【閑話】~ヘブンズルーム~
搬入口横のスペースは、いつもの殺風景なコンクリートではなかった。
白い大型車両二台が並び、「HEAVEN’S ROOM」の薄青い文字が朝日に光っている。
お美々が最前列で、子どもみたいに跳ねていた。
「やばい、ほんとに来た! 噂のヘブンズルーム! 二台も!!」
後ろであいかが小さくため息をつく。
「お美々、まず落ち着いて。公式発表は午後の説明会だから」
「でも、中見たい! 動かしたい! ハンドル握りたいっ!」
「運転免許、何持ってるの」
「原付!」
「論外です」
そんな二人の横を、検査技師の2人組が通り過ぎ、車体を見て固まる。
「え、これ採血セット積める?」
「いや容量じゃなくて、振動どうすんの採血中に…」
真剣な顔で車体を見ながら議論している。
その横でお美々が口を挟む。
「採血の人、ヘブンズルームに乗りたいなら順番だよ!」
「乗り物扱い!? 違う、これ医療機器だから!」
検査技師の真面目さに、あいかは内心で同情する。
そこへ、事務局のスーツ姿2人組が近づいてきた。
眉間にしわを寄せて、車体下を覗き込んでいる。
「これ維持費いくらだ…?」
「燃料って経費で落ちる?」
「保険どうする?」
恐ろしく現実的だ。
お美々が小声で耳打ちしてきた。
「事務局の人って夢が無いよね」
「夢を見せるために現実回してくれてる人達よ」
そこへ、放射線技師がカタログ片手に現れた。
「このサイズならポータブルCT積める?」
「やめて、絶対荷重オーバー」
「いや、スライド式アームなら…」
「あんた達が乗せる方向性、いつも危ないのよ」
議論はなぜか装備拡張の方向へ向かっている。
お美々は純粋に目を輝かせていた。
「CT乗ったら最強じゃん!!」
「あなたの“最強”の基準が雑なのよ」
そんな喧噪の中、売店のおばちゃんが、店の荷台を押しながら現れる。
ヘブンズルームを見上げて言った。
「これ、涼しいのかい?」
放射線技師が即答する。
「陰圧設備入ってるから温熱管理は高性能だよ」
「じゃぁさ、お昼どきだけでいいから、サンドイッチ冷やす箱に——」
「やめて! 食品入れないで!」
医療と食材を同列に考えるその柔軟性は、ある意味最強である。
検査技師が車体横の収納を触ろうとし——
「ペタペタ触らないで!!」
突然の怒声に、全員がビクッとした。
車両整備担当者の男性、腕まくり、目が本気。
「納車初日! 傷つけたら書類地獄!
特に白、爪でこすると跡残るから気を付けて!」
「すみません、爪伸びてます!」
お美々が両手を背中に隠しながら、なぜか前へ出た。
「お願い、乗せて。動かしたい。ちょっとだけ、ほんの数メートル」
整備担当者は即答した。
「原付免許の人は絶対だめ」
「聞かれてた!!」
周囲が笑う。
放射線技師が肩を震わせながら小声で囁く。
「昼休みにみんなで中で昼寝……」
その言葉を塞ぐように、あいかが鋭く振り向いた。
「院長の前で不謹慎です!」
一瞬、空気が静まる。
だが売店のおばちゃんだけは、腕を組んだまま言った。
「まぁ、昼寝できるほど平和なら、それが一番なんだけどね」
その言葉に、全員が言葉を失う。
重くはないが、妙に核心だった。
お美々が照れ隠しに笑って、車体を見上げる。
「人を運ぶ箱じゃなくて、人を救う箱ってことだね」
整備担当者がやっと表情を和らげる。
「傷つけなきゃ、好きなだけ見てっていいよ」
車体に反射した光が、みんなの表情を明るくしていた。
初日の喧噪は続く。
それが、ヘブンズルームがもたらした“最初の効果”だった。
◇
① 院内マニュアル形式(配布資料)
移動式E.O.S.簡易処置ユニット「ヘブンズルーム」は、
当院が外来前線対応の迅速化を目的に暫定運用する移動式処置拠点である。
基礎機能は病棟処置室と同等の環境を持ち、
膨張度観察・陰圧管理・ジェル処置補助・短期観察を車体内にて完結できる。
感染疑い症例の搬送リスクを低減し、処置開始までの時間を短縮することを主目的とする。
運用責任者は院長および派遣研究官が指名するジェル資格者。
安全管理、倫理指針、記録提出については、
病院規定および研究機構提出のガイドラインに従い運用すること。
処置時の通信ログ、膨張度推移データ、ジェル反応値は自動保存され、
緊急事例として扱われる症例の場合は別系統の承認が必要となる。
なお、ユニット内部は病棟と異なり、
狭所・揺れ・患者不安反応を想定した声掛けと配慮が求められる。
「設備がある=安心」ではなく、「設備の中で安心させる」ことが前線である。
② 研修資料スライド風(箇条書き・簡潔)
移動式E.O.S.簡易処置ユニット “HEAVEN’S ROOM”運用概要
目的:患者到着前の“先行処置”
対応:二名同時/短期観察/膨張度モニタリング
構造:前室(陰圧)/処置室/観察区画
特徴:
・出張前線対応
・イベント群集リスク
・災害・停電下での稼働
注意:
・固定病床と同等ではない
・患者心理の揺れが大きい
・内部は“診療行為と密室”が同時に存在する空間
合言葉:
“患者を乗せる箱ではなく、安心を積む箱”
※詳細はマニュアル参照。
※運転・配置は責任者許可が必要。
③ 会議での説明セリフ(院長 )
「誤解してほしくない。これは派手な機械じゃない。時間を買うための箱だ。
搬送中に状態が変わる患者がいる。病院にたどり着けない命がある。
ヘブンズルームは、患者に“来てもらう前に、こちらが先にそこへ行く”ための手段なんだ。
中には二名が限界だ。病棟の代わりにはならない。だが、助けられる可能性が生まれる。
止められる発作がある。間に合うかもしれない、あの一分の差を埋める。
忘れないでほしい。これは“治療の箱”じゃない。“希望を繋ぐ箱”なんだ」
病棟の窓から、並んだヘブンズルームを見下ろしていた。
真っ白で、妙に存在感があって、でも医療器具に見えないくらい綺麗すぎて。
なんだか現実じゃないみたいだった。
——芽瑠るんがこの病院に来る日を、嬉しくないわけがない。
学生の頃から研究志向で、誰よりも先を歩いていた。
私は現場、彼女はデータ。その違いはあったけど、向いている方向は同じだった。
だから「派遣」だと聞いたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。
戦場みたいな外来でも、肩を並べられる人が来てくれたのだと。
だけど。
その後ろに、いきなり二台の“武器”が並んだ時、嬉しさより先に、息が止まった。
あれを見て感動しなかったと言えば嘘になる。
移動式の処置ユニット。病院が患者の場所へ行ける。
助けられなかった症例を、助けられるかもしれない。
あの場所で膨張が進んだ患者を、その場で観察できる。
それは現場の私たちからすれば、夢みたいな装備だ。
もし、芽瑠が研究者として“必要だから”と用意してくれたのなら。
——私は素直にこう言えた。「芽瑠るん、でかした!!」って。
学生の頃みたいに、ハイタッチの一つでもしたと思う。
彼女の考える未来を、私が現場で試す。それは悪くない。
でも違う。
あれは“持たされた”と聞いた。
手ぶらでは格好がつかない、と。
その言い方がどうにも引っかかった。
誰の格好? 誰に見せるための「手ぶら」じゃない「格好」なのか。
芽瑠るんは、昔から“巻き込まれる側の人間ではなかった”。
研究データの価値を理解して、政治の正しい使い方も知っている。
利用するなら、目的のために利用する、そんな人だ。
でも——今回は、少し違う気がした。
彼女自身が「持ってこさせられた」ような温度を、言葉の隅に感じた。
私たちは現場で、患者の膨張度を目の前にして走り回っている。
研究機構はデータを求めて、政治は形を求める。
その間に立つのが、芽瑠るんになってしまうのだろうか。
誰かのために、何かの象徴にされてしまうのだろうか。
私は嬉しい。
でも同時に、少しだけ怖い。
あのヘブンズルームは、希望に見えるけれど、鎖にもなり得る。
必要以上に便利すぎる“道具”は、持ち主を縛る。
芽瑠るん。
あなたが前に出るなら、私は横に立つ。
でももし、後ろから押されているのなら——その背中を止めたい。
利用されるためじゃなく、救うためにここへ来たのなら。
その目的だけは、誰にもねじ曲げさせたくない。




