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~高坂あおはるー⑧~ ※挿絵あり

ピーーーーーーーーーーーー。


 処置室に張りつめていた空気が、音より先に“止まった”。


 芽瑠はモニターの前で固まったまま、喉がつまったような細い声で震えた。

「……心電、消失……完全にフラット……っ」


 唯が振り返るより早く、あいかは処置台に身を投げるように飛びついた。


「高坂くん!! 聞こえる!? 返事してっ!!」


 胸郭は上下動を失っていた。

 頬に触れたあいかの手袋越しの皮膚は、いつもよりわずかに冷たく、

 彼の沈黙が現実であることを突きつけてくる。


「唯先輩!! 心停止!! 胸骨圧迫入ります!!」


「待って、位置確認してから……っ」


 唯が指示を出すより早く、

 あいかは処置台へ膝を乗せ、彼の胸の中央、正確な圧迫ポイントへ両手を組み合わせて置いた。


「開始します!!」


 ズッ、ズッ、ズッ、ズッ――。

 一点へ集中させた体重が、規定の5〜6cm深度で胸郭を沈める。

 テンポはほぼ理想値に近い、1分間100〜120回。

 判断も体重移動も正確だが、それは訓練の成果ではなく、

 明確な“切迫感”があいかの身体を動かしていた。


「呼吸反応なし! SpO₂、急低下中!」

 芽瑠が読み上げる。

「血圧……測定不能……!」


「お美々、バッグバルブ!! 換気補助いくよ!」

「はい唯先輩!!」


 お美々がマスクを密着させ、胸骨圧迫の合間に呼吸を送り込む。

 唯は既にAEDを引き寄せ、電源を入れ、パッドを開封していた。


「AI解析入るまで続けて、あいかちゃん、止めないで!」


「止めません!!」


 あいかは涙で滲む視界の向こうで、沈黙したままの高坂へ必死に呼びかけ続けた。


「高坂くん、起きて……お願い……返ってきて……っ」


 胸骨圧迫の衝撃で、あいかの肩が震えている。それでも一度たりともテンポを乱さない。


「AEDパッド装着いくよ!! あいかちゃん、一瞬だけ離れて!」


「離れません!! 高坂くん死なせない……!!」


「あいかちゃんっ!! このままだとショック打てない! 離れて!!」


 唯の声が鋭くなり、尾美津があいかの肩をそっと押し、胸骨圧迫を代わる。


「……っ!! お願い……お願いします……!」


 あいかが押さえ込むように涙を流しながら、しかし医療判断に従って後退する。

 唯はすぐにパッドを胸部に貼り付け、解析開始。


 《解析中……患者に触れないでください》


「触れてない!!」唯は叫ぶように返し、処置室全体が息を飲む。


 ――数秒。だが永遠に等しい沈黙。


 《ショックが必要です》


「やります!」

 唯はチャージボタンを押し、目を細める。

「みんな離れて!!」


 あいかも、涙のまま手を胸元で握りしめ後退した。


 放電。高坂の体が、わずかに跳ねた。


「波形は!? 芽瑠さん!!」 唯の叫びが処置室を突き刺す。


「……まだ……まだ平坦……っ」


 あいかの膝が崩れかけ、壁に手をついた。


「高坂くん……だめ……いかないで……」


 唯はすぐに次の指示を放つ。「胸骨圧迫再開!! 換気も継続!!」


「はいっ!!」

尾美津がすぐに体勢を整え、圧迫を再開する。お美々が涙目で換気を合わせる。


「あいかちゃんは呼吸確認! 瞳孔もチェックして!」


 あいかは震える指で瞼を持ち上げ、光を当てる。反応は……遅い。遅すぎる。


「唯先輩……反応が……薄い……!」


「続けるよ!! まだ終わってないから!!」


 胸骨圧迫の音が処置室に響き続け、誰一人、言葉を飲み込む者はいなかった。


 高坂は、まだここにいる。全員がそれを信じていた。



 ◇



 二度目のショックが高坂の身体を弾ませた直後、処置室の空気はきしむような沈黙に包まれた。

 モニターの線は再び平坦。振幅も、反応も、揺らぎすらなかった。


「……反応、なし……。唯さん……戻らない……」

 芽瑠が小さな声で告げる。


 お美々が唇を噛み、その場から一歩も動けずにいる。

 尾美津は拳を握りしめ、硬直したまま高坂を見つめていた。

 唯の眉は深く歪み、判断の速度すらわずかに鈍るほどの絶望が処置室を覆った。


 だが、その沈黙を破ったのは、ただ一人。


「続けます……! 胸骨圧迫、続行します!!」


 あいかは自らの涙を拭う暇もなく、高坂の胸に手を置いた。

 その姿勢は迷いがなかった。破綻寸前の感情に押しつぶされそうになりながらも、

 手だけは正確に、高坂の生命曲線を取り戻すために動いていた。


 胸骨圧迫のリズムは1分110回。深さ約5センチ、角度は垂直、反動も極めて一定。

 規範通りの持続圧迫が淡々と、しかし必死に刻まれていく。


 処置台に滴る汗が量を増し、

 ピンクのナース服は胸元から腹部にかけて濡れ、肌に吸い付くほど張り付いた。

 呼吸のたびに布地がわずかに動き、圧迫のリズムに合わせて光を反射する。


「あいか先輩……代わります……」

 尾美津が横から腕を伸ばす。


「だめ!!」


 その声は、誰よりも強く響いた。

 自分が叫んだのに、あいか自身が驚くほどだった。


「……私が……! 私の……高坂くん……!!」


 誰もその言葉を責めない。圧迫が乱れていないことを全員が理解していたからだ。

 むしろ、あいかの必死さが“処置の質”として現れていた。


 お美々が震える声で唯に問いかける。

「唯先輩……あいか先輩……もう5分経過です……。腕……持たない……」


「持たせてるのよ。あの子、今……意地で支えてる……」

 唯は歯を食いしばった。


 圧迫は続く。涙が汗と混ざり、処置台にぽたり、ぽたりと落ちていく。

 あいかの呼吸は荒れ、腕は震え、全身に限界の兆候が出ていた。


 それでも止めなかった。止めたら、戻らない気がしたから。


「戻って……っ……! 戻ってよ……高坂くん……っ……!」


 唯がバッグバルブを握りながら、

「換気リズム合わせるよ……! あいかちゃん、そのまま、続けて!」

 と声を張る。


 その隣で芽瑠は、学生時代から見続けてきた友の“強さ”が崩れ、

 それでも“折れずに立ち続ける姿”に、呼吸すら忘れてモニターを見つめていた。


 そして。


 ――ほんの、瞬きより短い一瞬。


 波形が、揺れた。


「……え……?」


 芽瑠の目が大きく開いた。次の瞬間、処置室を切り裂く声が響く。


「あぃあぃ!! 来たよ!! 波形戻った!! 再形成入ってる!!」


「芽瑠るん!? 本当!?」

 あいかが圧迫しながら叫ぶ。


「振幅、上昇! 自発循環の兆候!!」


 唯の瞳に一気に光が戻る。


「全員、体勢整えて! 換気継続! あいかちゃん、そのままあと5回だけ圧迫続行!!」


「はいっ……!!」


 そして、あいかが最後の圧迫を刻んだ瞬間――


 モニターが、明確な心拍波形を描いた。


「脈、取れる!! 戻ってる!!」 唯が叫ぶ。


 処置室の空気が、一気に生き返った。

 高坂の胸郭がわずかに動き、数字が安定し始める。


「あぁ……高坂くん……っ……!」

 あいかの手から力が抜け、処置台の端にしがみつくように肩を震わせた。


 涙が頬を伝い落ちても、その表情は“救えた安堵”で満ちていた。



 ◇



 高坂の数値が安定ステージへ移行したと確認されたのは、蘇生終了から20分後だった。

 処置室前の廊下で待機していた三輪と佐久間は、医療スタッフの手が離れた瞬間、

 ほぼ駆け込むようにして室内へ入ってきた。


 「おい、高坂! ……生きてんじゃねえか。心臓止めるなよ、びびっただろ!」

 三輪は涙を堪えるような笑顔で肩を叩いた。


 「マジでやめろよ、高坂。あいかさんが泣きながら乗り上げて圧迫続けてたんだぞ? 

  …お前、どんだけ愛されてんだよ」

  佐久間は半分冗談、半分本気の声で言う。


 「ちょ、ちょっと待てっ……! 俺、そんな……」

  高坂は耳まで真っ赤になり、処置台の上で身をよじった。

  息はまだ浅く、身体は完全に回復していないのに、

  その表情だけは生還した23歳の青年そのものだった。


 「まあまあ。俺たち、見たんだよ」

 「“私の高坂くん!!”って叫びながら圧迫続けてたの、な?」


 「やめろって言ってるだろ!!」

  高坂の声が裏返る。

  三輪と佐久間は声を押し殺して笑った。


  だが、そのやり取りを遠巻きに見ている影があった。


 処置室の外、廊下に立つ複数の非感染隊員たち。

 その表情は笑っていない。むしろ、張り詰めた嫉妬の色を帯びていた。


 「……高坂だけ特別扱いかよ」

 「毎日3回、あいかさんにあそこの面倒見てもらって、しかも命まで救ってもらって……」

 「“私の高坂くん”だってよ。いい身分だな」


 囁き声は小さかったが、刺すような重みを帯びていた。

 彼らからすれば第二波感染者は“特別な治療を受けられる側”であり、

 それが若いナースたちと切っても切れない近さを生んでいるように映っていた。


 処置室の扉付近でその気配を感じ取った佐久間が、

 軽く舌打ちをして小声で呟く。


 「……はあ? 違うだろ。あれは医療だ。命かかってんだよ」


 三輪も肩をすくめながら言った。

 「嫉妬するのは勝手だが……高坂の苦しみ、見てないからそんなこと言えるんだ」


 だが彼らの声も、非感染者の苛立ちを完全に消すことはできない。

 廊下の空気はざらついていた。


 その一方で、処置台の上の高坂は、

 三輪と佐久間の揶揄いにまともに返せず、ただ照れ隠しのために目を逸らすしかなかった。


 「……あいかさんに迷惑ばっかりかけて……ほんと、情けない……」


 「情けなくねえよ」

 三輪が即座に返す。

 「お前、生きて帰ってきた。それだけで十分だ」


 「それにな」

 佐久間が続けた。

 「……あいかさんのあの必死さ、俺らも見て胸打たれた。

 あれは“特別扱い”じゃなくて、“お前を見捨てない”っていう医療者の目だったよ」


 高坂は言葉を失い、静かに息を吸った。


 廊下では嫉妬が渦巻き、処置室では友情が芽生え、またあいかへの感情が複雑に絡み合っていく。


 第二波は命だけでなく、人間関係までも揺さぶっていた。



 ◇



 蘇生から約一時間後。

 高坂のモニター値は安定領域に入り、唯が最終確認を終えると、

 処置室の重い空気はようやく息をつける温度へ戻っていった。


 お美々が酸素モニターの固定を見直し、

 尾美津は点滴ルートを揺らさないよう丁寧にテープで押さえる。

 芽瑠は内部データの推移を端末にまとめ、そのまま胸に抱えた。


「……搬送、可能ね」

 唯が静かに言うと、そこにいた全員が小さく息を吐いた。


 高坂はまだ脚に力が入り切らず、歩幅は少しだけ弱々しい。

 だが、自力で立てるだけで十分だった。

 後方には同じ第二波感染者の4名が並び、全員が声を出さずにその背中を支えていた。


 移動先は──西病棟。

 第二波感染者専用の隔離区域。

 ここから先は、一般病棟とはまったく違う規則と緊張、そして未知の症例が待つ。


「じゃあ……行こうか」

 あいかがそう言うと、5名はゆっくりと歩きはじめた。


 唯が全体の先導に立ち、

 お美々と尾美津は左右と後方をサポートし、

 芽瑠はデータ送信のリンク状態を確認しながら同行した。


 ヘブンズゲート科の白い靴音と、

 自衛隊の硬いブーツの音が並んで響く。


 西病棟へ向かう院内廊下は、通常より照度が高く設定されている。

 無機質な光が床に細長い影を落とし、歩くたびに揺れた。


 数分後、厚い隔離扉が自動的に開く。

 消毒灯の冷たい反射が、5人の隊員の顔に淡く光を与えた。


 彼らは、その光の向こうへ進んだ。

 進むしかなかった。


 そして──

 あいかは立ち止まるようにして、最後尾の彼らの背中を見つめた。


 救った命。

 これから何度も、危機と隣り合わせになる命。


 第二波感染者という分類は、

 世界的には“人”の範疇から外れつつある。

 未知の症状、未知の進行、未知の危険性。

 それでも、あいかの眼差しは揺らがなかった。


(……大丈夫。私たちヘブンズゲート科は──あなた達が“人でいられるように”。

 最後まで、一緒に戦うから)


 胸の奥で静かに、強く、誓いが結ばれた。


 その誓いは、これから訪れる第二波の核心に、確実に深く繋がっていくのだった。


挿絵(By みてみん)



《芽瑠視点・〆の挨拶(~高坂あおはる~ 完結)》


 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

 ヘブンズゲート科所属・研究担当の芽瑠です。

……いや、皆さんからは“芽瑠るん”のほうが通りがいいのかな。

あの子、あいかの呼び方がずっとそれなので、すっかり私の正式名称みたいになってます。


 さて。

 今回の閑話「高坂あおはる」は、あいかの“母性と暴走と限界突破”を、

 一番近くで見てきた私としても、なかなか刺激的なシリーズでした。

 あの子……昔から本当に母性が強いんです。

 特に困ってる年下くんを見ると、すぐ“放っておけないモード”になるし、

 そのうえ――胸部容量(Gカップ)は実際に数字として医療記録に載せたいくらいの迫力で……

 あ、これはさすがに学術的ではないのでやめておきます。


 でも、読者の皆さん。

 あの子が高坂くんに甘くなるのは仕方ないんです。だって“ああいう状態”なんですから。

 太さ? 長さ? ……コホン。失礼しました。研究者としては、正確なデータは伏せておきます。


 来年から3章「隔離」が始まります。

 5名の隊員さんたちがどんな“我が儘”を言い出し、誰が1日5回の処置を担当するのか……

 私も、あいかも、お美々も、唯さんも、今から自分の事のように震えています。


 でも――それがE.O.S.。そういう物語ですから。

 

 あ、最後にひとつだけ。

 私たちヘブンズゲート科が行っている処置は、すべて医学的根拠に基づく“純粋な医療行為”です。

 読者の皆さんがどう受け取るかは自由ですが……

 本編はあくまで、E.O.S.という未知の疾患に対する治療と研究を描いたものであって、

 性的な意図や目的は一切ありません。

 ――これは研究者として、ちゃんと明記しておきたかったんです。

 

 では、引き続き、よろしくお願いしますね。

 

 ~おまけ回:自衛官・三輪と佐久間と非感染者A 下ネタ談義~


 夕方の駐屯地裏、演習装備の片付けが一段落した頃。

 日が傾く赤い光の中で、三人の男たちが水筒片手にまったりしていた。

 と土の匂いが混じる、隊員特有の“休憩時間の空気”が漂う。


非感染者A

「なー……なぁお前ら、マジでさ……

 あいかさんって、Gカップあるって噂……ほんとなんか?」

 胸の前で曖昧に両手を広げながら、信じたいような信じたくないような顔をしている。


三輪

「お前、あの人のナース服、ちゃんと見たことねぇの?」

 呆れ半分、羨望半分。

 装備置き場のロッカーに背中を預けながら、目を細めて昔を語るオッサンみたいな落ち着き方。


佐久間

「胸元のファスナーな。あれ……上まで“ちゃんと”上がらない系だぞ」

 冷静な声なのに、口元はニヤついている。観察眼だけは妙に鋭い自衛官の表情。


三輪

「うん、物理的に無理だろうな。

 あれ以上引き上げようとしたら……布が泣くぞ」

 両手でファスナー動作を再現しながら、完全に確信に満ちた語り口。


非感染者A

「マジかよ……そんな人が、“1日3回”もシてくれるのかよ……」

 膝に肘を置いて崩れ落ちるような動き。自分の世界だけ少し曇天。


三輪

「いや、“高坂だけ”な?」

 事も無げに言うが、その横顔には「羨ましい」の文字がデカデカ書いてある。


佐久間

「俺はお美々ちゃんで満足してるけどな。

 あの子、ああ見えてけっこう気が強いし……良いぞ」

 満足げに顎をさすりながら言う。謎の色気を纏ったドヤ顔。


三輪

「それ言ったら俺は唯さんで満足だな。

 あの人のツッコミ、なんかクセになるんだよ」

 思い出しただけで笑いが漏れ、肩が少し震えている。


非感染者A

「お前ら……やっぱムカツクな!!

 羨ましさで腹ん中がガンガンしてきたわ!!」

 地団駄を踏みながら、水筒を振る勢いで嫉妬爆発。


佐久間

「ふふっ……高坂は、なんか……5回くらい、出してるっぽいぞ?」

 妙に含みのある声。実際の医療情報ではないが、噂として誇張される“らしい話”独特の言い方。


三輪 & 非感染者A

「「マジかっ!?」」

 二人の声が完全にハモる。

 驚愕と嫉妬と、ついでに少しの敬意が入り混じった目をして、互いに顔を見合わせていた。

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