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閑話 「青年に優しすぎたナースの罠」

救急搬入口の自動ドアが開いた瞬間、微かに汗と消毒液の匂いが混ざる空気が流れ込んだ。

それは“走って来た命”の匂い。

――あぁ、今日も現場だ、と身体が受け止める。


ストレッチャーを押しながら救命士が小走りで入ってくる。

その上には、坊主頭で、日焼けした肌にスポーツシャツ。肩の筋肉、腕の太さ、まさに部活上がり――素朴で誠実そうな青年。年齢は……カルテに“20”。


あいかの視線とお美々の視線が、一瞬だけ交わる。

――タイプだ。

その真実は、言葉にせずとも伝わってしまった。


「搬送です! 大学陸上部所属、20歳男性。発症間隔短縮、急性圧上昇。意識あり、会話可能!」

「ありがとうございます、受けます」


あいかが受け取り、ストレッチャーのブレーキをかける。

青年は顔を真っ赤にし、胸が大きく上下していた。

呼吸は過換気ギリギリ。横隔膜の収縮サイクルが乱れている。興奮と疼痛、羞恥、交感神経の暴走が混ざる“E.O.S.特有の反応”。


「す、すみません……ほんと、こんなの……っ、恥ずかしいっす……」

声が震える。

両手はタオル越しの下腹部に置かれ、ぎゅっと押さえ込んでいた。


スポーツマンでも、優しい青年でも。

E.O.S.は誰にでも降りかかる。

だが、あいかとお美々の目は――いつも以上に柔らかかった。

(こういう子ほど、自分を責める。だから、最初の数秒で安心を渡す)


「大丈夫ですよ。恥ずかしいなんて思う必要ありませんからね」

「あいか先輩、私、安定化準備いきますね」

「お願い。わたしは声のフォロー入るから」


あいかは青年の顔の横にしゃがむ。

視線を合わせ、優しく笑う。

患者の眼球運動、瞳孔径、呼吸音――全部、会話のふりをして観察する。


「落ち着いてくださいね。いま、身体が頑張りすぎてるだけ。

これから私たちが“排出”してあげますから、楽になりますよ」


青年はこくりと頷く。

タオルの上の手がわずかに震える。

(大丈夫、怖くない。初めての子は皆そう)


「……すみません。スポーツで根性あるつもりだったのに……これは……さすがに、情けない……」

「情けなくありません。むしろ、よく自分で搬送を要請してくれました。

あなた、すごく賢いですし、勇気ある行動ですよ」


青年は少しだけ笑った。張り詰めた呼吸が和らぐ。

精神安定=自律神経抑制=内圧低下の入り口。言葉も治療のうち。


お美々が戻り、モニターを装着する。

「膨張率……高め。ステージ2中期ですね。今のうちに処置すれば安定します」


救命士が小声でつぶやく。

「……なんか、今日の二人……めっちゃ優しいですね……」

「うふふっ、患者さんの状態に合わせてですよ」

「優しすぎて逆に怖いって言われたらどうしよう」


お美々が冗談めかして言うと、青年が小さく笑った。

(よし、恐怖より羞恥より“信頼”が上になった。これで身体が力む割合が減る)


「それじゃ、いきますね」

あいかがジェルを手袋に広げ、ゆっくりと温める。


ジェル温度=神経反射閾値調整。冷たいまま触ると初期反応が強すぎる。

まず“警戒”を抜く。それがE.O.S.患者の鉄則。


「急に触るとびっくりしちゃうので、まず呼吸合わせましょう。

吸って……吐いて……はい、そのまま」


患者の精排液起点部に片手を添え、呼吸のリズムをとる。

お美々が額の汗を軽く拭う。

「少し冷たいけど、すぐ温かくなりますね。怖くないですよ」

「……はい……お願いします……」


あいかは穏やかな声で続ける。

「羞恥は自然な反応です。でも、いまはそれより体を楽にしてあげることが一番ですよ。

ここにいる私たちは、あなたを助けたいだけです」


タオルが横にずらされると、青年がびくっと肩を震わせた。

反射だ。膨張した所を隠そうとして手が伸びる。

「あ、大丈夫です、大丈夫。恥ずかしくないですよ。

見てほしくない時、人って手が動いちゃうんです。自然ですから」


あいかがそっと手を添える。

手の置き方は“止める”じゃなく“支える”角度。

力を奪わず、安心だけ渡す。


「今から少しずつ膨張率を下げていきますね。力まなくていいからね?」

「……っはい」


ジェルが接触する。

薬剤が神経受容体を鎮め、平滑筋の緊張がゆるむのを指先で感じる。

反応速度、皮膚血流、排圧波形――全部、掌で読む。


青年の呼吸が乱れそうになるたび、

お美々が背中をそっと撫でる。

「いい子いい子。はい、ゆっくり、吸って~……吐いて。がんばらないで。私たちでしますからね」


救命士が――引いていた。露骨に。

(あの……この病院のナース、天使というか……なんか違う方向でこっわ……)


だが、青年は明らかに安心していた。

羞恥心より“救われている感覚”が勝っている。


「あ、少し楽になってきました……」

「うん、そのまま呼吸だけ意識。もう少しだけ頑張ろう。あなた、回復早いですよ」


モニター音がゆっくり落ち着いていく。

圧数値が安全域に近づく。

手技が効いている。導管の“開き方”が綺麗。


「はい、ラストの調整入りますね」

あいかが丁寧に動きを変え、ジェルを追加。

生理反応がピークから安定帯に移動し、青年の指先の緊張がほどけた。


「……はぁ……ありがとうございます……ほんと……助かりました……」

「ううん、えらかったですよ。怖かったでしょう?」

「正直、めちゃくちゃ……でも、二人が……すごく優しくて……」


お美々がにこっと笑う。

「また辛くなったら遠慮しないで出しに来てくださいね。

“恥ずかしいから我慢”が一番危険ですから」

「そ、そうっすね……」


救命士が苦笑しながら引き継ぎ票にサインする。

「……いや、ほんと……この病院……すげえ……色々……」


あいかとお美々は、同時にウインク。

「またお待ちしてますね」

「優しさなら、無限供給ですから♡」


青年は真っ赤になり、

「二人……天使っすね……」

と呟いて処置室を出た。


扉が閉まった瞬間。


あいか「……お美々ちゃん、かっこよかったよ」

お美々「いえ、先輩の声のかけ方がやばいです」

あいか「ふふ……タイプよね?」

お美々「……否定できません」


二人は同時に、くすりと笑った。

今日もまた、命と羞恥と優しさが交差する――静かな日常だ。

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