6.認識合わせ。母と罪と決意。
カルディナ家の庭は、静かだった。
朝の陽が差し込み、薬草の葉に溜まった露がきらきらと光っている。
冬の空気の中でも、温室の中はほんのりと暖かく、湿った土の匂いが漂っていた。
リアムはそのベンチに座っていた。
白いシャツの袖をまくり、包帯の取れた腕を日光にかざしている。
痛みはもうほとんどない。
けれど、心の奥に残る傷は、まだ癒えていなかった。
そこへ、静かな足音が近づいてきた。
「お待たせしてしまったわね。」
振り向けば、薄青のドレスをまとったセレナが立っていた。
淡い金の髪が朝の光を受けて柔らかく輝いている。
リアムは立ち上がり、深く頭を下げた。
「セレナ様。お話があると伺いました。」
セレナは小さく頷き、向かいに腰を下ろした。
彼女はポケットから小さな紙包みを取り出し、リアムの膝の上にそっと置く。
「まずは、これを見て。」
包みの中には数枚の銀貨と、封蝋で閉じられた手紙。
見慣れた文字が、そこにあった。
震えるような筆跡で、「息子へ」と書かれている。
リアムの喉がひゅっと鳴る。
「……母さん……!」
セレナが穏やかに微笑んだ。
「あなたのお母様、まだ貧民街で暮らしているわ。お父様の計らいで、薬代と食べ物は毎週屋敷のものが届けるよう手配している。安心してちょうだい。…あなたに知らせるのは、もう少し後にしようと思っていたけれど…あなたを見ていて、きっと受け止められると思ったの。」
リアムは手紙を胸に抱き、目を閉じた。
頬を伝う涙を、彼は拭わなかった。
「……ありがとうございます。本当に……ありがとうございます……」
セレナは彼が落ち着くのを待ち、ゆっくりと口を開いた。
「リアム、今日は“認識合わせ”をしておきたいの。…あなたが何をしたのか、どんな過去を持っているのか…そして、今後どう生きたいのか。それを、ちゃんと話しておきましょう。」
リアムは小さく息を吸い込み、そして頷いた。
逃げることはもうしないと、彼は決めていた。
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「最初は……九歳の時でした。」
リアムはゆっくりと語り始めた。
「仲間に誘われて、度胸試しだって言われて。旅の商人を……刺しました。」
その言葉は、今でも血の味がした。
「怖かった。でも、“やれ”って言われて。俺は…止められなかった。でももしあの時やめていれば……母さんは、あそこまで体調が悪化することもなく苦しまなかったかもしれない。」
セレナは何も言わず、ただ耳を傾けていた。
リアムの声は途切れ途切れになりながら、少しずつ前に進む。
「……それから、金のために裏の仕事を請け負うようになりました。脅し、盗み、やがては“消す”こと。俺の手で、何人もの人を傷つけました。誰を殺したのかも、覚えていない。…いや、覚えていたくなかったんです。」
セレナの表情が少しだけ曇った。
けれど、目には非難の色はなかった。
「ありがとう。言いにくいことを話してくれて。」
彼女は静かに言った。
「あなたが過去を語ることで、私も一歩前に進める気がする。」
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セレナは少し間を置いてから、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「いい? ここからは、具体的な約束よ。」
リアムが姿勢を正す。
「まず一つ。昔の仲間たちとの関係を断つこと。
もし声をかけられても、必ず私か執事に報告するの。“もう関わらない”って自分で言葉にすることが、最初の償いになるわ。」
リアムは拳を握りしめ、うなずいた。
「……はい。」
「次に、金銭の扱い。あなたのお母様への支援は、屋敷が続けて行う。でも、あなた自身の収入はここで働いて得なさい。危ない仕事や夜の街は、もう終わり。」
リアムは顔を上げ、まっすぐ彼女を見る。
その目には、少年の弱さと、これからを見据える光があった。
「……約束します。」
「そして、あなたが過去…いや未来になるのかしら…殺した相手を思い出したら全て私に報告してちょうだい。」
セレナはふっと微笑み、少し声を柔らかくした。
「それと、剣術を学びなさい。お父様が師範を手配してくださる。剣は“守るため”に使うもの。忘れないで。」
「守るために……」
リアムはその言葉を口の中で繰り返した。
「そうよ。あなたは、誰かを守ることができる人になるの。」
セレナの声は、朝の光のように温かかった。
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しばらく沈黙が流れた。
鳥の鳴き声が、温室の外から聞こえる。
リアムは深く息を吸い、そして言った。
「……セレナ様。俺、母さんに胸を張って会えるような人になってみせます。だから、いつか……その時が来たら、紹介させてください。」
セレナは微笑んで頷いた。
「ええ。急がなくていい。会うべき時に会えばいいの。あなたの歩みそのものが、何よりの贈り物になるわ。」
リアムは小さく笑った。
その顔はまだ幼く、それでも確かに前を向いていた。
「……俺、やり直します。この人生で俺は誰も傷つけない。セレナ様の従者としても、母さんにも誇れる生き方をします。」
セレナは頷き、そっと言った。
「その言葉、覚えておくわ。リアム。」
温室を抜ける風が、薬草の香りを運んでいく。
朝の光の中で、二人の影がゆっくりと並んだ。




