2.再生の朝
光が、まぶしい。
まるで、焼けつくような白。
血の匂いも、雨の音も消えていた。
リアムは大きく息を吸い込んだ。
肺の奥まで、温かい空気が満ちる。
…息ができる。
それだけで、涙が出そうになった。
胸を押さえる。
あの傷が、ない。
衣服も、血も、泥もない。
でも自分の手が、やけに小さい。
骨ばっていて、指も短い。
「……なんだ、これ……」
声が、幼い。少年の頃の、声。
辺りを見渡す。
崩れかけた屋根、染みだらけの壁。
布の隙間から差し込む光が、灰色の部屋を金色に染めている。
ここはーーー覚えている。
「うそだろ……」
彼がまだ九歳だったころ、母と暮らしていた借家。
あの夜の“度胸試し”に出かける前の、あの頃の部屋そのものだった。
息が浅くなる。
夢じゃない。
死んだはずだ。
血に沈み、少女に刺されて、死んだ。
なのに今、自分はーー生きている。
「リアム……?」
柔らかな声がした。布団の向こう、母がいた。
やせ細った体で、咳を押し殺しながらこちらを見ている。その瞳が懐かしすぎて、心臓が止まりそうになった。まだ生きている!!!
「……母さん……?」
「どうしたの。悪い夢でも見たの?」
「……うん。……ちょっと、怖い夢。」
母は微笑んだ。
「ほら、朝だよ。今日もパンを焼かなきゃね。」
いつもと同じ口調。それが嬉しくて、たまらなく悲しかった。
リアムは母に抱きつき、顔を埋めた。涙が止まらなかった。こんな日はもう二度と戻らないと思っていた。死んで地獄に落ちるだろうと、あの世でも母には会えないだろうと思っていた。
「ずいぶん怖い夢を見たのね…大丈夫よ。まだ少し早いから寝てなさい」
母はそういいながら頭を撫でてくれた。うとうととまどろみながら浅い眠りに落ちた。
しばらくして、台所の音で目が覚めた。
母が古い鍋を火にかけている。
小麦と水を混ぜる匂いが、空気に広がる。
それは、死の間際に嗅いだ血の匂いを溶かしていくようだった。
リアムは手を見た。
この手で、何人の命を奪ったのだろう。
細くて、震えるこの手で。
「もしやり直せるなら……」
あの時の言葉が、胸の奥で響いた。
やり直せる……本当に?
鏡代わりの水面に映った顔は、まだ子供のものだった。
汚れを落としていないのに、肌は綺麗だった。
あの日、あの“度胸試し”に行くよりも前の顔。
「……俺は、戻ったんだ。」
呟く声は震えていた。
生き返ったわけじゃない。
世界そのものが、巻き戻っている。
母が咳き込む音がした。
リアムは慌てて駆け寄る。
細い背をさすりながら、涙をこらえた。
「母さん……もう働かなくていい。俺が……俺がなんとかする。」
母は笑って、彼の髪を撫でた。
「頼もしいことを言うようになったねぇ。……でもね、リアム。悪いことは、しちゃだめだよ。」
その言葉に、心臓が跳ねた。
母は何も知らない。
この“二度目の世界”で、これから起きることも。
けれどその言葉は、まるで未来を知っているかのようだった。
リアムは小さく頷いた。
「うん……もう、しない。」
「え?」
「絶対に、しないから。」
母が不思議そうに笑う。
窓の外、陽が昇っていく。
空が赤と金に染まる。
ーーそれは、あの朝焼けの色だった。
リアムは外に出た。
冷たい風が頬を撫でる。
路地の隙間から、貧民街のざわめきが聞こえる。
まだ小鳥の鳴く時間。
街が目を覚ます前の静けさ。
心臓が小さく鳴った。
あの夜の誘いは、もうすぐだ。
“度胸試し”の約束の日は、今日。
リアムは空を見上げた。
朝焼けが、ゆっくりと淡く溶けていく。
ーー今度こそ、間違えない。
ーー誰も、殺さない。
ーーたとえ全部を失っても、母さんに恥ずかしくない生き方をする。
胸の奥で、そう強く誓った。
彼の知らぬ場所で、運命もまた静かに回り始めていた。




