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第32話 「第二波到来ー④」

会議室の照明はやや落とされ、壁面モニターに五名分のログが並んでいた。

院長を中心に、内科医、泌尿器科医、唯、あいか、お美々、芽瑠。


円卓の空気は張りつめているが、現場を知る者同士の慣れもある。


「議題は二点」


院長が端的に告げる。


「回復速度の異常。もう一つは膨張率の突出。まず前者から」


お美々が立ち、資料を切り替えた。


「対象A、佐久間 恒一さん、二十歳。空港支援従事。初期値は軽症域。

排液後の回復時間は平均の約六割。再来間隔は短縮傾向。三回目以降も減衰が見られません」


グラフが拡大される。下降は教科書通りだが、立ち上がりが異様に早い。


「自覚症状は?」

内科医が問う。


「疲労感なし。睡眠四時間前後でも日中活動に支障なし。主観評価と客観数値が一致しています」


「一致しすぎ、だね」


芽瑠が低く言い、メモを走らせる。


「お美々、細かいね」


唯が口角を上げる。


「そこまで把握してるって、毎分見てた?」


「見てました」


お美々は即答した。


「処置中の反応速度、戻りの曲線、匂い差、廃棄量、全部揃ってます」


「あいかちゃん、聞いた?」


唯が振る。


「ナースが研究者みたい」


「いつから博士号取ったの?」


あいかが笑う。


お美々は顔色を変えない。


「数値が揃いすぎているのが問題です」


院長が頷き、次へ促す。


「では後者。膨張率」


あいかが前に出る。


「対象B、高坂 隆さん、二十三歳。平時計測七センチ。負荷時最大二十センチ。

周径増大が顕著で、循環負荷が高い。持続時間が長く、減衰が遅い」


「長いだけ?」


唯がすかさず聞く。


「太さは?」


あいかは一瞬だけ唯を見て、手を伸ばした。

唯の手首を軽く握る。


「……唯先輩の手首と同等ですね」


「うほっ!!」


唯がはしゃぎ、場に小さな笑いが走る。


「遊ばない」


院長が即座に制した。


「続けなさい」


泌尿器科医が補足する。


「痛み訴えはなし。ただし血流増加が急峻で、心拍変動に影響が出ています」


「つまり、元気だけど負荷は高い」


あいかがまとめる。


お美々は席に戻りながら、胸の奥で言葉を選んだ。

今なら言える。

ここまで数字が揃っている。

唯も、あいかも、冗談を言いながら真剣だ。


「……一点、補足します」


声は落ち着いている。

視線が集まる。


「佐久間さんは処置後の戻りが一定で、時間帯差がありません。日内変動が削られています。

高坂さんは逆に負荷依存で振れ幅が大きい。二人は同じ軽症でも、挙動が違います」


「そこまで分かる?」


唯が目を細める。


「何者?」


「担当ですから」


お美々は短く答えた。


からかいの空気の裏で、彼女は思う。

この流れなら、相談できるかもしれない。


だが、院長が結論をまとめる。


「現時点、断定はしない。経過観察を継続」


会議は次へ移った。


お美々は席に座り直し、決める。

この後、相談しよう。


そう思ったまま、言葉はまだ胸の内に留まっていた。




――――――――――

患者カルテ①


氏名:佐久間さくま 恒一こういち

年齢:20歳

所属:自衛隊 空港支援部隊

担当:お美々(看護師)


初診時所見:

Stage1相当。自覚症状乏しく、疲労感・疼痛の訴えなし。バイタル安定。


処置内容:

排液処置(計3回/日)。手技・器材ともに標準手順。


排液量(参考値):


1回目:基準量


2回目:基準量±2%


3回目:基準量±3%

※会話あり/無言での処置により微差は生じるが、排液量差は最大3%以内。


性状所見:


匂い:通常域


色調:通常域


粘度:通常域

特記すべき異常なし。


ジェル使用量:

標準量。回数間で有意差なし。


経過:

処置後の数値低下は教科書的。

回復立ち上がりが平均より著しく速く、基準域への復帰が短時間で完了。

日内変動が乏しく、再来間隔短縮傾向。


主観評価:

本人は異常を自覚せず、「調子が良い」と認識。


担当ナースコメント(お美々):

本人談として、自己処理を1日5回程度行っているとのこと。

手袋着用よりも無着用を好む傾向あり。思考は前向きで、近々ボランティア活動を始める予定と語る。

処置中の会話有無により反応速度に軽微な差は見られるが、排液量への影響は軽度。


所見:

回復曲線が安定しすぎており、生理的揺らぎが少ない。過剰な回復適応の可能性。経過観察継続。


――――――――――

患者カルテ②


氏名:高坂こうさか たかし

年齢:23歳

所属:自衛隊 空港支援部隊

担当:あいか(看護師)


初診時所見:

Stage1相当。自覚症状軽微。循環系バイタル安定。


処置内容:

排液処置(計3回/日)。標準手順。反応は良好。


計測所見:


平時計測:約7cm


負荷時最大:約20cm


周径増大が顕著(循環負荷高)


経過:

疼痛訴えなし。本人は不快感を自覚せず。

処置後の数値低下は良好だが、負荷依存で振れ幅が大きく、持続時間が長い。

減衰は遅延傾向。


主観評価:

異常と認識せず、日常活動に支障なし。


担当ナースコメント(あいか):

長さもだが、太さの増大が目立つ。循環負荷の評価が重要。

本人は自己啓発分野に関心を示しており、生活面での意識向上が見られる。


所見:

量的増大よりも循環負荷と持続性が問題。

心拍変動への影響を認める。

過度な負荷継続に注意。経過観察継続。


――――――――――


 カルテが卓上に並べられ、室内は一瞬、紙の音だけになる。

 唯が先に口を開いた。


「ねぇ、お美々ちゃん……なんでここまで数字拾えてるの?」


 問いは軽いが、視線は真剣だった。

 芽瑠も頷く。


「うん。データとしては、すごく助かります。ですが……通常、ここまでの粒度で揃うことは少ない」


 お美々は背筋を伸ばす。

「処置ごとの回復立ち上がり、排液量、性状、ジェル使用量。

 条件差を消すため、同一手順で三回、比較しました」


 あいかが横から入る。

「先輩。お美々、自衛隊基地では凄く真面目なんですよ?」


 唯はカルテに視線を落とし、ぽつり。

「……私の手首同等か」


 あいかが振り向く。

「唯先輩?」


 芽瑠も反応する。

「……手首」


 あいかが小さく首を傾げる。

「芽瑠るん?」


 お美々は真顔のまま、思考を挟むように言った。

「手首だと……循環負荷、痛くならないですか?」


 あいかが一瞬、言葉に詰まる。

「お美々?」


 唯は肩をすくめた。

「私は大丈夫よ?」


 空気が緩みかけた、その瞬間。


「その辺にしなさいっ!!」


 院長の一喝が、場を正気に戻す。

 全員が姿勢を正す。


「話を戻す」

 院長はカルテを指で叩いた。

「重要なのは、回復が“早い”ことではない。“揃いすぎている”ことだ」


 芽瑠が静かに補足する。

「揺らぎが削られている。研究的には、偶然とは見ません」


 お美々は小さく頷いた。

 言うなら今かもしれない。そう思ったが、言葉はまた喉で止まる。


 会議は次の議題へ進む。

 真面目な空気の中で、数字だけが、確かに異常を語っていた。



 ◇

 


 砂埃が舞う。号令が短く飛び、三人は同時に伏せた。膝と肘で地面を掴み、銃口の向きを揃える。

 安全線、射線、隣の隊員との間隔。撃つ前に確認する癖が身体に染みている。

 空砲の乾いた破裂音が連続して、耳の奥がじわりと痺れた。


「前進、右側遮蔽物、二秒で入れ!」

 班長の声に、三人は土嚢へ滑り込む。

 装具が胸を締め、喉が乾く。なのに息が戻るのが妙に早い。

 立ち上がって、また走って、また伏せて…その繰り返しが続いているのに、脚が残らない。


 休止の合図。土嚢の影で水筒を回し、汗を拭う。

 そこで、会話が始まる。男同士の、どうでもいいはずの、どうでもよくない話。


「なぁ」

 佐久間(20)が、ニヤつきながら声を落とした。

 「俺の担当、お美々さんなんだけどさ。マジで当たり」


 高坂(23)が即座に笑う。

 「はい出た。お美々推し」


「推すだろ」佐久間は悪びれない。

「こっちが“お願いします”って言うとさ、あの人、目が変わるんだよ。

『了解です』って、さらっと言うのに、妙に…丁寧になる」


 三輪(23)が鼻で笑う。

「お前、溜まってたもんなー」


「そうだよ、溜まってたよ。今はもう大丈夫だけどよ」

 佐久間は水を飲んで、喉を鳴らす。

「こっちは命がけで走ってんのに、あっちの“丁寧”は反則なんだよ。

 …しかも内緒で素手で、堪んないだろ?」


 高坂が肩を揺らした。

「分かるわ、そういう“特別扱い”な。俺はあいかさんだ」


「お前の、あの人のは反則だよな」三輪が突っ込む。


「反則だよ」高坂は即答した。

「顔とスタイルで既に反則。目の前に立たれた瞬間、正直、集中が一回切れる」

 言ってから、さらに声を落とす。

「勇気出して聞いたらさ、普通に教えてくれた。“G”って」


 佐久間が吹き出す。

「聞いたのかよ」


「聞くだろ」高坂は胸を張る。

「男として。で、教えてくれるのもズルい。こっち、勝手にテンション上がる」


三輪が手袋を直しながら言う。

「俺は唯さん」


「ノリ枠?」佐久間。


「ノリ枠」三輪は即答した。

「疲れたって言ったら、距離ゼロで来る。言葉も軽いのに、妙に“分かってる”感じ」

 一拍。

「筋肉質でスレンダーっぽいのに、近くに来ると意外と柔らかい。あれ、ズルい」


 高坂が笑う。

「お前、触るなよ!!」


「触るだろ?」三輪は平然と返す。

「男同士の会話だぞ」


 号令が再開を告げる。

 三人は立ち上がり、隊形に戻る。班長が手信号で左右へ振る。

 二名が前進、残りがカバー。交代。射撃姿勢、視線、呼吸。砂が口に入って苦い。

 それでも動ける。息が戻る。脚が残らない。妙に前向きになれる。自分でも理由は分からない。


 二回目の休止。

 無線機の音が遠くで鳴る。土嚢に背を預け、三人は短く笑った。


「結局さ」佐久間が言う。

「俺ら、担当バラけてんのに、全員“当たり”じゃね?」


「下世話に言うと、三方向からズルい」高坂。


「しかも誰に言っても、否定されないのが怖い」三輪。


「それな」佐久間。

「俺、演習の疲れより、帰った後の方が頭冴えてんだよ。おかしいだろ」


 高坂が水筒を振る。

「分かる。なんか…寝なくてもいけそうな気がする」


 三輪が短く吐息を落とす。

「調子に乗るなよ。…でも、乗りたくなる」


 演習線の端、伏せの合図で砂が跳ねる。息を整えながら、三輪が言った。

「あいかさんって、くびれも凄いよな」


 佐久間が即答する。

「身長165くらいでG、ウエスト60あるかないか、ヒップも崩れてない」

 走っては止まり、装具を締め直す合間に笑いが漏れる。


 高坂が呟く。

 「なあ、俺が…谷間ガン見しても、優しく笑うだけなんだ」


 三輪が驚き振り返る。

「お前、谷間見ながら排液処置してもらってんのか!?」


 号令が飛ぶ。三人は一斉に前へ。下世話な軽口は砂煙に消え、最後の反復に入る。

 障害を越え、伏せ、起き、走る。装具が鳴り、空砲が鳴り、号令が鳴る。

 三人の視界に、汗と砂の膜が張る。それでも動ける。最後まで、崩れない。


 終了の合図。

 装備解除。汗はすぐ引き、疲労が思ったより残らない。

 三人は顔を見合わせ、くだらないのに真面目な顔で言った。


 「……俺ら、勝ち組か?」佐久間。


 「下世話だな」高坂が笑う。

 「でも、否定できない」


 三輪は肩をすくめた。

 「次も演習だ。くだらない話は、また土嚢の影でな」


 男同士の軽口は、風に飛ばされる。

 残るのは、妙に軽い身体と、笑っていいのか分からない“当たり”の実感だけだった。

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