第2話 「限界の現場」
夜勤の中盤。処置室の片付けを終え、私はようやく温かいコーヒーに手を伸ばした。
その瞬間――病棟全体に低く重いサイレンが鳴り響く。
《同時搬送。成人男性三名。全員意識レベル低下。バイタル圧2.8域突破寸前》
「三名同時……っ!?」
お美々が驚いてカップを落とし、床に熱いしずくが散る。
私は反射的にロッカーから新しい手袋を引き抜き、走り出していた。
処置室の扉を開けると、救急搬入口から担架が次々と押し込まれてくる。
一人目は二十代前半。股間部の腫脹が顕著で、呼吸は途切れがち。
二人目は五十代。額に脂汗、顔色は青白い。
三人目は三十代後半。痙攣と高体温、バイタルの乱れが激しい。
「お美々、一番若い患者さんお願い! スピード勝負よ!」
「はいっ!」
「私は五十代を診る。あいかちゃん、残りを!」
ゆぃゆぃ先輩の声は迷いがない。
三名全員、猶予はおそらく十分もない。
その間に体内排液を安全域まで下げなければ臓器崩壊リスクは避けられない。
私は三十代患者のストレッチャーを自分のステーションへ引き寄せた。
局部は硬い膨張、血管浮出。
モニターは不規則に跳ね、警告音が鳴り続ける。
「今処置しますね。もうすぐ楽になりますから」
笑顔を作りつつ、額の汗が視界を曇らせる。
器具を装着し、ジェルを多めに塗布。
テンポを一定に、圧を逃がしながら排出誘導を開始する。
しかし痙攣が強く、固定ベルトがずれかけた。
「お美々、補助お願い!」
「了解です、あいか先輩!」
お美々が固定を押さえ、ジェルを追加。
遠くでゆぃゆぃ先輩の指示が飛ぶ。
「もっと速く! 手首の返し意識して、押すんじゃなくて引き抜く感覚!」
処置室の空気は熱く、重い。
汗と薬剤と金属の匂いが混じる中、私は手を止めない。
バイタル圧2.9 → 2.4 → 1.9。
患者の顔色がわずかに戻り、痙攣が軽くなる。
「……よし、1.2。安定域入り」
安堵の暇もなく、声が飛ぶ。
「こっちはまだ下がりきらない! 手貸して!」
ゆぃゆぃ先輩だ。
五十代患者は2.8域を再び突破しつつある。
私は交代し、器具を二人で操作する。
ゆぃゆぃ先輩が横圧で血流を流し、私は回転と引きで負荷を分散。
「しっかり抜いて、楽にしてあげて!」
「はい!」
――五分後。排液タンクに大量の排液が溜まり、ゲージは急降下。
患者は深く息をつき、そのまま保護昏睡に移行した。
お美々の方を見ると、彼女も汗だくで処置を終えたばかりだ。
「三名、排出完了……安定しました!」
報告と同時に、空気が一気に緩む。
ゆぃゆぃ先輩はゴーグルを外し、濡れた前髪を掻き上げた。
「これが現場。三人同時でも迷わない。止まらない。排出し切る……それが私たち」
私は大きく頷く。
――限界の向こう側でも、生かすために手を止めない。
それが、この時代の医療者の宿命なのだ。




