9.自分の足でしっかりと立つ
朝霧の中、庭の砂地にはまだ夜露が残っていた。
リアムは木剣を構え、必死に息を整えていた。
腕が震え、汗が首筋を伝う。
対するのはレオン。無骨な護衛であり、今日から彼の師匠だ。木剣を軽々と構えながら、どこか楽しげに言う。
「坊、剣を振るうのは腕じゃねぇ。“腹”で支えるんだ。」
リアムは歯を食いしばりながら答える。
「は、はいっ……!」
木剣がぶつかる音が響く。
レオンの一撃は重く、受けるたびに膝が沈む。
それでもリアムは倒れなかった。砂を蹴り、何度も立ち上がる。
「…まだ立つか。」
レオンの口調に、わずかに笑みが混じる。
「はい…!俺、セレナ様を守れるように、なりたいんです!」
「その気持ちは結構だがな――」
ドン、と木剣の柄で軽く胸を突かれ、リアムは尻もちをつく。
「守るってのは、意地や根性だけじゃ続かねぇ。“折れねぇ芯”が要るんだ。」
リアムは砂を握りしめ、小さく頷いた。
「…芯。」
「そうだ。折れたままじゃ、剣も心も立たねぇ。
立てなくなったら…どうする?」
リアムは一瞬考えてから答えた。
「…それでも、立ち上がります。」
レオンが鼻で笑う。
「はっ。言うねぇ。」
朝陽が上るころ、リアムは全身泥まみれになっていた。腕は上がらず、膝はがくがくと震える。
けれどその瞳だけは、しっかりと前を向いていた。
「…今日のところはここまでだ。」
レオンは木剣を肩に担ぎ、去り際に言った。
明日は倍だぞ。」
「倍…!?」
リアムが顔をしかめると、レオンはにやりと笑って答えた。
「地獄ってのは、慣れるまでが一番つれぇんだ。」
⸻
午後、屋敷の一室。日差しの差す中、セレナはティーカップを並べながらリアムを見ていた。
「…まずはお辞儀の仕方を覚えましょう。」
リアムは両足を揃え、深く頭を下げた。
勢い余って額を机にぶつける。
「いっ…た!」
セレナが思わず吹き出す。
「もう少し、ゆっくりでいいのよ。」
礼の練習、食器の扱い、報告の仕方――レオンの稽古とは違う“静かな戦場”がそこにあった。
リアムは剣よりも小さなティースプーンを前に緊張していた。
「…こ、こうですか?」
カップの取っ手を持つ手がぷるぷる震える。
「そう。力を抜いて。お茶を飲むのは戦いじゃないのよ。」
セレナは穏やかに微笑んだ。
カップから立ち上る香りが、ほんの少しリアムの心を落ち着かせる。
けれど、彼の顔にはまだ硬さが残っていた。
「…俺、セレナ様に恥をかかせたくないんです。」
「恥なんて、誰にでもあるわ。」
セレナはティーポットを傾けながら言う。
「大事なのは、恥を知ったあとにどう振る舞うかよ。従者の誇りは、“仕える”ことじゃなく、“支える”こと。あなたがそこに立つだけで、誰かが安心できる。それが、本当の強さだと思うわ。」
リアムはその言葉に、はっとしたように顔を上げた。胸の奥がじんわりと熱くなる。
「…俺、ちゃんと立てるようになります。」
「ええ、きっとなれるわ。」
セレナの微笑みは柔らかく、けれど確かに“信じる者”の光を宿していた。リアムは深く頭を下げる。
今度は机にぶつからなかった。
⸻
夕暮れ。
レオンが廊下を歩いていると、部屋の窓からリアムの声が聞こえた。
「もう一回お願いします、セレナ様!」
「今度は、こぼさずにね。」
笑い声が重なる。
レオンは短く笑って呟いた。
「…芯は、少しずつできてきているな。」
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その夜、リアムは手の豆を見つめながら小さく拳を握った。
「痛い…けど、まだ立てる。」
そして、月明かりの差す窓の外を見上げた。
――明日も、立とう。
その誓いが、彼の小さな心に根を下ろしていった。




