いつもさくらは見ていた
本編、いつも隣にきみがいた、のさくら目線のスピンオフです。
本編のNコード N6980LA
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【勇真の教育実習】
チャイムが鳴り終わった教室には、夕陽が差し込んでいた。
机を片付け終えた勇真は、最後の点検をしてからドアへ向かう。
「先生」
振り返ると、女子生徒の美咲が後ろの席から立ち上がっていた。
腕を組んで、少しだけ首をかしげながら、じっとこちらを見ている。
「ずっと聞こうと思ってたんだけど……そのペンダント、何か意味あるの?」
勇真は思わず胸元に手をやった。
シャツの隙間から少し覗いていた、星のペンダント。
美咲は続けた。
「悪い意味じゃないけどさ、女子の間ではちょっと話題になってたよ。“なんかあれ気になる”とか、“ちょっと中二っぽくない?とかキモイ”とか……、女子はすごく見てるんだよ。そういうところ」
言葉は柔らかいが、核心を突く声色。
鋭さと優しさが混ざった、美咲らしい言い回しだった。
勇真は少し笑って、ペンダントを手に取る。
「気になってたんだね。ごめん、見えてたのか」
「へんな噂が立つのも嫌だったから、ちゃんと見えなくしといたほうが良いと思っての忠告だよ」
美咲の視線は、ペンダントに注がれている。
飾り気のない銀の星。その形は小さくても、存在感があった。
「これね、小学生のとき、幼馴染の凜っていう子からもらったんだ」
勇真は静かに言ったあと、少しだけ間を置いて、続きを語り始めた。
「ある日、家族で川へ遊びに出かけて、凜が流されたんだ。足を滑らせて……俺、咄嗟に飛び込んで手をつかんだ。でも、一緒に流された」
美咲の目がわずかに見開かれる。
「最後に助けてくれたのは、凜のお父さん。俺たちを引き上げてくれて、助かった」
「……そんなことがあったんだ」
「うん。そのあと凜が、このペンダントをくれた。『あのとき、手をつかんでくれてありがとう』って」
勇真はペンダントの星の部分を親指でなぞった。
「“願いがかなうペンダントなんだよ”って。そんなふうに言ってくれた」
「その子が、今の彼女……」
「えっ……」 美咲はしばらく黙っていた。
でも、何かを感じ取ったように、小さく息をついた。
「……そっか。すごく素敵な話だった……私たちの時代でも、充分に感動する……みんなにも教えちゃう!」
「ありがとう。そう言ってもらえると、うれしいよ」
美咲は少し笑って、だけどまだ目線をそらさずに言う。
「ただ……そういう大事なものなら、もっと大事にしてあげて」
「え?」
「見せびらかすとかじゃなくてさ。見えてることで誤解されるの、もったいないと思う。先生がどんな思いで着けてても、見てる側が勝手に決めつけちゃうこと、あるから」
勇真は、その言葉にハッとした。
「……そうだね。美咲、ありがとう。ちゃんと、気をつけるよ」
「うん。じゃ、今日はそれだけ。お疲れさま、先生」
そう言って、美咲はふわっと笑いながら教室を出ていった。
このような出来事があった、短いようで思い出の詰まった勇真の教育実習だった。
(あぶねー……妹・さくらの高校での実習でなくて良かった……きっともっと酷い目に……)と、ホッと肩の力を抜く勇真だった。
後日秋の夕暮れ。河川敷にて。
ゆっくりと陽が落ちていく。
風がやわらかく吹き、川面をさらさらと撫でている。
勇真と凜はベンチに座って、コンビニで買ったコーヒーを手にしていた。
並んで過ごすその時間は、特別な会話がなくても心地よい。
そんな中、勇真がふと口を開く。
「……そういえばさ、教育実習で、ちょっと面白いことがあったんだ。」
「ん?何が?」
凜が横目で勇真を見る。
勇真は少し笑いながら、胸元のシャツに手を伸ばした。
「このペンダントのこと、女子生徒から『キモい』って言われたんだよ。」
「えっ、うそでしょ!?あれを!?誰がそんなこと……!」
凜の顔が思いのほか真剣になって、勇真は慌てて手を振った。
「ちがうちがう、怒るとこじゃないって」
「言ってきた子も、悪気があったわけじゃないんだ。なんか、クラスの女子たちの間で“ちょっと変わってる”って話題になってたらしい。」
「……うーん、まあ確かに、若い先生が星のペンダントしてたら、“なんか意味あるのかな”って思うかも。」
「だろ?で、素直に聞いてきた子がいたんだよ。」
勇真は、夕陽のほうを見ながら語り始めた。
美咲との会話。ペンダントの由来。
“川で助けた子”の話を。
凜は黙って聞いていた。
やがて、勇真が少し照れながら続ける。
「……でさ、その“助けた子”が今、俺の彼女なんだって言ったら、めっちゃ驚いててさ。」
「……ふふっ、そりゃそうでしょ。まさか“その子”が、私だなんて。」
凜はうれしそうに笑ったあと、そっと視線を川へ向ける。
少しだけ、瞳が潤んでいた。
「だけど……私が勇真の彼女になるまでに、どんなに苦労があったことか……」
「それを全部その子に話したら、日が暮れただろうな」
「翌朝まで続いたかもね!」
凜と勇真は笑みを浮かべ、見つめ合った。
「正直、教師って仕事はまだまだ分からないことだらけだけど……
“誰かのために動ける自分”ではいたいなって思う。
たとえそれが、変だとか、キモいとか言われてもさ。」
凜は勇真の手を、そっと握った。
「ううん、変じゃない。……むしろ、そんな勇真だから、私は好きになったんだよ。」
沈みゆく陽の中で、二人はしばらく黙って手を繋いだまま座っていた。
あの日のように、過去と今が、穏やかにつながっているのを感じながら。
【勇真の家】
― 廊下から駆け込んでくるさくら ―
バタン!
「お兄ちゃん!」
廊下を勢いよく駆けてきた妹・さくらが、リビングのドアを勢いよく開けて飛び込んできた。
テレビをぼんやり眺めていた勇真は、思わず姿勢を正す。
「……どうした? 赤点でも取ったか」
「ちがう!」
「ねぇ、教育実習で“キモイ”って言われたって本当?」
「……うわ、なんでそれ知ってんだよ……」
「お兄ちゃんの教育実習って“安南高”だったんだね。美咲は私の中学校からの友達だよ」
勇真は、思わず苦笑した。
(そうだったんだ。美咲ね……どうりで、まとっているオーラが、さくらと同じ物だと思っていたんだ……)
「……まあ、キモイって言われても仕方ないよな。実習で私物のアクセなんて普通つけないし」
「でもね」
さくらが、勇真の前のローテーブルに手をつきながら、顔を近づける。
「そのあと美咲、こう言ってた。“でも、めっちゃ素敵な話だった”って」
「……」
「“子供のころ、川で溺れた幼馴染を助けて、そのお礼にもらったペンダントらしいよ。しかも、その子が今の彼女なんだって”って」
勇真は少し驚いたように目を見開いた。
「……めっちゃ素敵じゃん、それ」
さくらは日ごろからダサいと思っていたペンダントの意味を、この時初めて知った――
「キモイって言われてたけど、美咲がみんなに話したら、今の時代でも充分に“素敵”って言われたって。ちゃんと」
さくらの言葉に、勇真はそっと目を伏せる。
「……馬鹿にされてもいいよ。俺にとっては、大事なもんだから」
いっぽう、さくらは勇真の背中が大きく見えていた――
【夕暮れのキッチン】
買い物袋を両手に提げて、陽子がキッチンに入ってきた。
ビニール袋の中には、今夜の夕飯の食材が揺れている。
「ただいまー。さくら、手伝ってくれる?」
いつもの穏やかな声。
けれどその声が聞こえるや否や、リビングの奥からさくらが勢いよく立ち上がった。
「ねえ……」
怒りと戸惑いが入り混じったような瞳で、陽子を睨む。
「なんで、これまでペンダントのこと、教えてくれなかったの?」
陽子は袋をテーブルに置きながら、少しだけ驚いた顔をした。
「ペンダント……?」
「凜ちゃんを助けたお礼に、お兄ちゃんがもらった物だって、そんな大事な意味があったなんて……知らなかった。
おかあさんは知ってたんでしょ? だったら、どうして私に何も言ってくれなかったの? 私は “凜ちゃんを助けに行ったけどお兄ちゃんも流されたって事” だけしか教えてもらってなかったよ」
陽子は表情を曇らせた。
一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざし、それから小さくため息をついた。
「今のさくらなら理解できるけど、まだ小さかったから伝わらないだろうなと思ってね」
「あーあ……、もっと早く知ってれば、お兄ちゃんの事も凜ちゃんの事も、もっともっと好きになってたのにな」
「何言ってるの、今からもっと好きになればいい事でしょ」
夕焼けの光がキッチンの窓から差し込んで、二人の影を長く伸ばした。