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第29話 「第二波到来-①」

 相馬原駐屯地の医務区画は、夕方になると人の流れが途切れる。

演習の終了を告げる音もなく、隊舎の外は静かだった。

空港支援から戻った隊員五名は、医務室の一角に設けられた簡易スペースで順番を待っている。

年齢はいずれも二十代から三十五歳まで。共通点はそれだけだった。

三日前、空港での緊急受け入れに従事し、その後は問題なく帰投している。


 基地の医官が要請した理由は明確だった。

 五名全員が、同じ訴えをしている。


「朝から、軽いままなんです」


 最年少の隊員が、処置後にお美々へ説明した。

「いわゆる、朝のやつが……夕方まで続いてる感じで。苦じゃないし、動けます」


 数値は安定している。血圧、脈拍、SpO₂はいずれも軽症域。呼吸に異常はない。

基地内で生活できていること自体が、その証明だった。

だが、“軽度のまま減衰しない”という点だけが揃いすぎている。


 ヘブンズルーム1号車は、医務区画の裏手に据え付けられた。

あいかとお美々はナースとして、淡々と準備を進める。

モニター装着、体位調整、ライン確保。処置前の確認を一つずつ重ねる。


「対象、五名。全員、空港支援従事。帰投後三日目。二次接触は確認なし」


 あいかが事実だけを整理する。感染拡大の兆候はない。

扱うのは、空港で直接暴露した隊員だけだ。


 処置は第一波で確立した手順どおりだった。ジェル投与、排液、数値の推移確認。

モニターは素直に反応し、一度は改善を示す。隊員の表情も緩む。


「楽ですね。違和感、抜けた感じです」


 その言葉に嘘はない。意識は明瞭、動悸もない。

だが、処置終了から数分後、あいかはモニターから目を離さなかった。


 ラインが、戻り始めている。


 危険域ではない。数値は軽症の範囲に収まっている。それでも、第一波より明らかに早い。

五名全員が、ほぼ同じ時間軸で同じ曲線を描いた。


「追加、どうします?」


 お美々が小声で確認する。

「様子見で。今は、問題を起こさないことが優先」


 処置そのものに誤りはない。対応も正しい。だからこそ、判断は慎重になる。


 全員の対応を終え、器具を片付けるころ、最年少の隊員がもう一度、お美々に声をかけた。

「朝から続いてただけで、本当に大したことなくて」


 お美々は、いつもの軽い調子で笑った。

「まだ若いからだよ~。それくらい、いつも通りって思うよね」


 場の空気が和む。隊員たちもつられて笑った。

 あいかはその様子を見ながら、頷く。


「特に自衛隊の方だし……ねぇ?」


 意味深とも取れる、おねーさん風の言い回し。冗談めいているが、否定はしない。

 その一言で、場はさらに軽くなった。


 ヘブンズルーム1号車は、何事もなく撤収準備に入る。

 基地を後にする直前、あいかは処置ログの“時間”だけを、もう一度見直した。


 数値は軽い。対応も正しい。

 それでも、どこかが終わっていない。


 相馬原駐屯地の夜は、静かに更けていった。


 ◇


 相馬原駐屯地が選ばれた理由は、明確だった。

空港支援に出ていた複数部隊が、帰投後に一時集結する後方拠点であり、

医療動線と生活動線が過不足なく整っている。前線ではない。

緊張も薄れ、隊員は通常勤務に戻りつつある。だからこそ、異変は埋もれやすい。

その相馬原で、空港任務に従事した隊員のみ、同じ軽度症状を示していた。


 ヘブンズルーム2号車は、医務区画から少し距離を取った静かな場所に設営された。

車内は必要最低限の照明に抑えられ、作業灯とモニターだけが明確な光源だ。

処置のための空間が、淡々と整えられている。


 最初の隊員がストレッチャーに横たわる。二十代半ば。表情に不安はない。

「苦しくはありません。朝から、軽いまま続いてるだけです」


 唯は短く確認した。

「体位、仰臥位。下肢固定」


「了解です、唯さん」


 尾美津が体位保持ベルトを締め、骨盤の位置を微調整する。

モニター電極を装着し、数値を読み上げた。

「脈拍62、血圧115の70、SpO₂99。安定しています」


 ライン確保。皮膚消毒、穿刺、逆血確認。動作は一つずつ確実だ。

「カテ、問題ありません」


「ジェル、基準量」


「基準量、投与開始します」


 尾美津がシリンジを操作する。抵抗はない。患者の呼吸数に変化はなく、胸郭の動きも一定だ。

 モニターの数値がゆっくりと反応を示す。


「楽です。違和感、抜けてきました」


 患者の声は明るい。排液工程に入り、時間を計測する。

 通常なら、ここで数値は安定し、処置は終盤に向かう。


「排液、継続」


 唯は時計とモニターを交互に見た。

 数分後。


「……戻り始めています」


 尾美津が数値の変化を指す。

「軽症域内ですが、改善から反転までが早いです」


 唯は一瞬、画面を確認した。

「待つ。追加なし」


「了解です」


 二人目も同条件で進める。体位、ライン、ジェル量、排液時間。すべて一致させる。

 反応は同じだった。改善し、そして短時間で戻る。


 三人目、四人目。結果は揃う。

 触診でも異常所見は出ない。皮膚温、筋緊張、局所反応、いずれも問題なし。


「所見、変化ありません。ただ……」


「続けて」


「第一波より、反応の幅がありません。戻り方が一定です」


 唯は短く頷いた。

「記録。条件一致」


 最後の隊員も、同じ経過を辿った。

 処置後、全員が前向きな言葉を口にする。


「もう大丈夫そうですね」

「生活には支障ないです」


 事実だ。数値は軽症、行動制限も不要。

 それでも、唯はログを閉じる前に、時間推移のグラフだけを拡大した。


 開始点、改善点、反転点。

 すべてが、ほぼ同じ位置に並んでいる。


「揃いすぎだよね」


「はい。偶然とは考えにくいです、唯さん」


「第一波の手順は正しい」


「そのはずです」


「だから違う」


 唯の声は低く、短い。

「反応が、再現されすぎる」


 2号車は予定どおり撤収に入る。器具を洗浄し、廃棄物を分別し、ログを保存する。

 尾美津は一歩下がり、確認した。


「帰庫後、芽瑠さんへ報告しますか」


「する。判断材料として必要」


「了解です、唯さん」


 車内灯が落とされ、相馬原駐屯地の静かな夜が戻る。

 何も起きていない。

 だが、正しい医療の結果だけが、同じ形で積み上がっていた。


 ◇


 病院の中枢フロアは、昼に近づくにつれて静まり返っていた。

 慌ただしさが消えているのは、現場が回っている証拠でもある。

 廊下に人はいる。端末も鳴っている。それでも、どこか余計な音がない。


 須志は、壁面モニターに映る集計画面を無言で眺めていた。

 数字は整っている。整いすぎている、と言った方が正確だった。


 そこへ、芽瑠が入ってくる。端末を片手に、足取りは落ち着いている。

 現場報告の声だ。


「基地二か所、ほぼ同時刻です」


 須志は視線を外さず、続きを促す。

「症状は軽度。Stage1から初期Stage2。処置後、一度は安定します」


「ただし――」


 芽瑠は一瞬、言葉を区切った。

「戻りが早い。しかも、反応が揃っています」


 須志の指が、わずかに組み替えられる。

「再現性がある、と」


「はい。偶然とは言いづらい一致です」


 院長が低く息を吐いた。

「患者数は?」


「多くありません。しかも、空港で直接対応した隊員のみです。

 二次的な広がりは、今のところ確認されていません」


 その一言で、場の空気がわずかに緩む。

 爆発的な事態ではない。少なくとも、表面上は。


「第一波の延長線上、ですね」


 芽瑠はそう言ったが、肯定の響きはなかった。

「医療動線は正しく、判断も正確です。むしろ……対応が良すぎます」


「良すぎる?」


 院長が問い返す。


「現場判断の積み重ね、というより、同じ結果に吸い寄せられている感じです」


 須志は、そこで初めて芽瑠を見た。

「現場の温度は?」


「落ち着いています。ナース主導で、余裕すらあります」


 芽瑠は続ける。

「ただ……尾美津が“読めない”と言っています」


 院長の眉がわずかに動いた。

「彼女が?」


「触診も、把持も、表情も、情報は取れている。でも、決定打にならないそうです」


 沈黙が落ちる。

 それは異常だ、と誰もが理解していた。


「能力の問題ではないな」


 須志が静かに言う。

「対象の性質が変わった。それだけだ」


 芽瑠はその言葉を、内心で反芻した。

 正しい医療。正しい反応。正しい回転。

 それらが成立したまま、違う地点に進んでいる。


「“第二波”という言葉を使うには、早いですね」


 芽瑠が言う。

「でも……同じ点に、もう一度来ている」


 院長が頷いた。

「始まった、ではないな」


「確認された、です」


 芽瑠の中で、その表現が静かに定着する。

 SECOND POINT CONFIRMED。

 口には出さない。だが、否定もしない。


「政府には?」


 院長の問いに、須志は即答しなかった。

 一拍置いてから、穏やかに答える。


「要点だけを共有します。“問題は顕在化していないが、同条件下での一致が確認された”と」


 芽瑠はそれ以上を聞かなかった。

 今の須志が、すべてを話していないことは分かる。だが、それを問いただす段階でもない。


 会議は短時間で終わった。

 結論は出ていない。だが、全員が同じ感覚を共有している。


 第一波は、確かに成功した。

 そして今、その成功が、もう一度、同じ形で現れている。


 それが何を意味するのか。

 答えは、まだ誰の手にもない。

【おまけ回】


 処置が終わり、ヘブンズルームの中には、作業後特有の静けさが戻ってきていた。

 お美々はトレイを片づけながら、最年少の隊員にちらりと視線を投げる。


「ねぇ。やっぱり若いから、軽く硬いままでも気にならないの?」


 隊員Aは一瞬だけ目を泳がせ、すぐに姿勢を正す。

「うっす。ぶっちゃけ……その、溜まってるだけだと思ってました」


 あいかが記録端末を閉じながら、さらっと口を挟む。

「まぁ、溜まってはいたよね。排液処置したんだし」


 隊員Aの表情が一気に明るくなる。

「あーざっす!! 久しぶりに……あーざっす!!」


 あいかは吹き出しそうになるのを堪えきれなかった。

「ちょっと待って。久しぶりに……なによ!?」


 横で聞いていた隊員Bが、肩をすくめて代わりに答える。

「こいつ、彼女と別れてもう三年くらいで……その、縁がないらしいです」


 一拍。

 二拍。


 あいかとお美々の視線が、同時に合う。


「……あ」


 二人は、ほぼ同時に気づいた。


 お美々がニヤリと笑い、隊員Aに身を乗り出す。

「明日も出したい? ねぇ?」


「お美々、駄目よー」

 あいかが即座に制止する。

「勝手に約束したら~」


 そのやり取りを、隊員Bは面白そうに眺めていたが、ふと真顔になった。

「あいかさん……って、スタイルいいっすよね」


 空気が一瞬、止まる。


「あぁー!!」

 お美々が声を上げる。

「あいかさんの谷間、見ながら……!!」


「ち、違います!!」

 隊員Aが慌てて否定するが、耳まで真っ赤だ。


 あいかは笑いながら、軽く手を振った。

「はいはい。私のでいいなら、いつでも。ほれ、次、行くよー」


 軽口と笑い声が、車内に残る。

 緊張はほどけ、だが境界線は守られている。


 ヘブンズルームは、今日もきちんと“仕事”を終えた。

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