表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/100

第10話 「会議室からの黒影 ー③」

 翌週の朝。まだ日差しが柔らかく、救急搬入口に光がゆっくり降りてくる時間帯だった。


 その白い光の中に、二台の影が滑り込んだ。


 病院の壁と同じ白をまとった、見慣れない大型車両。


 救急車と似ているようで、違う。

 災害派遣車両とも、民間の搬送車とも違う。

 ただ、直感だけが先に語る――これは “病院が移動してくる” 類のものだ、と。


 職員たちの足がゆっくり止まる。

 歓声はまだ出ていない。

 理解が追いつく前の静けさがあった。


 最初に車両の扉が開いた。


 ゆっくりと降りてきたのは――森乃芽瑠。


 スーツは黒、名札は正式なもの、姿勢も声も“派遣者”の温度を持っていた。


 玄関前に院長が出ると、それだけで空気が整う。


 「本日より研究観察名目で当院に派遣されます、森乃芽瑠 特任研究官です」


 芽瑠はゆっくりと一礼する。


 「研究機構より派遣されました。現場の邪魔をしないこと、そして必要な記録と連携を第一に務めます。どうぞよろしくお願いします」


 公式の言葉。

 抑制された声。

 しかし、その奥に熱を隠しきれていないのがわかる。


 ――再会の視線が交差した。


 人だかりの中から一歩進み出たのはあいか。

 仕事の顔と、学生時代の顔が同居する複雑な表情。


 「……芽瑠るん。来たんだ」


 芽瑠の口元が一瞬だけ、昔の温度に戻る。


 「来たよ。あいあいがここにいるって、正式書類にも書いてあったからね」


 その言い方は軽く聞こえるのに、どこか覚悟を含んでいた。


 お美々が後ろからそっと顔を出す。


 「先輩……大学の同期って、本当に?」


 「ああ。研究志向で、いつも私より二歩くらい先を歩いてた」


 芽瑠が肩をすくめ、小さく笑う。


 「いや、一歩半くらいだったと思うけど」


 そのやり取りが、周囲の緊張を少しだけ緩めた。


 そして、視線は自然と――後ろへ吸い込まれる。


 二台の白。


 無機質で、美しくて、現実感が薄い存在。


 院長が短く告げる。


 「正式名称、移動式E.O.S.簡易処置ユニット――“ヘブンズルーム”」


 職員たちが息を飲む。


 「あれが……処置できる……?」


 「現場で?」


 「病院じゃなくて?」


 芽瑠が言葉を継ぐ。


 「形としては“手ぶらで行くのも格好がつかない”という理屈みたいです。……らしいよ」


 その皮肉のような言い回しが、少しだけ胸をざわつかせた。


 あいかは、目を離せなかった。


 できなかった処置ができるかもしれない。

 届かなかった患者に届くかもしれない。


 夢が形を持ったとき、人は逆に言葉を失う。


 その白の奥に希望が見えて、同時に影も見えた。


 院長が周囲へ指示を飛ばし始める。

 受領手続き、鍵の管理、設備説明の時間割、研修の段取り。


 あいかたちは一旦解散となり――人の集まる場所では聞こえない声が、別の場所で始まっていた。


 ◇


 院長室の扉が閉まる。


 カップに注がれたコーヒーから湯気が消えていく。

 香りはあるのに、温度がない。


 向かい合うのは黒のスーツの男。

 肩書きを名乗らない。

 名刺も出さない。

 だが、どの席に座る人間かは仕草で分かる。


 男が先に切り出す。


 「ヘブンズルームの件、予定通り配備されました。研究機構と政府の協同成果という形です」


 院長は受け取った書類を一度閉じ、


 「“手ぶらでは格好がつかない”――便利な文言ですね」


 男は笑う。唇だけで。


 「整備費と管理費は当面特別会計。国会承認までは仮置きです」


 「……“当面”?」


 「状況が変われば、名目も変わります」


 院長は理解していた。


 道具が増えるほど、

 それを扱う手と、

 責任を負う首が増える。


 持てば自由になり、

 持てば縛られる。


 医療も政治も、それは同じ。


 男は淡々と続ける。


 「緑川唯、五鈴あいか、須子有喜……名前が残る人物が必要になります」


 “名前が残る”


 それが称号か、

 犠牲か、

 象徴か、

 まだ分からない。


 院長は、静かに視線をそらさず告げた。


 「現場は象徴で動いていません。……人で動きます」


 男は返さない。


 沈黙は否定でも肯定でもなく、“議事録に残らない答え”としてそこに落ちた。


 ◇


 夕刻。


 搬入口にはまだ、白が残っていた。

 光が角を拾い、影を長く伸ばしている。


 あいかは少し離れた廊下からそれを見ていた。


 芽瑠も横に立つ。


 「……現場って、こんなにざわつくんだね」


 「病気も、人も、止まってくれないから」


 あいかが小さく言うと、芽瑠はわずかに表情を緩めた。


 「でも、“動ける病院”は悪くないと思うよ」


 「私も、そう思う」


 その言葉のあとに、風が通った。


 希望にも、影にも通じる風。


 芽瑠は少しだけ遠くを見て言った。


 「この白が、救う白か。縛る白か。……見極めないとね」


 あいかは答えない。

 答えられないのではなく、今は答えがないから。


 ただヘブンズルームは、そこにあった。

 白い病院の横で。

 まだ誰も使っていない “未来の形” として。



~「移動式E.O.S.簡易処置ユニット/ヘブンズルーム」~

ヘブンズルームは、E.O.S.対策に特化して設計された「移動式前線医療ユニット」である。

ベース車体は**ISUZU製、中型輸送シャーシ(4tクラス・8t免許対応)**を専用改造。

全長9.8m、幅2.4m、高さ3.3m。

市街地走行と病院内搬入口の通過を想定し、全高を抑えつつ室内容積を最大化している。


 内部区画は三構造になっている。


 ① 前室(陰圧調整エアロック)

 ② デュアル処置ブース

 ③ 隔離観察・データ収集ゾーン


 まず前室には負圧コントロールユニットが組み込まれており、外気と内部の気圧差を7Paで維持。

感染症や膨張度急変による不明リスクへの一次防護を担う。

消毒剤の噴霧とUV照射が自動化され、1サイクル2分でクリーンレベルを前線使用基準へリセット可能。


 中央の処置ゾーンは、E.O.S.特有の“膨張度モニタリング”に連動するバイタル統合パネルを備える。

膨張度・心拍・血流抵抗値・筋緊張、そしてジェル反応アルゴリズムをリアルタイムで数値化。

施術者のタッチレス操作(指示ジェスチャー)に対応し、

手袋を汚染したまま画面操作を避けるための仕組みだ。


 二名同時処置が可能ながら、ベッドの間には可動隔壁があり、片側に緊急陰圧をかけつつ、

もう片側は通常モードを維持できる。

これは片側が重症化しても、隣の軽症者の処置継続を可能にするための仕様だ。


 後部の観察ゾーンには、最大6時間の継続滞在を想定した簡易リクライニング席と、

膨張度推移の自動記録システムを搭載。

症例ごとの反応曲線がクラウド経由で病院・研究機構・政府医療データベースへ自動転送される。

ただし送信には三段階認証が必要で、院長・研究機構・政府側担当、

それぞれの承認キーが揃わなければ閲覧不可という設計。

建前は“研究倫理”だが、実際には“政治的安全装置”でもある。


 電源は車体下部にハイブリッド蓄電ユニットを搭載し、

ジェル冷却・陰圧装置・照明など主要系統は最大11時間稼働可能。

外部からのAC給電にも対応し、避難所・野戦病院・空港検疫ラインなど、

多用途運用が前提となっている。


 そして何より特徴的なのは、**固定病院と違い“動けることそのものが武器”**という点だ。

E.O.S.患者は膨張度の変動が読めず、搬送中悪化が多い。

ヘブンズルームは“患者が病院に来る前に病院が来る”を可能にする。


 このユニットは派手さより、「助かるはずの命を拾う時間」を稼ぐ機械と言える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ