真実のマスク~沈黙は金、議場は真紅。
真実のマスク
新製品の発表は、朝のニュースの真ん中に、飴玉のようにぽとりと落ちた。司会者は淡い白の面をつけ、すこし息切れした声で読み上げる。
「本日から、『真実のマスク』の着用が義務になります。発話が真実なら無色、方便は桃色、虚偽は赤に点灯します。安心・安全の——」
安心という二文字のあいだで、司会者の頬にうっすらと桃色がさした。スタジオの空気は、笑いかけて、やめた。笑いが嘘かどうか、誰も確かめたくなかったのだ。
区役所の窓口職員ミヤコは、段ボール箱を三つ、カウンターの内側に積み上げた。どれも同じ白い面。ふちに小さなランプがついている。説明書を開くと、豆粒の字がまじめに並んでいた。
—本製品は発話内容を解析し、真実度を色で可視化します。
—判定対象は「音声言語」に限られます。
—誤検知はありません。
最後の一行を読んだとき、ミヤコのマスクの端が、ほのかな桃色に染まった。誤検知がないなどと言い切れる書類を、彼女は見たことがない。咳払い一つで、桃色は消えた。
午前中は配布対応で忙しかった。年配の夫妻は、互いに向き合って試着し、無言で頷き合う。若い親子は、「宿題やった?」「やったよ」の往復で、子のマスクが一瞬だけ桃色になった。子は慌てて口を押さえたが、母親は笑っていた。笑いは無色のままだった。
昼、商店街には、白い面が増えた。精肉店の前で、ナカジマがいつものように値切ろうとして、やめた。店主も「今日は特別に」と言いかけて、やめた。哀しいのは、やめたあとに何を言えばよいのか、二人とも知らなかったことだ。彼らは、言葉の代わりに小銭を数え、肩をすくめ、同時に空を見た。雲は嘘をつかない。雲は何も言わないから。
会社でも、白い面は並んだ。会議室の端から端まで、机を囲む顔の上に、魚のうろこのようなランプが並び、空調の風に微かに揺れている。部長が咳払いをして、発言した。
「今回の数字は、予測の範囲内だ。だいたい」
「だいたい」のところで、部長のマスクが桃色になった。部長は水を飲み、口を閉じた。沈黙が会議を満たした。沈黙は、判定できない。判定できないものは、色がつかない。無色の安心は、会議の机を滑って床に落ち、見えないまま溜まっていった。誰かが拾うべきだが、誰も拾わない。
ミヤコの窓口には、相談が増えた。離婚届の理由欄はどう書けばいいのか、と訊かれる。病院の紹介状には、医師の言葉がそのまま載るのか、と訊かれる。どちらも、マスクの説明書には書いていない。ミヤコは、言葉を一つずつ選んだ。選び、磨き、短くして、渡す。そのたびに、相手のマスクは無色のまま受け取ってくれた。無色は、正しいとは限らない。ただ、判定外か、正直か、言葉が足りないかのどれかだ。足りないのに近い無色は、すこし寒い。
導入から三日、街は遅くなった。宅配のピンポンの回数が減り、コールセンターの待ち時間が伸び、商談は「本件は持ち帰りで」によく落ち着いた。駅の改札では、口論が一度も起きなかった。口論はいつも激しく色づくから、誰も始めない。電車の遅延は増えた。車掌が「安全のため」と言い切ると、まれに桃色が灯るからだ。彼はそれから、「確認のため」に言い換えた。「ため」は便利な言葉で、色がつかない。
色がつかないのは良いことだろうか。良いと決めるのは誰だろうか。ミヤコは考える。窓口の書類は、色がつかない言葉で慎重に満たされる。だが、判子を押す手は、以前よりよく止まる。止まると人がたまる。人がたまると、ため息が増える。ため息は、判定の対象外だ。
四日目の夜、政府は追補を発表した。大臣は白い面の向こうで、言葉を丁寧に並べる。
「行政事務の円滑化を鑑み、沈黙は嘘ではないと明記します。沈黙を尊重しつつ、社会の歯車を——」
「歯車」で桃色。画面の隅に、テロップが滑りこんだ。沈黙は可、だが過度な沈黙は非推奨。誰が過度を測るのかは書かれていない。ミヤコはテレビを消し、麦茶を飲んだ。静かな夜だった。静かな夜は、たいてい、どこかが止まっている。
追補の翌朝、窓口は早かった。人は沈黙を覚えた。不要な言葉を落とし、必要な文言を指さし、印鑑を置く。ミヤコの仕事は、楽になったように見えた。だが、楽は、いつも別のところから借りてくる。別のところとは、たとえば、議会である。
昼の生中継。議事堂の屋根は、よく磨かれていた。カメラは広い議場を舐めるように回し、白い面の群れを映す。司会者の声が戻ってきた。画面の隅に「音量注意」と小さく出た。注意は、色を持たない。
「本日は、真実のマスク関連法の補正案についての審議です。沈黙は嘘でない——ただし、国会審議の場では、沈黙が許されない場面が生じ——」
許されない。許されないとき、人は何をするのか。話す。話すと、判定が起動する。
質問に立った議員の白い面は、はじめから薄桃色だった。言葉は長く、形容は多く、結論は後方に押しやられていた。彼は「国民の安全のために」と三度言い、そのたびに頬がすこしだけ明るくなった。答弁に立った大臣の面は、最初の「遺憾に思います」で、確実に桃色を経由した。経由地で降りられない電車のように、彼の文は長いホームを走った。カメラが引く。議場が見える。見えたものは、うっすらとした夕焼けのようだった。夕焼けは、嘘ではない。議場の夕焼けは、嘘かもしれない。
ミヤコは仕事を終え、テレビの前に座った。麦茶の氷が、時々きれいな音を立てる。窓の外は明るい。画面の中は、どんどん赤くなっていく。発言が重なれば重なるほど、桃色は濃く、赤に近づく。赤は虚偽と説明書は言う。虚偽と呼ぶには、発話は度を越していた。度を越すと、言葉は自分の尻尾を噛む。噛むと、るつぼになる。るつぼは熱い。熱い色は赤い。
ナカジマはスマホで同じ中継を見ていた。彼は、値切らない技術を習得してきたばかりだ。議場には、値切らないほうがよい言葉が多すぎた。彼はコメント欄を開きかけて、やめた。コメントは発話とみなされる。文字にも判定は働くように、昨晩のアップデートで変わったのだ。沈黙は安全。沈黙は便利。便利は、太る。太った便利は、動けなくなる。
議場の空気が一気に変わったのは、ある若い議員が、質問の最後に「結論から申します」と前置きしたときだった。彼のマスクは、すでに濃い桃になっていた。結論は、前置きされた時点で、結論ではない。大臣は資料を探し、秘書は紙を渡し、別の議員がヤジを落とした。ヤジは短く、色は即座に出た。鮮やかな赤。赤は他の赤を呼ぶ。若い議員の周囲が重なり合う交通信号のように赤く染まり、やがて、議場全体が赤い海になった。魚の群れが一斉に向きを変えるように、色は広がる。カメラは引かない。引くと、海の正体が見えるからだ。
ミヤコは、テレビの音量を下げた。音を下げても、色は消えない。彼女はふと思い立って、マスクを外してみた。顔に風が当たった。無色の風。彼女はしばらく、なにも言わなかった。
その日、区役所の投書箱には、小さな紙が十枚入った。どれも短く、丁寧だった。
「窓口の説明、助かりました」
「沈黙の使い方がわかってきました」
「息をする道が増える気がしました」
どの紙にも、送り手の名前はなかった。名前は判定対象外だ。判定対象外は、救いになることもある。
翌週、街は「沈黙を習う」ことに長けていった。沈黙は、だれもが持っている安価な道具だ。だが、使い心地は人によって違う。沈黙が似合う人もいれば、似合わない人もいる。沈黙が似合わない人は、身振り手振りで補い、表でできない言葉を裏紙に書いて渡し、アイスコーヒーのグラスに指で「OK」を描いた。氷は「OK」をすぐ消した。消えた合図は、二人だけのものになった。二人だけのものには、色がつかない。
学校では、子どもたちがゲームを発明した。「色鬼」という。嘘の色を出さずにどれだけ説明できるか、競う。先生は最初のうち呆れていたが、すぐに採り入れた。説明の仕方を変えるだけで、喧嘩が減ったからだ。喧嘩がゼロになると困ることもある。体育の先生は、発散の方法を再配分した。走る距離が伸び、長縄の回数が増えた。長縄は嘘をつかない。回った回数は、ただ回っただけだ。
会社では、ナカジマがひとつの知恵を思いついた。先に、言えないことをリストにして配るのだ。会議の前に、紙を一枚。紙には、こう書いてある。《この場では、以下の表現を使用しません。「だいたい」「おそらく」「安全」「全力」「前向き」》。部長は紙を見て、笑った。笑いは無色だった。会議は短くなった。短くなると、帰れた。帰るべきときに帰れるのは、いつでも改革だ。
さて、議会は、どうなったか。
中継は、視聴率が上がった。色がよく出る番組は、人気が出る。番組は、演出を覚える。カメラは赤のうねりを追い、解説は「濃淡」を語り、テロップは「本日の総赤量」を数字で表示した。指数は上がりやすい。上がるものは誰かを喜ばせる。誰かが喜ぶと、誰かが困る。困るのは大抵、まだ言葉の使い方を習っている途中の人たちだ。
ある午後、委員会室での短いやりとりが、珍しく話題になった。委員長が、マイクを指で切ったのだ。マイクが切れると、発言は発言でなくなる。音声がなければ、判定は起動しない。委員長のマスクは無色だった。画面の下に「一時休憩中」と表示された。視聴者は、色を失った画面を見て、不安になった。色がないほうが、今回は恐かったからだ。色がないとき、何が起きているのか、誰も確かめようがない。沈黙は、嘘ではない。だが、沈黙だけで作った部屋に、外から鍵をかけるのは、嘘より不躾だ。
ミヤコは、その夜、同僚と食堂で話した。
「沈黙、うまく使えてる?」
「使えてるような、使われてるような」
二人は箸を置いた。味噌汁は湯気を立て、無色に冷めていく。やがてミヤコが言った。
「ねえ、窓口で、たまに言うの。『ここは言葉にしていいですよ』って。そうすると、相手の顔がほどけるの。色がついちゃっても、ほどける。ほどけたら、書類が進む」
同僚は頷いた。
「ほどけるの、いいね。ほどける役は、だれがやる?」
「目の前にいる人。順番に」
次の週、学校の掲示板には、新しいお知らせが貼られた。「沈黙の使い方講座」——地域の公民館で週一回、無料。講師は、ことばの教員と、元漫才師。漫才師は、沈黙の間で飯を食ってきた人だ。彼は最初の講義で、こう言った。
「間は、相手のために空けるもんです。自分のために空ける間は、たいてい長すぎる」
受講生のマスクは、無色のまま、少しだけ位置をずらした。ずらしたぶんだけ、息が楽になった。
法律はさらに修正を重ね、細かい但し書きがひと月ごとに増えた。沈黙の扱い、ジェスチャーの扱い、詩の扱い、歌詞の扱い。詩と歌詞の区別は、いつも揉める。詩人は詩が歌詞と呼ばれることを嫌い、作詞家は歌詞が詩と呼ばれることを嫌う。嫌いの理由を説明しようとすると、色がつく。彼らは、沈黙を覚えるより先に、笑ってしまうことを覚えた。笑いは、誰にも迷惑をかけない。だいたい。
そして、ある特別国会の日が来た。
議題は、真実のマスク法の恒久化。一本にまとめ、社会の基礎に据えるという。中継の視聴者は増え、画面の隅には「総赤量」の予測グラフが出た。数字は朝から右肩上がり。司会者は淡々と読み上げる。
「まもなく、党首討論です」
党首討論は、沈黙の余地が少ない。言葉で相手を動かし、言葉で自分を守る。そこに立つ者は、色の出方を気にしないわけがない。気にしないふりをする。ふりは、桃色の親類だ。
討論が始まった瞬間、画面の温度が上がった。
「国民の——」桃。
「断固として——」桃→赤。
「誤解を招く——」赤。
言葉は次々に積まれ、足場は高くなり、下から赤がせり上がった。頂上に立つのは、いつも言葉の上手い人で、足場を作ったのは、いつも言葉の遅い人だ。遅い人は、沈黙を選ぶ。だが、討論で沈黙は許されない。沈黙は嘘ではないが、討論で嘘でないことは、不在に近い。
議長が木槌を打った。一本目。二本目。三本目。
「静粛に」
静粛は、一秒だけ訪れた。訪れて去る間に、すべての面が、同時に赤くなった。
その赤は、怒りの赤でも、羞恥の赤でも、誤検知の赤でもなかった。
ただ、嘘の赤だった。
嘘の赤が一斉に灯ると、議場は灯台になる。灯台は、遠くから見える。遠くで見ている者は、海が荒れていることを知る。足元で見ている者は、灯りの熱さだけを知る。
ミヤコは、テレビの前で息を呑んだ。麦茶の氷は完全に溶け、うすい茶を紙コップの底に集めていた。彼女はマスクを外したまま、指先をコップのふちにあてて、ぐるりと一周させた。輪は、すぐに消えた。消えるものは、案外、たくさんある。
夜、区役所の帰り道、ミヤコは商店街の精肉店に寄った。カウンターにはナカジマがいた。二人は白い面をつけたまま、目だけで挨拶を交わす。
「今日は——」
店主が言いかけ、やめた。ナカジマが言いかけ、やめた。ミヤコが見ていると、二人は同時に、少しだけ笑った。笑いは無色だ。
やがて、店主が言った。
「正直に言うと、昨日より二十円高いです」
彼のマスクは、無色だった。
ナカジマは頷いた。
「正直に言うと、昨日より給料日前に近づいてます」
無色。
ミヤコは、財布を開いて、小銭を足した。
「正直に言うと、お腹が空いてます」
無色。
三人は、少しだけうれしくなった。小さな無色は、やわらかい。
家に帰ると、郵便受けに一通の封書が入っていた。表に《マスク法に関する意見募集》とある。珍しく、わかりやすい案内だ。封を切ると、質問は三つだけだった。
——あなたは沈黙を、よく使いますか。
——あなたは沈黙を、他人に許しますか。
——あなたは沈黙を、政府に許しますか。
ミヤコは、ペンを持った。持って、置いた。置いて、また持った。
そして、三行とも、言葉で埋めた。長くはなかったが、短くもなかった。書き終えると、面にほんの一瞬、桃色が走った。彼女は笑った。笑いは無色だった。
翌朝、ニュースは、昨夜の議場真紅を繰り返し流していた。各局の解説は似た言い回しを採用し、「行き過ぎた演説」「表現の過剰」「対話の不足」という、色の薄い言葉でまとめた。薄い言葉は安全だが、栄養は少ない。栄養を増やすのは手間で、手間は視聴率と仲が悪い。
昼、政府はまた追補を出した。字幕は、いつもの書式のまま。
「沈黙は嘘ではない。ただし、議会においては沈黙の扱いを別途定める」
別途は、都合のよい言葉だ。別途は、どこにでも出せる小さな部屋の鍵みたいなものだ。鍵は安心をくれるが、鍵を持つ者は限られる。限られた者は、時々、自分の鍵束が増えすぎたことに気づかない。
その夜、ミヤコは、役所の掲示板に小さな紙を貼った。手書きの文字で、こう書いてある。
《ここは、言葉にしていい場所です》
紙の周囲に、色は灯らない。
やってきた人は、少しだけ時間をかけて、自分の用件を言葉にした。言葉にしたものの中には、嘘も、方便も、真実もあった。彼らの面は、桃色になったり、無色に戻ったり、時々、危うく赤をかすめたりした。かすめたとき、彼らは息を吸い直し、言い直した。言い直せるのは、救いだ。救いは、ルールではなく、習慣のほうに属する。
ミヤコは、窓口の隅にもう一枚、紙を足した。
《ここでは、沈黙も歓迎します》
沈黙は、立派な返事だ。返事が立派すぎると、人は動けなくなるから、ときどきだけにしたほうがいい。回数を決めるのは、紙ではなく、目の前の人間の顔だ。
深夜、彼女はテレビをつけた。録画予約の一覧に、昼間の特別国会が並んでいる。サムネイルは、真紅の海。リモコンを置く。代わりに窓を開ける。街の音が入ってくる。足音、遠い笑い声、自転車のブレーキの細い鳴き。どれも、判定対象外だ。対象外の音で、世界はたぶん、保たれている。
翌日、精肉店に張り紙が一枚増えた。
《値段は正直。交渉は楽しく。》
店主の字は太かった。ナカジマは、生姜焼き用を二百グラム頼んだ。店主は、きっちり二百グラムを量り、少しだけ多めに包んだ。
「サービスです」
彼の面は、一瞬だけ桃色になり、すぐ無色に戻った。サービスに、嘘が混じることはある。彼はそれを知っている。客も知っている。知った上で、受け渡しは軽やかだった。軽やかさは、どの法律にも書けない。
夜。
ミヤコは、机に封筒を置いた。例の三つの質問に答えた紙だ。投函の前に、もう一度読み返す。
——沈黙は、よく使います。
——沈黙を、他人に許します。
——沈黙を、政府に条件付きで許します。
条件とは、沈黙が説明に戻る道を塞がないこと。沈黙が「あとで話す」に変わる約束が、その場の誰かによってちゃんと覚えられること。
彼女は封をし、ポストに入れに行った。ポストは赤い。赤いが、嘘ではない。郵便ポストは、古い友人のように、暗い口をあけて紙を飲み込んだ。飲み込むのが仕事だ。仕事に色はつかない。
その週末、議会公開ツアーに参加する人が増えた。見学者は、二階の傍聴席に並び、白い面をつけて下を見た。議場では、いつも通り、言葉が積み上がり、色が混ざり、やがて赤が勝った。勝った赤は、客席に届くほど強かった。
見学の帰り道、子どもが母親に訊いた。
「ねえ、どうして議会は、赤いの?」
母親は考え、答えた。
「色のことばかり気にすると、言葉が下手になるから、かな」
母親の面は、無色だった。子どもは満足し、ソフトクリームを落としかけ、ぎりぎりで救い、ほっとして笑った。笑いは無色だ。落としたソフトは、嘘の味がしない。甘いだけだ。
月が変わり、法は恒久法になった。官報は淡々と告げ、ニュースは短く取り上げ、ネットは長く騒いだ。長く騒ぐのは得意だ。長さは、色にならない。
街は、すこしだけ、言葉に優しくなった。優しさは、色ではなく、手触りで伝わる。手触りは、判定しづらい。判定しづらいものは、測らないほうがうまくいくことが多い。
ある晩、ミヤコはテレビをつけず、ラジオをつけた。喋り手は、笑いをこらえながらこう言った。
「今日も議会は真っ赤でした。おかげで交通情報の赤が、ちょっと目立たなかったようです」
ラジオは、色を持たない。想像力が、代わりに色を置く。置かれた色は、すぐには消えない。消えない色は、心のどこかで、ゆっくり効く。効いた先で、人は、言葉をやり直す。やり直せるのは、やっぱり救いだ。
ミヤコは、白い面をテーブルに置き、窓を開けた。夜風が、部屋に入る。
「正直に言うと——」
彼女は小さな声で言って、やめた。やめたのは、嘘を避けるためではない。言葉を次に渡すためだ。次に渡すべき相手は、すぐそばにいる。自分の明日の自分。明日の自分は、たぶん、今日よりすこし上手に、言うべきことを言うだろう。
彼女は、黙って笑った。笑いは、最後まで無色のままだった。
議会の屋根の上に、夜の鳥が一羽、止まった。鳥は鳴かず、飛びもしない。遠くでサイレンが短く鳴り、やがて消えた。
翌朝になれば、また色が灯る。街にも、家庭にも、企業にも、議場にも。
ただひとつ、変わったことがある。
沈黙は嘘ではないという但し書きの下で、街が覚えた合図。
——ここは、言葉にしていい。
——ここは、いったん黙っていい。
その二枚の紙が、ゆっくり、赤い場所の方へ風で運ばれていく。
貼るのは、だれだろう。
貼られるまで、街はせっせと、無色の笑いを増やすことにした。
真実のマスクは、今日も光る。
議場は真っ赤だ。
街は、ほどよく色あせて、ほどよく鮮やかだ。
そして、どちらにも、やり直しの余白が、少しだけ増えた。
— 完 —




