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第4話 「ロビーの光と、同僚達の決意─①」

外来が始まったばかりのロビーは、通常以上の混雑を見せていた。

 須志有喜次長は、胸ポケットに簡易モニターを忍ばせたまま、

 「現場視察」という建前でロビーへ降りてきた。


 昨夜、自宅で入浴後に測った波形は――どうにも気味が悪かった。

 基準値の中央を走っているのに、細かいギザギザが連続していた。

 “不快なノイズ”のような線。

 だが今日の朝までは「疲労か季節変動だ」と押し込められる程度だった。


 ――ロビーに足を踏み入れるまでは。


 「……っ……!!」


 腹部の深部が、まるで手で掴まれたように跳ね上がった。

 痛みはない。

 だが “破裂ラインに向かう直前特有の張力” が、一瞬だけ内部で膨らむのを感じた。


 その場で呼吸が止まり、膝がかすかに揺れる。


 (何だ……今の……!)


 周囲を見ると、スーツ姿の男性が十数名。

 軽症のつもりで来院した者ばかり。

 しかし、その一部の肩や腹部の動きは――どこかぎこちない。


 (……似ている。

  さっき統計で見た“軽症の歩き方”と……)


 自分がその中の“同じパターン”に入っているという現実に、

 背筋が冷えたその時――


 胸ポケットの簡易モニターが ピッ……と淡く光った。


 異常波形検知。

 小さな光だが、医療者なら絶対に見逃さない。


 「有喜さん?」


 振り向くと、あいかとお美美々がカルテを抱えて立っていた。

 あいかの目が、一瞬で“観察者”のそれに切り替わる。


 「顔色、急に変わりました。歩幅も半拍遅れています」

 お美々が静かに言う。


 「……いや、大したことじゃ……ただの張りだよ。歳だしな」


 「その“押さえ方”は、膨張度の張りです」

 あいかが歩み寄る。

 「しかも……胸ポケット、光りましたよね」


 逃げようがなかった。


 「昨夜ちょっと気になって測っただけだよ。ほら……」


 端末を渡すと、

 あいかはログを開き――息を吸った。


 「……完全に今朝の軽症外来と一致してます」


 お美々も覗き込む。


 「ピークは正常、なのに……この“内部乱流”みたいな振動……」


 膨張度は基準値内にあっても安全とは限らない。

 特に“波形の振動パターン”は早期異常の指標として重要で、

 内部張力が細かく揺れると、筋膜層と周囲血流が不規則なテンポで動いている証拠になる。

 この乱流パターンは 破裂ラインの前兆を“数時間前”に示す ことが多く、

 医療者は数値より“揺れ”を重視する習慣がある。

 

 「職員が、自分の異常波形を見て放置はできませんよね」

 あいかが静かに言う。


 「いや……私は職員だ。外来枠を――」


 「外来枠じゃありません」

 あいかの声が揺れた。

 「あなたは、私たちの仲間です。

  事務局として私たちの現場を支えてきた人です。

  “疑わしい波形”が出たら、誰よりも早く診ます。」


 その言葉は、

 厳しさよりも“守りたい”という熱が勝っていた。


 お美々が即座に動く。


 「久保田さん、戸田さん、三輪さん――こちらお願いします!」


 三人のナースが駆け寄る。

 久保田さんが真っ先に有喜の姿勢を見る。


 「腹圧、さっきより上がっています。歩行も不安定。搬送優先です」


 戸田さんはポケットからメモを出す。

 「今朝の軽症者、似た歩き方の人が三名いました」


 三輪さんはロビーを見渡し、

 「同じ体幹の揺れの人、まだいますね……」と小声で言った。


 (……やはり。

  これは“私だけ”の問題じゃ……ないのか?)


 胸の奥で嫌な予感が膨らんだ。


 あいかが有喜の肩を支える。


 「大丈夫です。有喜さん。

  処置室で、私たちが診ます。

  “職員だから後回し”なんて絶対にしません」


 「……そんな大げさな……私はまだ歩けるし」


 「“歩けるかどうか”は、危険度評価の基準になりません」


 あいかは目を細めた。


 「毎日見てます。

  “まだ歩ける”と言いながら、破裂ラインの直前で運び込まれる人を。

  二度と、ああいう顔は見たくないんです」


 静かに、だが強い声だった。


 「……わかった。頼む。患者として扱ってくれ」


 「はい。

  一人の患者さんとして。

  でも心の中では、めちゃくちゃ身内贔屓しますから覚悟してください。」


 お美々がくすりと笑う。


 「贔屓、大得意ですから。ね、先輩」


 「……当然よ。

  うちの現場を守ってくれてる次長なんだから」


 ストレッチャーが到着し、体勢が整えられる。


 そのとき、再び腹部が強く跳ねた。


 (……また……!)


 身体が一瞬硬直する。

 久保田さんがすぐに支えた。


 膨張度には一定テンポの増減とは別に、“発作性スパイク”がある。

 これは内部で一時的に代謝が暴走し、細胞外液が急増することで起きる現象で、

 痛みを伴わないことが多いため、患者は「張り」と誤認しやすい。

 しかしスパイクの頻度が増えると破裂リスクが跳ね上がるため、

 医療者は“張りの質”で危険を察知する。

 


 「はい、有喜さん。深呼吸してくださいね。今、運びます」


 久保田さんが声をかける。

 導線が確保され、ロビーを離れていく。


 ロビーのベンチでは、別のスーツ男性が腹部を押さえていた。

 呼吸が浅く、肩が揺れている。


 (……これ、やっぱりロビーで……?

  私の症状も……?)


 胸に刺さる疑問に答えるように、

 お美々が小声であいかに言った。


 「先輩……これ、同じ階層で同じ波形が続くの、偶然じゃないですよね」


 「後で疫学的に見ます。

  今は――有喜さんを先に助ける」


 扉が近づく。

 処置室の前で、一瞬だけあいかがストレッチャーを止めた。


 そして――

 “職員モード”の表情を完全に捨てた。


 「有喜さん……聞こえてますね?」


 有喜は弱々しく頷く。


 あいかは近づいて、

 まるで胸ぐらを掴むような勢いで言った。


 「有喜さんは、私が担当します。

  毎日3回でも4回でも“出して”もらいますからね。

  いいですねっ!?

  生きる努力をしてください!!

  絶対に……絶対に助けます!!」


 お美々も泣きそうな声で続けた。


 「……私たちが守ります。

  絶対に、絶対に手遅れにはしませんから……!」


 ストレッチャーが扉の中へ滑り込む。


 膨張度の異常は、排液頻度を増やすことで沈静化できるケースがある。

 特に変異型の初期段階では、“1日複数回の排液”が予後を左右 することがあり、

 排液間隔を詰めることで内圧の暴走を抑えられる。

 このため臨床では「初動で回数を確保する」ことが必須とされる。


 扉が閉まる。

 ロビーのざわめきは途切れ、

 ここから先は――

 “仲間を救うためだけの戦場” になるのだった。



  ◇

  

 【簡易モニター:目的・運用・構造・利点・欠点】


 簡易モニターは、E.O.S.医療体制が確立された初期段階で「患者自身が最も危険を見逃す」という問題を補うために作られた小型監視端末だ。

E.O.S.は多くの場合、痛みではなく“張り”から始まるため、本人が異変に気づかず日常生活を続けてしまう。

その結果、膨張度の急上昇が検知されないまま破裂ラインに触れてしまうケースが極めて多かった。

これを防ぐ目的で、膨張度と局所血流、微細な筋膜振動を常時監視し、

“基準値内に潜む揺れ”を光で通知する仕様にまとめられている。


 運用は単純で、胸ポケットまたは心窩部に近い衣服の内側に差し込むだけで作動する。

装着中は常にパッシブモニタリングが行われ、危険度の高い揺れパターン――特に破裂前に特有の“内部乱流波形”――が一定秒数持続したとき、

アラーム音ではなく“光のみ”を点灯させる。

この静かな通知方法には理由があり、外来や公共交通機関などの密集環境でアラーム音が響くと、

周囲の不安を煽るだけでなく、発症者が心理的動揺から膨張度をさらに加速させる可能性があるためだ。E.O.S.は精神的ストレスで急激にスパイクを起こすことが多く、

「静かに知らせる」ことが最も安全と判断された。


 簡易モニターの最大のメリットは、“基準値内でも危険なときは危険”と教えてくれる点にある。

一般的な膨張度検査では「数値が正常かどうか」に目が行きがちだが、

実際には波形の“揺れ方”こそ早期兆候の指標になる。

特に初期変異型では、見た目の膨張が少なくても内部の筋膜層や血流テンポが乱れ始めるため、

本人の自覚症状と重症度が一致しないことが多い。

簡易モニターは、この“気づかれにくい揺れ”を拾い上げる点で、破裂リスク軽減に大きく貢献している。記録ログも自動で保存され、病院端末へ同期できるため、臨床研究や症例傾向の分析にも活用される。


 一方で欠点も明確だ。まず、光だけの通知は本人が気づかない可能性が高い。

仕事中や移動中、ポケットの中で一瞬だけ点灯した光を確実に確認できる人は少なく、

見逃してしまう例が多い。

また、振動や疲労、徹夜明けの代謝変動でも弱い反応を示すことがあり、

装着者が「誤作動だ」と自己判断してしまう。

E.O.S.医療の現場では、これを“油断の連鎖”と呼び、誤作動に見えても必ず専門職へ相談するルールが徹底されている。


 それでも簡易モニターは、破裂前のわずかな揺れを拾えるという点で、

現場から「最前線の盾」として信頼されている。

たった一度の光が、その人の生存曲線を大きく変える――それがこの小さな端末が担う、

静かで、しかし決定的に重要な役割なのだ。

 ~有喜次長の後悔~

 簡易モニターという装置は、実のところ三世代目の“MK-IIIシリーズ”まで改良が進んでいる。

 初代は誤作動が多く、二代目は感度が高すぎて“常に光っている”と苦情が来た。

 ようやくバランスの取れた現行モデルだが……問題は、これが決して安くないという点だ。

 病院全体で導入するには、機器予算の中でもそれなりの枠を圧迫する。

 事務局としては、機能性と維持費の折り合いをつけるのが常に頭痛の種だった。


 それなのにだ。今の納品業者――あれは完全に想定外だった。

 見積もり調整の場だと思って店に呼ばれ、気づけばキャバクラ三件はしごさせられ、

 最後には担当の“ミニスカ営業嬢”に口説き落とされて契約書へ判を押していた。

 いや、正確には“押さされた”というべきか……。

 もちろん内容自体は不正ではないが、できれば医療機器の契約は、

 正常な判断力が残っている時間帯に進めたかった。


 ……まさか自分がそのモニターの光に救われる日が来るとは、当時は夢にも思わなかったが。


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