第12話 「白と黒の選択 ―②」
第一ベッドの患者が安定を取り戻し、薬液ラインの数値が規定範囲に収まった瞬間、
処置室の空気がようやく一段低く息をついた。
しかし、誰も視線を緩めてはいない。
モニターの微かな電子音に全員の神経が預けられている。
「あいかさん、フェーズ1経過良好。膨張度、安定傾向です」
「了解。次の波が来る前に移送。リカバリーベッドへ」
看護師たちが息を合わせて患者を移す。
ストレッチャーの軋みが処置の終わりを知らせるように響いた。
そのタイミングで、芽瑠が胸元のインカムに手を添えた。
小さく揺れる髪を耳にかけ、端末を軽くタップする。
「……あいあい」
「どうしたの?」
芽瑠の声は落ち着いていたが、どこか僅かに柔らかさを帯びていた。
「外拠点のヘブンズルーム──お美々ちゃん。
ステージ1後半の患者、手際よく処置進めれているみたいです」
「あの子が?」
「はい。恐怖反応の声掛けと、薬液フェーズの指示、精度高いです」
あいかは、ふっと息を吐いた。
表情が大きく緩んだわけではない。
けれど確かに肩から力が一瞬抜ける。
(よかった……任せた意味があった)
お美々の“軽さ”は時に誤解される。
しかし、それは意図的なコミュニケーションの形だと彼女は知っている。
そして、今まさに成果として返ってきた。
「……そうか。あの子、やるじゃない」
あいかの胸に広がる安堵。
だが同時に、背筋の奥に火が灯った。
(外が回ってるなら……院内は、もっと攻められる)
次の搬送情報が処置室のスピーカーから流れる。
【救急車両二台――到着予定一分半】
あいかがフェイスシールドを整え、手袋の表面を鳴らした。
チーム全員が、その音に反応するかのように顔を上げる。
「よし……」
無意識に口が動いた。
それが、自分のものではない言葉だと自覚する前に。
「こっちにガンガン患者さん回して!」
そのテンポ、その語尾。
緑川ゆいの、あの乱暴で、でも温度の高い声。
そして、決定的な一言が――自然と落ちた。
「みんな……今日も抜くよ!!」
その瞬間、看護師二名が同時に声を揃えた。
「「はいっ!!」」
迷いのない返事。
手袋の素材が擦れる音、器具が並ぶ金属の微かな接触音。
数秒前まで疲労の色が滲んでいた表情が、
気負いへの恐怖より“燃える使命”に塗り替えられていく。
芽瑠はそれを横で見ながら、
頭では説明できない“現場の空気”というものを記録ではなく記憶に刻む。
(声ひとつで空気が変わる……
それは、技術でも薬でもない。
医療者の“熱”が場を動かす)
扉が開き、ストレッチャーが流れ込む。
次の患者、次の命、次の選択。
あいかの声が室内を突く。
「第一ベッド、トリアージC!
フェーズ判定は処置中に!」
「了解!」
誰も止まらない。
誰も迷わない。
院内ヘブンズルームは、
外拠点と同じ空の下、
戦場として動き続けていた。
◇
大型商業施設「MIRAI CROSS 7th Avenue」。
午後に差し掛かり、人の流れはさらに増していた。
吹き抜けに広がる光と喧騒の向こう、
パーテーションで区切られた臨時医療拠点「ヘブンズルーム 外拠点」は、
まるでそこだけ別の空気密度を持っていた。
(よし、ここが私の持ち場)
お美々はフェイスシールドを軽く押し上げ、胸につけた名札を直しながら息を整えた。
あいあいの院内側と違い、こちらは日常と非日常の接点。
恐怖を抱えた患者を迎え入れながら、通路ではソフトクリームが売られ、
子どもが風船を持って走っている。
(この温度差、むしろ落ち着く)
◆◆◆ 患者A:ステージ1後半(典型/恐怖反応強)◆◆◆
「ナースさん、破裂しますか!?これ破裂しませんか!?」
入ってくるなり、声と足がまとまらない。
腹部を押さえ、呼吸が浅い。
典型的な恐怖過多型。
ステージ1後半――膨張は出ているが制御圏内。
「破裂しませーん♪」
明るさ100%で即答。
不安を飲み込む前に、声で塞ぐ。
「まずは座りましょう。立っていると恐怖が勝ちます♪」
座らせた瞬間、膝の震えが止まる。
その硬さをお美々は膝越しに見抜く。
(恐怖で身体が前のめり。それを戻せる角度を探す)
ジェルパッドを取り、手のひらで温度を確認。
押圧ポイントは腹部中央よりやや右下、八時方向。
触診で圧の逃げ方を読む。
「ナースさん、俺、震えて……」
「震えて正解です。生きてる証拠です♪
感情が迷子になると、身体が帰ってくる角度を探し始めます!」
「角度……?」
「はい、今日のあなたの角度、すっごく素敵ですよ♪」
投与ラインを準備。
助手が針を構えた手をわずかに緊張させる。
「ライン確保、いけますか?」
「だ、大丈夫です」
「じゃ、いきましょ。いつもの角度、安定してます」
針が刺さる。
一瞬の息止め、しかし咳き込むことなく成功。
「フェーズ1、投与開始」
モニターの脈拍、血圧、呼吸数が緩やかに下降する。
「……お姉さん、楽になってきました」
「ほら〜、角度の勝ちです♪」
患者の表情に安堵が戻る。
「ありがとう、お姉さん」
「こちらこそ♪」
一人目、クリア。
◆◆◆ 患者B:ステージ2序盤(進行少し早い)◆◆◆
二人目の男性がスタッフに支えられながら入ってきた。
やや顔色が悪い。
ステージ2序盤、対処のタイミングが重要なケース。
「ナースさん、俺……やばいっすか……?」
「やばくないっす♪」
言葉の軽さと笑顔。
しかし目だけはモニターへ走る。
(進行早いけど、波が来る前。今が勝負)
「お姉さん、ほんとに……?」
「ほんとにほんと♪」
ジェルの量を少し増やす。
押圧は軽め、温度差を抑えて皮膚の緊張を取る。
ライン確保を助手に指示する。
「針、浅く狙います。血管浮いてきてます」
「了解!」
「呼吸はスンスンじゃなくてスーーンです♪
吸うとき長く、吐くとき短く。逆じゃないです」
「スーーン……ス…ン……?」
「そうそう、その“ちょっとダサい感じ”が正解です♪」
笑いが少し起きる。
恐怖と筋緊張が同時に抜けていくのがわかる。
「フェーズ1、投与」
モニターの波形が安定。
血圧が緩やかに下がり、脈が一定に戻ってくる。
「……すご……楽っす……」
「はい、角度いいですよ♪
身体が恐怖に引っ張られそうな時、戻る道を作るんです」
「お、美々……って……名札……」
「あ、気づきました?お美々ちゃんです♪」
「お美々ちゃん……すげぇ……」
「褒められましたっ♪」
二人目、成功。
◆◆◆ 患者C:ステージ1後半(高齢男性/情緒対応)◆◆◆
三人目。
六十代後半と思われる男性が、息子らしき青年に付き添われて入ってきた。
「ナースさん……テレビで見てから……ずっと怖くて……」
「怖いって言える人、強い人です♪」
椅子に座らせ、手を軽く握り、触診。
膨張は1後半。
炎症熱が少しある。
「押しますよ。痛み来たら声ください」
ジェルで温度調整。
押圧の角度は六時方向から上へなぞり上げる。
「痛っ……」
「はい、いい声。
痛みは黙るより伝わる方が安全です♪」
コンプレッションの圧を変え、
助手にライン準備を指示。
「呼吸は浅く、速くでいいです。
深呼吸より、いまはその方が身体に合います」
息子が不安げに覗き込む。
「お姉さん……父、ほんとに大丈夫なんですか……」
「大丈夫♪あなたの父は、すごく素敵な角度を保ってます」
「角度……?」
「痛みと恐怖がピークの時、人は身体を守る方向に傾きます。
その迷子になりそうな感情を、身体が戻そうとしてるんです」
息子の表情がゆっくりと和らいだ。
父親の顔にも、落ち着きが戻る。
「フェーズ1投与。ゆっくりいきます」
薬液の流れに合わせ、モニターの波形が整う。
呼吸、血圧、脈、それぞれが規定値に近づく。
「……本当に……楽になった……」
「はい、お見事です♪」
息子が名札に気づく。
「お美々さん……ありがとうございました」
「こちらこそ感謝です。
お父さん、今日の角度、バッチリでした♪」
三人目も、送り出すことができた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お美々は背中の汗をぬぐい、小さく息をついた。
(流れ掴んだ。いける)
後ろのスタッフが呟く。
「なんか……あの人が前線に立つと空気が違うな」
「怖さが薄れるよな」
お美々はインカムに指を添え、
胸を張って言った。
「こちら外拠点、三連続クリアです♪
角度も声も、絶好調です!」
声のトーンが明るく響き、
その熱が院内にも伝播していった。




