序章 三つに裂かれた日の本
序章 三つに裂かれた日の本
人は、歴史を勝者の言葉で覚える。
だが、敗者の沈黙にもまた、ひとつの真実がある。
一 火の起点
第二次世界大戦の火蓋は、1939年9月、ドイツのポーランド侵攻によって
切られた。
欧州は瞬く間に火の海となり、英仏連合はドイツとの泥沼の戦に沈む。
――このあたりまでは、誰もが知る“世界史”と変わらない。
だが、その裏で東アジアは、まったく異なる方向へと動いていた。
アメリカ合衆国は、表向き中立を保ちながらも、
水面下では「アジアにおける勢力均衡」を口実に、
日本の台頭を抑えこもうとしていた。
特に満州。
あの極東の寒冷地に眠る莫大な鉱物資源と石炭、
そしてシベリア鉄道へと通じる戦略的価値。
それらを日本が握ることを、
米国も、ソビエト――後の露西亜連邦も、決して望まなかった。
1940年、米国はついに日本への石油輸出を停止する。
経済制裁という名の“兵糧攻め”だった。
当時の日本は自国のエネルギー資源をほとんど持たず、
この措置は国家の呼吸を止めるに等しかった。
東京の政府は決断を迫られる。
屈服か、開戦か――。
二 火の継承
だが、銃声はそれより先に、中国大陸で鳴り響いた。
日中戦争の勃発である。
発端は、上海にあった日本租界――すなわち日本人居留区での惨劇だった。
突如として発生した暴動。
中華連合を名乗る急進派が武装蜂起し、
居留地の民間日本人を襲撃、虐殺した。
のちに判明することだが、
この暴動の背後には、露西亜連邦の諜報機関が関与していた。
中露両国が、密かに“共同作戦”を展開していたのだ。
目的は一つ――
「日本を孤立させ、極東の覇権から排除する」こと。
この計画の周到さは、あまりに冷酷だった。
暴動と同時に、満州国境ではロシア軍が大規模な演習を開始。
中国北部では共産圏の兵器が大量に投入され、
戦争は一気に総力戦へと変貌する。
日本は挟み撃ちにされた。
南からは中華連合軍、北からはロシア連邦軍。
いずれも圧倒的な数と火力を誇り、
太平洋では、沈黙を装っていた米国が突如参戦する。
沖縄と台湾への上陸作戦。
日本の海上補給線は完全に断たれた。
三 滅びの二年
1943年――戦争勃発からわずか二年。
日本は、国としての形を失った。
九州から西日本にかけての地域は中華連合の支配下に、
関東以北の東日本は露西亜連邦の軍政下に置かれた。
そして沖縄と台湾は、米国の軍政領となる。
日本列島は三つに裂かれた。
国旗は焼かれ、皇室は国外追放、
「日本」という国号そのものが国際的に抹消された。
かつて“日出づる国”と呼ばれた島は、
列強の手により、三色の境界線で塗り潰されたのである。
敗戦直後、各地で焼け跡から立ち上がった者たちは、
「いつかまた」と小声で誓い合った。
だが、占領軍の目は鋭く、
反抗は即座に“粛清”という名で葬り去られた。
工場は中華連合の労働キャンプとなり、
東北の鉱山はロシア連邦の直轄資源基地と化した。
教育制度は改変され、
日本語は“非推奨言語”として公的な場から排除された。
人々は民族の誇りを失い、
やがて“帝国の亡霊”という烙印を押される。
四 沈黙の時代
世界は再び均衡を取り戻したかに見えた。
欧州ではドイツが崩壊し、アメリカとソ連が勝者として覇を競う。
だが、東アジアではまったく逆だった。
戦争に勝った中露が手を取り、
「東方同盟」の旗のもとに共同統治を始めたのだ。
東南アジア諸国も、
かつての歴史と同じく欧米の植民地として再支配を受けた。
世界は“解放”ではなく、“再封印”の時代へと進んだ。
それでも――
人々の心の奥では、かすかな火が消えてはいなかった。
「失われた祖国を、もう一度取り戻す」
その言葉は囁きとなり、
夜の地下街で密かに交わされた。
のちに“レジスタンス”と呼ばれる者たちの最初の炎が、
この沈黙の時代に灯ったのだ。
五 そして、物語は始まる
1945年、世界は戦争を終えたと宣言した。
だが、日本人にとってそれは、
「国を失った日」であり、「屈辱の始まり」でもあった。
以後八十年。
列強の支配は形を変えながら続き、
人種差別と強制労働が日常の風景となった。
そんな世界の片隅で――
ひとりの少女が、歴史の境界に立つ。
彼女の名は、**安藤美里**。
失われた国の末裔にして、
やがて“鬼”と呼ばれる存在と出会う15歳の少女である。
これは、かつての日本が滅びたあとの世界の物語。
人の理を超え、
地の記憶とともに歩む者たちの物語。




