根底から否定する一文だった。


 当時、欧州列強は植民地の上に帝国を築いていた。

 平等という理想は、彼らにとって不都合な真実だった。

 宣言は否決され、

 日本は孤立し、やがて戦火の中に沈んでいく。


 「でも、お父さん」

 ある夜、美里は言った。

 「平等を唱えたのに、どうして日本は負けたの?」

 重雄は少し笑い、

 「理想を持ったからさ。理想は、時に世界を敵に回す」と答えた。


 その言葉が、美里の心に刻まれた。

 彼女の思想――人の尊厳を信じるという信念――は、

 その夜から生まれたのかもしれない。


四 静かな反抗


 翌朝。

 登校の道すがら、美里は友人たちの会話を聞いた。

 「昨日の処刑、すごかったね!」

 「反逆者は怖い顔してた! あんなの、死んで当然だよ!」


 美里は何も言わなかった。

 笑いながら歩く友人たちの中で、

 ただ一人、空を見上げていた。

 灰色の雲がゆっくりと広がり、

 その向こうに、見えない太陽があった。


 ――この世界は、どこで間違ったのだろう。

 その問いが、彼女の胸にずっと残り続けた。


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