~高坂あおはるー③~
ヘブンズルーム1号車は、朝の処置時間独特の静けさに満たされていた。
高坂は仰臥位で、落ち着かない視線を天井へ向け、
あいかはいつもより丁寧な所作でジェル塗布を始めていた。
「高坂くん、今日も深呼吸ね。吸ってー……はい、楽にして大丈夫よ」
「は、はい……!」
モニターの心拍は安定している。
ただし――体表径は今日も明確に“昨日を上回る太さ”。
唯の手首と比較したあの数字が、あいかの胸に強く残っていた。
(お、大きい……昨日より、わずかに……増えてる……?
だ、大丈夫……第二波の反応……正常……正常……!)
自分に言い聞かせながら処置を進めたその瞬間だった。
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バァン!!!
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「来たわよーーーっ!!!」
唯だった。
朝からテンション跳ね上がった唯が、書類片手に乱入してきた。
「ゆ、唯先輩!? 処置中ですから静かにっ……!」
「あ、はいはい静かにね。……で! どこ!? 高坂くんはどこ!?」
「ここです!! やめてください先輩ほんとに!!」
「いいじゃないの、ちょっと見るだけよ〜♪」
唯は、医療者としてギリ許される距離までスススッと近づき、
起点部を見た瞬間――目が輝いた。
「……っふふ……なるほどね……」
「ゆ、唯先輩!? なにその“なるほど”って……!」
「いやあ……こんなご立派なのを、あいかちゃん一人で処置してたの? すごいじゃない♪」
高坂の顔は一気に赤くなる。
モニター:HR 82 → 95 → 103
「ちょっ、唯先輩!! “ご立派”とか言わないでください!!」
「えー? だって本当に素敵じゃない。第二波の典型でしょ? データとしても貴重よこれ」
唯は悪意ゼロ。
ただ医療者として素直に“反応の良さ”に感心しているだけなのに、
言葉選びが完全に唯である。
「ほら、高坂くん。緊張しなくていいわよ〜。あなた、とても正常。医学的にも優等生♪」
「ゆ、唯先輩っっ!!」
あいかの声が上擦る。
「彼は……っ、繊細なんです!! 圧を与えないで!!」
「誰に圧かけてるのよ私。むしろ褒めてるんだから感謝して?」
高坂は、もはや声も出ない。
(む、無理……なんで褒められてんの俺……!? いやありがたいけど無理……!!)
しかし唯の追撃は続く。
「でもあいかちゃん……正直に言いなさい?」
「な、なんですか……!」
「あなた、このサイズを毎回ひとりで眺めてるんでしょ?
……ねぇ、冷静に見えて、内心ちょっとだけ動揺してるわよね?」
「……っっな、ななな!!?」
あいかの全身が一気に真っ赤になった。
そして――事件が起きる。
「本当に、素敵よね~。ねぇ、今度私にも貸してよ、ね?」
唯が悪気なく微笑んだ瞬間、
「か、彼は私のです!!!……ち、ちがう!! 私が担当です!!! 担当ですから!!!」
処置室が爆発したように静まり返った。
唯「うっそ……あいかちゃん、それ本気で言った……?」
高坂「……終わったぁ……」
モニター《HR 118(最大跳ね)》
「ち、違うんです!! 私は……担当で……っ、語彙が!! 語彙が崩れただけで!!」
唯は腹を抱えて笑った。
「もう無理……最高……! いやほんと、高坂くん。あなた人気出るわよ?」
高坂は顔を覆ったまま動かない。
医療機器だけが、場の空気を取り繕うように規則的な音を刻んでいた。
◇
処置室の空気は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに静まり返っていた。
けれど静かなのは音だけで、心拍・呼吸・羞恥・動揺は三者三様に爆発している。
唯は椅子に座り、肩を揺らしながらまだ笑っている。
「あー……ダメ……笑いすぎてお腹痛い……! あいかちゃん、あれは反則よ……“私のです!!”って……!」
「忘れてください……ほんとに忘れてください……っ!!」
あいかは耳まで真っ赤で、冷却材みたいに両頬を手で押さえていた。
高坂は、処置台の上で魂が抜けかけている。
(い、今の……夢じゃないよな……? 俺、ナースさん二人に観察されて、動揺されて、
なんか取り合いみたいになったよな……?いや無理、死ぬ、今日絶対死ぬ……)
モニターのHRは、興奮による上昇のあと、ようやく緩やかに下降を始めていた。
「高坂くん、ごめんね……! あの……誤解させるつもりはなくて……!!」
あいかが慌てて前に出た。
しかし、その声を唯が遮る。
「はいストップ。あいかちゃん、言い訳する前にまず呼吸しよ? 完全に酸素足りてない顔してるわよ?」
「ゆ、唯先輩が……!! 先輩が急に来るから……!」
「いやいやいや、言ったのは私じゃなくてあんたよ? “私のです!!”って。
あれはもう名言。語り継がれるレベル。」
「語り継がないでくださいぃぃ!!」
唯はまた笑い、あいかはその場でしゃがみ込みそうになった。
その横でモニターが反応する。
HR 78 → 85
高坂の心拍が逆に上がってきた。
「こ、高坂くん!? 動悸出てますよ!? だ、大丈夫!?」
「す、すみません……逆に気を使わせてしまって……」
あいかは慌てて計測機器を再確認し、呼吸誘導の指示をした。
「ゆっくり息を吐いてくださいね……はい……吐いて……吸って……そう、落ち着いて大丈夫ですからね」
その姿を唯が横でニヤニヤしながら見ている。
「……ふぅん」
「先輩、その“ふぅん”は何ですか……」
「いやねぇ、あいかちゃん。あなた、さっきから声が甘いのよ。
完全に“彼氏をあやすナース”になってる」
「ななな!!? な、なんですかそれ!! 医療者として普通です!!」
「普通ぅ〜? その柔らかい声、普段の1.6倍くらい甘いわよ?」
「数値化しないでください!!」
高坂は心の中で泣いていた。
(こ、これ全部俺のせいなの……? いや違うよな……? あいかさんが動揺して、
唯先輩が来て……いやでも俺が原因で……ど、どうしたらいいの……!?)
唯は両手を腰に当て、唐突にこう言った。
「まあでもね、高坂くん。あなたは何も悪くないわ」
「えっ……」
「第二波の典型反応よ。むしろ健康優良。誇っていいの」
「は、はあ……」
「あいかちゃんも、あなたの担当としてよく頑張ってる。
ただちょっと……感情が出やすいのが難点ね。かわいいけど」
「で、出てません!!」
「じゃあ聞くけど。
“彼は私のです!!”って言ったのは誰かなぁ〜? あいかちゃ〜ん?」
「忘れてくださいぃぃぃ!!」
唯はまた大笑いし、高坂はもう処置台で寝返りすら打てない。
しかしそこへ、予想外の救いが落ちてきた。
ピピッ
《処置量達成・排液圧低下安定》
「っ……!」
あいかの顔に安堵が広がった。
「高坂くん、処置完了です。よく頑張りました……」
「は、はい……ありがとうございました……」
声はまだ震えているが、心拍は徐々に安定へ向かう。
唯はその様子を見て、満足そうに頷いた。
「うん、いいね。青春って感じだわ〜」
「青春じゃないです!! 医療です!!」
「でも青春よ?」
あいかがあわあわし、高坂が真っ赤になり、唯が笑う。
処置室は今日も、医療施設とは思えないほど賑やかだった。
◇
処置後の観察が終わり、あいかはファイルを胸に抱えながら記録端末へ向かった。
心拍・排液圧ともに安定。処置時間も基準値内。数値だけ見れば完璧な成果だった。
……なのに、胸の奥がざわつく。
(なんで……あんな言い方を……。
“私のです!!”って……担当って言いたかっただけなのに……!)
思い出した瞬間、頬が再び熱を帯びる。
あいかは端末の前で硬直した。
一方、高坂は休憩スペースの椅子で所在なく座っていた。
(落ち着け……落ち着け俺……。
今日の出来事を整理しよう。
処置中に唯先輩乱入→ご立派と言われる→
あいかさんが取り乱す→“私のです”事件→心拍跳ねる→死ぬ……。)
無理だった。整理不能。
そこに、ふわりとあいかの足音が近づく。
「あ、あの……高坂くん。今日は……その……本当に、お疲れさまでした」
「は、はいっ……! こちらこそ、ありがとうございました……!」
互いに目が合わず、同時に慌てて逸らし、同時に赤くなる。
処置後とは思えない緊張が漂ったその瞬間──
「はいストップ」
唯がコーヒー片手に割って入った。
「な、なんですか唯先輩……!」
「あなたたち、さっきから距離感おかしいわよ?」
唯は二人の間の空気を指でつつくような仕草をした。
「医療処置後の患者さんと担当ナースが、
“文化祭の帰り道”みたいな気まずさ醸してどうするの?」
「文化祭じゃないです!! 医療です!!」
「でも雰囲気は完全に文化祭よ?」
「唯先輩!!」
高坂はただ、椅子の上で心臓の音が聞こえそうなくらい硬直している。
「……唯先輩。あの……私はその……今日はちょっと……言葉が……」
「崩壊してたわね」
「うっ……」
唯はストレートだった。
けれど不思議と嫌味にはならない。あいかが信頼しているからだ。
「で、高坂くん」
「は、はいっ!?」
「あなた、あいかちゃんの動揺に気づいてた?」
「えっと……あ、その……はい……なんとなく……」
「じゃあ教えてあげるけど、あれね、
あいかちゃんが珍しく“動揺+嫉妬+使命感”の混合モードに入った時の顔よ」
「嫉妬じゃないです!!」
唯はニコッと笑った。
そして──ふいに高坂へ歩み寄り、声を落とす。
「……ねぇ、高坂くん」
「は、はい……?」
唯は口元を少しだけ近づけ、小声で囁いた。
「よかったね。あいかちゃん……
“君のでも大丈夫”みたいよ?」
「っ……!」
高坂の耳まで一気に赤くなる。
唯はさらに悪戯っぽく微笑む。
「自信、持ちなさい。
特徴は特徴として、医療側が把握できれば問題なし。
あの子、あなたが思ってるよりずっと強いから」
あいかは耐えきれず、小声で「唯先輩……!」と抗議したが、
唯はひらりと手を振り、まだ続けた。
「それに──安心して。
私もOKよ♪ もちろん医療的にね?」
「えっ!? あ、あの……!!」
高坂が混乱し、あいかが真っ赤になり、
唯がケラケラと笑う。
その3人の空気は、処置後の固さとはまるで別物だった。
唯は最後に、ひとつだけ真剣な声でまとめる。
「不安な気持ちは分かる。でもね──
あなたの反応は“異常”じゃなくて“特徴”。
医療として扱える範囲。自信なくしちゃダメ」
その言葉に、高坂の肩の力がふっと抜ける。
あいかも、そっと微笑む。
「……大丈夫だからね、高坂くん。
今日もちゃんと処置できたから」
その言葉は、医療者としての冷静と、
ひとりの女性としての優しさが入り混じった声だった。
高坂は、胸の奥の不安が消えていくのを感じた。
この日の“騒動”は、
彼にとって小さな自信の種になり、
あいかにとっては小さな感情の揺れになり、
唯にとっては最高の遊びネタになった。




