~高坂あおはるー②~
相馬原駐屯地の朝は、まだ空気が硬い。
装備倉庫の奥で動き始めた発電機の低い振動音が、
ヘブンズルーム1号車の壁を伝って微かに震わせていた。
車内の照明は白色LED。医療用に調整された均一光が無影を作り、
ステンレス器具の表面をはっきり浮かせる。
空調は一定の温度を保ち、わずかな薬品臭と消毒液の揮発音が朝の静けさに溶けている。
その中心に立つあいかは、珍しく胸の奥がざわざわしていた。
(……昨日まで標準値の範囲内だったのに、なんで“ここ”まで跳ねてるの……?)
高坂隆・23歳。
第二波軽症者としては平均的だった昨日と違い、
今朝の測定値には“急激な体表径の拡張”が明確に出ていた。
端末の数値が示すのは――
管径(体表径)の拡大、拍動圧の上昇。
いずれも生理的には説明可能だが、昨日との差が大きすぎる。
(これ……本人にどう説明すればいいの……?
医学的には、第二波感染者と考えれば問題ない。でも……急だよ……)
あいかは手袋を一度はめ、深呼吸し、もう一度はめ直した。
自分でも分かる。動揺している。
「おはようございます、あいかさん」
ストレッチャーの上で高坂が笑う。昨日と同じ素直な表情。
「今日もよろしくお願いします」
(……その笑顔に“これは昨日より管径が増大してまして”なんて言えるわけないじゃない……!)
喉の奥がぎゅっと縮まる。
医療者として伝えるべき事実と、若い患者に不要な羞恥や不安を与えたくない気持ちが衝突した。
だから、あいかは“看護師の優しさ”を最大出力にして、言葉を選んだ。
「うん……高坂くん、今日も来てくれてありがとう。
体調は? 呼吸苦とか、熱っぽさはない?」
「全然元気です。むしろ昨日より軽いです」
「そっか……よかった……」
胸をなでおろす声が自然に漏れた。
昨日より優しい響きになっているのを自覚して、慌てて姿勢を正す。
(落ち着け。これは医療。優しすぎでもダメ、でも冷たくてもダメ……)
端末に視線を落としつつ、慎重に言う。
「……えっとね、高坂くん。
昨日と比べて、少しだけ数値に“変化”があるの。
悪いものじゃないよ? 第二波ではよくあることだから。
でも急激だから……今日はいつもより丁寧に触れるね」
高坂が瞬きをする。
「丁寧……ですか? なんかすみません」
「違うの。謝らなくていいよ。
君の身体が“回復と適応”を急いでるだけだから。
ね、怖くないから。……私がちゃんとするからね?」
自分で言っておきながら、あいかの耳がわずかに熱を帯びた。
(言い方……柔らかすぎた……でも……彼、絶対不安だよね……?
だったら、これくらい……看護師として正しい)
手袋の指先が高坂の体表に触れる。
そこには端末が示した通り、昨日より明らかに強い拍動圧と、拡張した管径が感じ取れた。
(……やっぱり“急”だ。昨日の倍近い圧覚……どうして……
でも第二波に感染と考えれば説明できる……問題ない……問題は……本人に言いづらいってだけで……)
「あいかさん……?」
「あ、ごめんね。つい集中しちゃって。
痛くない? 違和感は?」
「大丈夫です。むしろ、なんか安心します」
「……そっか。よかった……」
胸がふっと軽くなる。
その安堵が、あいかの“看護師としての過保護スイッチ”をさらに押し込んだ。
「高坂くん、今日は処置のステップを区切るね。
あなたの負荷が上がりすぎないように、段階的に誘導するよ。
全部私が調整するから、安心して呼吸だけ合わせてくれればいいの」
「……はい。ありがとうございます」
本当に安心したような表情。
その顔を見た瞬間、あいかの心臓が一拍ずれる。
(……だめ。優しくしすぎ。
でも……これは医療のため。患者を落ち着かせるため。
……うん、医療、医療)
自分に言い聞かせながら、あいかは処置準備を静かに進めていった。
◇
朝、目を覚ました瞬間、高坂は身体の異変に気づいた。
違和感というより、重さだ。
(ん……? なんだこれ)
布団をめくって固まった。
昨日までと明らかに違う“存在感”が視界を占めた。
(おいおいおい……嘘だろ……!)
急激な変化は、第二波軽症者にとって珍しくない。
医療説明でも言われている――とはいえ。
(これ……完全に……でかすぎじゃね……?)
青年特有の“焦り”“羞恥”“ちょっとした高揚”がまとめて襲ってくる。
しかも今日は受診日だ。
この“異常サイズ”を見せることになる。
(いやいや……どうやって説明すればいいんだよ……
昨日までは普通だったのに、今朝突然……)
あいかの顔が浮かぶ。
(あの人……絶対、驚くだろ……
というか……引かれない?)
不安の胃痛が広がる反面、
なぜか胸の奥が少しだけ高揚している自分にも気づいていた。
(……いや、でも……
昨日、あいかさん……めっちゃ優しかったよな……?)
「立派だよ」「すごく整ってる」「自信持っていいから」
医療者の言葉なのは分かる。
分かるのに――心臓が変に跳ねる。
(……もしかして。
このサイズでも“問題ないよ”って言ってくれるかもしれない……?)
そんな都合のいい期待を抱いた自分に苦笑した。
(いやいや、ねぇよ……落ち着け俺……)
けれど、処置室に入った瞬間、その期待は一気に膨らむ。
「あ、高坂くん。今日も来てくれてありがとう。
ね、大丈夫。緊張しないで――私が全部ちゃんとするからね?」
柔らかい声。
昨日と同じ、いや、昨日以上の優しさ。
そして、触診。
その瞬間、
あいかの指が一度だけ“止まった”。
(……っっ!?)
高坂には分かった。
あいかは驚いている。
けれど――次の瞬間、完全に違う空気へ変わった。
「うん……すごく整ってるよ。
ちゃんとした反応。心配しなくて大丈夫。
これはね、高坂くんの身体が“頑張ってる証拠”なの」
まるで異常を肯定するような言い方。
(……そんな優しく言われたら……
このサイズでも……いいってこと……?)
モニターが跳ねる。
脈拍 79 → 86 → 93
「反応も素直で、本当に綺麗だよ。
ね? 自信持って」
“自信を持てるサイズなのか”
“受け入れてもらえるのか”
“むしろ褒められている……?”
そんな、23歳男子が絶対に抱いてはいけない方向へ
全ての思考が滑っていく。
(……え、もしかして……
あいかさん……ちょっと興味ある……とか……?)
もちろん違う。
あいかはただの医療者で、ただの気遣いだ。
でも――青年の脳はそんな冷静じゃいられない。
(ダメだって……分かってるけど……
でも……こんな優しく言われたら……
このままでも……いいかも……って思うだろ……)
あいかの手袋が外れる音。
温度のない医療の所作なのに、胸の奥がまた跳ねる。
「じゃあ、次の工程いくね。
今日の高坂くんは、すごく“いい状態”だから安心して」
(いい状態……?
“これ”で……?
いや……そう言われたら……信じるしかないだろ……)
完全に勘違いだと頭のどこかで分かっている。
だが、止められない。
(……もし、あいかさんが“このサイズ”を普通に受け入れるなら……
俺……このままでもいい……のか……?)
23歳あおはる男子、全力の勘違い。
その心拍は今日も嘘をつかず、
モニター上で静かに跳ね続けていた。
◇
カンファレンスルームの空気は、思った以上に静かだった。
壁面モニターには、今朝の高坂隆の処置ログが並び、
周囲には院長、唯、お美々、芽瑠、そしてあいかが座っている。
議題は“第二波感染者特有の急性増大反応”。
ただそれだけのはずなのに、あいかは端末を持つ指先がわずかに震えていた。
院長が促すように言う。
「五鈴さん。では本件、詳細を」
「……はい」
一歩前へ出た瞬間、自分の鼓動が耳の奥に触れた。
昨日まで通常サイズだった体表径が、今朝いきなり――。
第二波感染者なら生理反応として説明はできる。危険域でもない。
でも、報告の“表現”が問題だった。
その逡巡を、唯が見逃すはずがない。
「え、あいかちゃんが珍しく言い淀んでる。どうしたの? もしかして……タイプだった?」
わざと軽く言う。室内の視線が一斉にあいかへ向いた。
「ち、違いますっ。そういう話ではなくて……っ」
否定の声が、普段より半音高い。余計に怪しく見えるのを自分でも分かってしまう。
唯がさらに覗き込む。
「じゃあ何でそんなに動揺してるの?」
逃げ場がなくなる感覚。
あいかは一度、静かに息を吸った。
「唯先輩……少しだけ、手首……失礼します」
「え? あ、うん。どうぞ?」
唯は腕を差し出した。あいかは両手で、そっとその手首を包む。
体温、皮膚の厚み、骨の太さ。
――比較対象として、最も“説明しやすい数字”がここにある。
しかし周囲は固まった。
手首を掴むという行為そのものが、報告の内容を暗示してしまっていたからだ。
あいかは唯の手首を離し、深呼吸して前へ向き直る。
逃げない。医療者として、必要な情報を正しく伝える。
「……本日の計測で、彼の起点部の体表径が――」
声が少し震えた。
「唯先輩の手首と、ほぼ同等サイズに達していました」
沈黙。
お美々は“えっ”と小さく声を漏らし、咄嗟に自分の手首を見た。
芽瑠も同じ動作を追い、目がわずかに見開かれる。
一方、唯だけが爆発したように明るい声をあげた。
「ちょっ……えぇぇ!? 手首!? え、あの子そんなに!? やだ、面白すぎるんだけど!」
まるで自分の成績が上がったみたいにテンションが跳ねる。
「ゆ、唯先輩っ……声、落ち着いてください……っ」
あいかは顔を真っ赤にしながら注意した。
しかし唯は笑いを堪えきれず、手首をじっと眺めながら
「いや〜……これは報告聞いた甲斐があったわ。手首よ? 手首!」
と、何度も繰り返す。
院長が喉を鳴らし、場を締め直す。
「……つまり、急性増大反応が顕著になった、と。
第二波の特徴として説明がつく範囲ではあるわけだね?」
「はい。循環負荷も許容域です。危険値ではありません」
あいかは医療者としての冷静さを取り戻し、淡々と数値を述べていく。
でも内心では、あの瞬間を思い出してしまう。
――唯先輩の手首と確かに同じ太さだった。
あれを患者に告げるわけにはいかない。だからこそ今日の説明は、必要以上に神経を使った。
芽瑠が静かに言った。
「第二波の特徴が、ここまで明確に形で出るのは珍しい。貴重なデータです」
お美々も頷きつつ、まだ自分の手首を見ている。
「……これ、比較に使われるの恥ずかしいですね……」
唯は机を叩いて笑った。
「いや〜今日来てよかったわ! あいかちゃんの“動揺”まで見れたし!」
「唯先輩っ……っ!」
あいかは肩まで赤くなりながら、端末を強く抱えた。
結局、室内で一番冷静だったのは院長だけだった。
「では、引き続き経過観察。数値変化の精査も続けましょう」
カンファレンスは淡々と終わったが――
あいかの胸の奥には、さきほどの感触だけが妙に残っていた。
唯先輩の手首。
そして、それと一致した今朝の高坂隆の体表径。
(……本当に、今日から急に……どうして……)
医療者としての冷静さと、
人間としての驚きが、胸の中でまだ整理できないままだった。
はーい、ヘブンズゲート科の唯でーす。
今日のおまけは、自衛隊に行くと毎回感じる“あの偏り”のお話。
そう──男女比。これがまあ、とんでもない。
全体の九割が男性。九割よ? 廊下歩くだけで、筋肉と若さの圧がドーンと来る。
空気が違うの。湿度まで変わる気がする。
でね、そんな世界に白衣やナース服の私たちが入るわけ。そしたらどうなると思う?
隊員くんたち、ものすごい早さで姿勢が伸びるのよ。
“これは純医療、純医療……”って頭の中で必死に念じてるのが丸見え。
第三者から見ると可愛いんだけど、本人たちはもう心拍数バクバク。
だって周りほとんど男しかいない環境で、女性と接するのって医療区画だけなんだもの。
そりゃ視線も集まるわよ。
でも今日のハイライトはやっぱりあいかちゃん。
基地帰りのカンファで、彼女が数字の報告をためらってるから何かと思えば──
「唯先輩、ちょっと……手首、失礼します」
って私の手首をそっと包むのよ。何その前置き。心臓に悪いわ。
で、震えながら報告した内容が、
「本日の体表径が……唯先輩の手首と同等でした」
はい、出ました。まさかの“手首基準”。
医療データに私の手首が登場するなんて聞いてない。
芽瑠ちゃんは固まり、お美々ちゃんは自分の手首ガン見。院長は無表情。
私? もちろん爆笑よ。だって手首よ? 医療用語になったわよ?
でもね、実はこれ、笑い話で終わるようで終わらないの。
男女比9:1の環境で、第二波の若い隊員が“妙に前向きで元気で体力モンスター”になってる状況──
そんな彼らが努力して“純医療モード”を保とうとする姿は、もうほとんど青春。
あいかちゃんが優しく声をかけるだけで表情がぱぁっと明るくなるし、
処置後に「ありがとうございました!」って声が半音上がってるの、聞こえてるんだからね。
男女比の偏りって、数字だけ見ると無機質だけど……
現場ではちゃーんと“空気の温度”として出るのよ。
そのギャップがたまらなく面白い一日でした。




