第23話 「空港封鎖ー⑥」
空港は、もう機能していなかった。
滑走路でも、ターミナルでもない。
そこは「仕分け場」だった。
軍警が引いた簡易ラインの内側と外側で、人の運命が分かれる。
基準は明確で、そして残酷だ。
膨張度、循環指数、意識レベル。
数字と反応だけが判断材料で、願いや家族の声は加味されない。
尾美津は、一人ひとりの前で立ち止まり、触れる。
握る。
そして、頷くか、視線を外すか、それだけだ。
「この人、移送」
短く告げられた言葉に、担架が動く。
「この方は……」
途中まで言いかけて、尾美津は首を横に振る。
それ以上は、誰も言葉を足さない。
助かる見込みのある者だけが、ヘブンズゲート科へ送られる。
駄目な者は、その場に残される。
「あとで、政府が回収します」
空港職員が震える声で説明する。
“あとで”という言葉が、あまりにも遠い。
残された人々は、叫ばない。
叫ぶ力すら、もう残っていない。
誰かが毛布を掛け、誰かが目を閉じさせ、誰かが名札を外す。
それで終わりだ。
あいかは、担架を押しながら何度も振り返る。
残された視線が、背中に刺さる。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉か、自分でも分からないまま呟く。
返事はない。
移送用の車両が連なる。
窓は外から見えない仕様になっている。
中で何が起きているか、誰にも分からないように。
「ヘブンズゲート科行きです」
その言葉が、何度も繰り返される。
まるで行き先が、救済であるかのように。
だが、車内の空気は重い。
助かる可能性があると分かっていても、
“選ばれた”という事実が、別の恐怖を生む。
戻れないかもしれない。
普通の病棟ではない。
あそこは、噂だけが先に歩いている場所。
病院に到着すると、説明はなかった。
歓迎もない。
ただ、扉が開き、担架が流れ込む。
「そのまま、処置室へ」
白衣が待ち構え、名前も聞かれない。
数値だけが確認され、即座に分解されるように配置される。
休憩はない。
心を落ち着ける時間もない。
ここでは、到着がスタートではなく、即・本番だ。
処置が始まる音が、廊下に溢れる。
機器の起動音。
短い指示。
抑えた声。
同時刻、空港ではシャッターが下ろされていた。
「封鎖」の二文字が、公式に発表される。
だが人々が本当に覚えたのは、別の言葉だ。
――ヘブンズゲート科。
助かる人が行く場所。
行ったら、戻ってこないかもしれない場所。
国が切り札として隠していた、名前。
その存在が、この日、初めて現実として世界に落ちた。
◇
移送車の中は、静かすぎた。
エンジン音と振動だけが、現実を繋ぎ止めている。
担架が並び、患者たちはそれぞれ固定され、視線の置き場を失っている。
あいかは、一人ひとりの顔を見て回りながら、声を落とした。
「着いたら、すぐに出しましょうね」
「ここでは我慢しなくていいですよ」
医療用語を噛み砕いた、柔らかい言葉。
恐怖を刺激しないよう、語尾を丸くする。
お美々も続く。
「大丈夫です。順番に、ちゃんと見ますから」
「好きなだけ、お相手させて頂きますよー」
あえて少し明るく。
場を和らげるための、ぎこちない冗談。だが、空気は軽くならない。
「……なんで俺なんだ」
低い声が、車内に落ちる。
「ちゃんと検査も受けてた。仕事も休まなかった」
「何の落ち度があったっていうんだ」
視線が、あいかに突き刺さる。責める先を探す目だ。
「あなたたちのせいだろ」
「もっと早く抜いてれば、こんなことには――」
言葉が荒れる。
ナースに向けられた苛立ちが、刃物のように振り回される。
その瞬間、唯が前に出た。
「破裂したかったの!?」声は大きくない。
だが、空気を一気に裂いた。
「ここで怒鳴って、処置が遅れて、間に合わなくなって」
「それでよかったの!?」
誰も、返事をしない。
「私たちは、あなたを連れて行く」
「生きて、戻れる可能性があるから」
一喝は、それだけだった。
沈黙が落ちる。あいかは、そっと視線を合わせる。
「怖いですよね」
「理由なんて、納得できないですよね」
お美々も頷く。
「でも、破裂は……選べないんです」
「起きてからじゃ、どうにもならない」
あいかは、患者の手袋越しの手に、軽く触れる。
「だから今は、一緒に行きましょう」
「いっぱい出して、落ち着いてから考えましょう」
その温もりは、答えではない。だが、完全な孤独でもなかった。
移送車は、静かに走り続ける。隔離病棟は、まだ存在しない。
須志次長が必死に段取りを組み、仮設と即応で繋いでいる最中だ。
それでも、止まることはできない。
ここで止まれば、次は破裂だ。だから彼女たちは、声をかけ続ける。
重たい空気の中で、少しでも人としてを保つために。
車窓の外で、街が遠ざかっていった。
◇
病院の搬送口に、混乱はなかった。
それだけで、異様だった。
移送車が滑り込むと同時に、ストレッチャーが流れるように動き出す。
二十台以上。すでに並べられ、番号が振られ、役割が割り当てられている。
誰も怒鳴らない。誰も立ち止まらない。
「そのまま三番へ」
「四番、先に循環チェック」
短い指示が、途切れなく交差する。
あいかは一瞬、足を止めた。
空港で見てきた地獄と、この光景が、どうしても結びつかない。
「……整ってる」
思わず漏れた言葉に、お美々が小さく頷く。
「こんな短時間で……」
視線の先には、見慣れない白衣がいくつもある。
提携病院、近隣病院から派遣された医療従事者たち。
五十名以上。顔は疲れているが、動きは揃っている。
さらに外。
病院駐車場には、自衛隊のテントが規則正しく並んでいた。
二十張。
その横には、大型トラックが五台。救援物資が既に降ろされ、仕分けが始まっている。
「……ここまで」
あいかは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「ヘブンズゲート科って……」
「名前だけじゃなかったんだね」
お美々は、声を弾ませる。
「ちゃんと、受け止める気なんだ……!」
歓喜に近い感情。
ここなら、助かる。そう信じられる場所が、目の前にあった。
唯は、その様子を一瞥しただけだった。
「当然でしょ」
それだけ言って、次の患者の数値に目を落とす。
準備があるかどうかより、今やるべき処置しか見ていない。
芽瑠は、違うところを見ていた。
テントの配置。人員の流れ。マスコミが一人もいないこと。
「……早すぎる」
誰にも聞こえないように呟く。
報道規制。入場禁止。この規模を、どれだけの時間で、誰が判断したのか。
偶然ではない。これは、想定されていた動きだ。
芽瑠の視線が、建物の奥へ向かう。
須志次長。
あの人が、ここまで読んでいなければ、あり得ない。
その須志は、現場に姿を見せない。
だが、すべてが彼の手配通りに動いている。
尾美津は、搬送口の脇に設置された仮設シャワー室を見つけて、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
「……助かる」
誰にも聞かれない程度の声。
フィリピンから帰国して、そのまま現場に入っていた。
塩と汗の感覚が、まだ皮膚に残っている。
小さな喜び。だが、確かな救い。
「よし、次!」
声がかかり、思考は即座に切り替わる。
到着と同時に、処置が始まる。
説明は後。感情は後回し。
ヘブンズゲート科は、祈りの場ではない。
だが、ここには確かに“通す門”がある。
地獄の中で、選ばれた者たちを、次へ送るための門が。
◇
その夜、報道は揃って同じ映像を流した。
封鎖された空港。下ろされたシャッター。
立ち入りを制止する軍警。
「本日発生した事案について、政府は感染拡大防止の観点から――」
言葉は整っている。被害は限定的。対応は迅速。市民に危険はない。
そう繰り返される。
だが、画面の隅に映り込んだものが、説明よりも雄弁だった。
ストレッチャー。連なって運び出される担架。顔を伏せた医療従事者。
そして、テロップ。
――重症患者は、専門科へ移送。
「専門科」という言葉が、妙に曖昧だった。
SNSでは、すでに別の言葉が使われ始めている。
〈ヘブンズゲート科って何〉
〈行ったら戻れないって本当?〉
〈空港から直行してる動画出てる〉
断片的な映像。搬送口に並ぶストレッチャー。自衛隊のテント。
入場を拒まれる記者。
情報は足りない。だが、恐怖には十分だった。
「助かる人が行く場所らしい」
「国の切り札だって」
「選ばれた人間だけが通される門」
定義は揃わない。だが名前だけが、急速に浸透していく。
――ヘブンズゲート科。
その名は、救済の響きを持ちながら、
同時に、戻れない場所の匂いも帯びていた。
病院の内部では、処置が続いている。誰もカメラを入れない。誰も説明しない。
外では、人々が語る。
「あそこに行けば助かる」
「いや、行ったら終わりだ」
「何かが始まったんだ」
真実は、まだ形を持たない。
だが、世界はもう一歩、戻れない場所へ踏み出していた。
空港は封鎖された。事件は収束したことになっている。
それでも、名前だけが残る。
ヘブンズゲート科。
救いか、選別か。
希望か、終わりか。
答えが出る前に、その門は、確かに開かれてしまった。
――静かに。
~尾美津でびゅー♪~
「紹介するわね。新戦力よ」
唯の一言で、空気が切り替わった。
「尾美津色香、二十歳。身長155。隠れ巨乳のDカップ。以上」
必要事項だけを置いて、唯は次の資料に目を落とす。
「……短っ」
あいかが思わず突っ込むと、当の本人が一歩前に出た。
「どーも! 尾美津です♪」
にこっと笑う。若い。元気。場違いなくらい明るい。
お美々が小声で耳打ちする。
「え、フィリピンから?」
「そう。向こうの医療団でEOS対応やってました!」
「……いつ連れてきたんですか」
芽瑠の視線が唯に刺さる。
「内緒で」
唯は悪びれない。
本来、尾美津が所属しているはずの医療団は、今頃大混乱だろう。
当人は気にも留めていない。
「特殊能力は?」
須志が事務的に問う。
尾美津は胸を張る。
「触れば、握れば、分かります! 量も、時間も、詰まり具合も!」
「数値じゃ言えないやつです!」
「で、噂の“癖”って?」
あいかが恐る恐る聞くと、尾美津は真顔になった。
「排液処置のとき、患者さんの顔をガン見します」
一同、沈黙。
「最後まで、トコトン絞り抜きます」
さらに沈黙。
「だって!」
尾美津は勢いよく続ける。
「患者さんの表情を見ずして、何が医療ですか!!」
妙に正論だった。
あいかとお美々が吹き出し、芽瑠は額を押さえ、須志はメモを取る。
唯だけが、少しだけ口元を緩めた。
――ヘブンズゲート科。
また一人、厄介で頼もしい医療者が加わったらしい。




