第13話 「静けさの罠」
救急ベルが止まったあと、奇妙な静けさが病棟を包んだ。
排圧手技に追われ続けた身体は悲鳴を上げているはずなのに、
胸の奥は休まらない。 静けさが、逆に心臓を締め付ける。
翌朝のブリーフィング室。
私とお美々、そしてゆぃゆぃ先輩だけが座っていた。
他の担当は仮眠中、もしくは他ブロックへ応援。
その分、椅子の空席がやけに目立つ。
「昨夜の増幅剤症例……あれは偶然じゃない」
ゆぃゆぃ先輩は淡々と資料をめくる。
「P-034は研究廃棄。正規ルートでは存在しない。
つまり、院内か医療系サプライラインのどこかに協力者がいる」
お美々が唇を噛む。
「……病院の中に……?」
「“誰か”とは言わない。“何か”が動いている。」
私の胸がざわつく。
手技の冷たい感触、患者の震え、機械の息遣い──
そして、あの声。
『止められるもんなら、止めてみな』
「……怖い」
思わず漏れた本音に、ゆぃゆぃ先輩が私を見る。
「怖くていい。恐怖は判断を研ぎ澄ます。怖さを消す必要なんてない」
そして一瞬だけ、優しい声で。
「でも、立ち止まらないこと。それが救命班よ」
その言葉で、胃の奥の重さが少し溶けた気がした。
休憩室へ向かう廊下。
看護助手たちがひそひそ話をしていた。
「またB-9患者出たんだって」「こっち狙われてるらしいよ」
「この病棟、呪われてるの?」
その声に、背中が冷える。
────呪われてる。
そう思われるようになったら、救命ラインは崩壊する。
不安は感染する。
恐怖は、ウイルスより速い。
「……状況、悪くなる前に動かないと」
自分に言い聞かせるように呟いた時、
ポケットの端末が震えた。
『不明番号・音声メッセージ』
再生する。
ノイズ混じりの男性の声。
> 「……B-9……止めるなら……研究ブロックB……深層……ログ……消される……気をつけ……」
途切れた。
私とお美々は見つめ合う。
その瞬間、ゆぃゆぃ先輩の無線が鳴る。
《救急搬送、男性、バイタル圧急上昇──意識混濁》
また──来た。
静けさは、罠だった。
「現場へ。動くわよ」
ゆぃゆぃ先輩の声が落ち着いて響く。
私は胸の奥に渦巻く不安を押さえ込み、深く息を吐いた。
逃げない。立ち向かう。
そう決めたのは、あの夜だ。
そして、気付いた。
これはただの病気との戦いじゃない。
医療を壊し、希望を摘む“何者か”との戦争だ。
白い廊下を走る足音が、静寂を破った。




