祭り
川原での事件から数週間が経った。
歳三は相変わらずの怪我が続き、浪人達に絡まれている様子だったが、
神無月に入って北風が強くなってくると、襲撃はぐっと減ったようだった。
「今日、高幡不動で祭りがあるらしいぞ!みんなで行かないか?」
ある日の稽古終わり、明るい声で提案をしたのは近藤勇ーー後の新選組局長となる男である。
高幡不動は、彦五郎の道場から四半刻ほど歩いたところにある大きな寺で、毎年この時期に秋祭りが行われている。
「いいねえ。私は留守番しているから、若者達で行ってきなさい。」
そう言ったのは勇の養父である近藤周助。今年で65才となるが、まだまだ現役の師範である。
周助は江戸で試衛館という道場を開いており、息子がいなかったため、勇を養子として迎えた。
彦五郎の道場に通っている面子のうち、勇と総司は周助と共に、江戸の道場から多摩まで出稽古に来ている形であり、出稽古の際は基本的に彦五郎宅に泊まっているらしい。
「そんな、先生に留守番させる訳には…僕は昨日行ってきたので先生と一緒に残ります。」
家主としての気遣いか、彦五郎はそう言った。
「はーい!僕お祭り行きたいですー!」
切れ長の目を細めて、無邪気に返事をする総司。
ニコニコとはしゃぐ姿は、稽古中の姿と変わり、年相応の青年に見える。
「俺も久しぶりにいってみようかなあ。歳三と千代ちゃんはどうするの?」
千代に話題を振ったのは源さんと呼ばれる男で、
本名を井上源三郎と言うらしい。
道場の顔馴染み面子にとっては兄のような存在である。
「えっと私は…」
正直、自分も誘われるとは思っていなかったため、
ちら、と父の方を見た。
父はいつも通り疲労困憊の様子で、額の汗を手で拭っている。
千代は懐から手拭いを出し、父に差し出した。
「父さんも、お祭り行く?」
「父さんは仕事があるから先に帰るよ。行きたかったら行っておいで。勇くん達が一緒なら、安心だろう?」
「でも…」
正直、祭りなんていうものにはしばらく縁がなかったため、行きたい気持ちはある。
千代は続けて、歳三の様子を伺う。
最近の千代は、歳三との距離感を測りかねていた。
目の前にいる歳三は、千代の恋人であった歳三ではない。
もし未来でそうなるとしても、今の歳三はその事を知らない。
だから千代も、自分の恋人であった歳三とは別の人間と思って接している。
なのに、鷹のような鋭い眼光も、竹刀を握るタコだらけの骨ばった手も、少しだけ猫背気味のその背中も、千代の知っている歳三と一緒なのである。
歳三を前にすると、どうしても心の平穏が保てないため、道場に通って動向を探りつつも、必要以上に近づかないようにしていた。
「…俺はやめとくわ。また変なのに絡まれたら面倒だし。」
歳三が浪人達に絡まれている姿は、道場の面子も何度か目撃している。
源三郎はそうかあ、と眉を下げた。
「で、千代ちゃんは?」
「…では、ご迷惑でなければご一緒してもいいでしょうか?」
***
結局、祭りに行くことになったのは発案者の勇と総司、源三郎と千代の4人のみであった。
稽古に通ってきている他の面子や、彦五郎の妻ーー歳三の姉でもあるのぶにも声を掛けてみたが、各々仕事だなんだと断られてしまったのである。
「すごい人混みですねえーー」
高幡不動に到着すると、総司が感心したように言った。
参道は露店でひしめき合い、祭りに行く人・帰る人の流れができるほど、多くの人で混み合っている。
「総司くん、お小遣いは持ってるのかい?」
源三郎が問いかけると、総司はニコッと笑った。
「先ほど周助先生にいただきました!皆さんと一緒に好きなものでも食べるのに使えって。」
総司は小銭の入った袋を取り出した。
「そうか、先生には申し訳ないなあ。あとでちゃんとお礼を言わないと。」
源三郎が眉を下げる。
「あの…私までご馳走になってしまってよいのでしょうか?」
「なあに、千代ちゃんの親父さんにはいつも世話になってるし、千代ちゃんもここまできたら、もう門下生みたいなもんだろう?」
横から勇が答えた。
大きな手で千代の頭をわしゃわしゃと撫でると、それより、と目線を露店に移す。
「こんな大きな祭りは久々に来たなあ。どうする?何から食べようか?総司は先に輪投げでもやるか?」
「もー…若先生ってば。僕もう子供じゃないんですよぅ」
そう言ってふくれる総司は、やはり少し幼く見える。
勇とは一回り弱、歳が離れているため、きっと可愛がられているのだろう。
一方で、この状況下においては4人の中でいちばん勇がはしゃいでいるように見えた。
勇を先頭に、人混みをかき分けるようにして参道を歩いていく。
「あれなんか、美味そうじゃないか?」
勇が指差した屋台には汁粉と書いてある。
総司の手を引きつつ、人混みをするりと抜けて消えたと思うと、2人で両手に器を持って戻ってきた。
器の中を見ると、茶色い汁の中に餅が入っており、温かい湯気が上がっていた。
「なんですか?これ?」
「まあ、とりあえず食べてみなって。」
勇が器を差し出すので、千代は恐る恐る一口食べた。
「んん!甘い!」
茶色い汁は餡子であった。
砂糖で味付けされているのだろうが、餅と絡んでちょうど良い甘さに仕上がっている。
「美味いだろう?江戸のほうではよく売ってるが、確かにこの辺ではあまり見ない食い物かもしれんな。」
勇は豪快に汁粉をすする。
「見かけによらず、甘味が好きだよねえ。勇さんは。」
源三郎も餅を食べながらニコニコしていた。
総司については、汁粉を食べるのに夢中である。
***
そうして4人が食べ終わる頃に、参道の奥から祭囃子が聞こえてきた。
「この音は何ですか?」
口に付いた汁粉を着物の袖で拭いながら、総司が問いかける。
「催しが始まったみたいだね。ちょっと行ってみようか。」
源三郎が穏やかにそう答えると、再び勇が先頭に立って歩き始めた。
ーーーどんっ
途中、逆側から歩いてきた人間に千代はぶつかった。
「すみません!」
千代がすぐに謝ると、相手もすまなさそうに会釈をして去っていく。
勇達はその様子に気付かなかったようで、千代は少し遅れをとった。
はぐれないようにと急いで歩き出そうとしたところで、前につんのめる。
気づくと、草履の鼻緒が千切れていた。
「すみません、ちょっと待って!」
ぶつかった拍子に草履を踏まれたのだろうか。
前を歩く勇達に声をかけるが、祭りの喧騒にかき消され、聞こえていない様子である。
千代はとりあえず草履を脱いで追いかけようとするが、目を離した一瞬の隙に人混みにさらわれて、勇達を見失ってしまった。
はあ、とため息をつく。
この人混みの中、勇達を見つけ出して再び合流するのはなかなか難しいだろう。
家に帰るにも、鼻緒を直さなければ。
人混みを避け、参道の端に身を寄せると、懐の中の手拭いを探した。布を裂いて鼻緒にすれば、とりあえずは草履としての機能を果たす。
しかし。
(ない…)
いつも持ち歩いているはずの手拭いが見つからない。
千代はここに来る前、父に手拭いを渡したことを思い出した。
露天に代わりの履き物か、せめて手拭いが売っていればなんとかなるのだが、
この人混みでは歩くのも精一杯。
かと言って、片足が足袋のまま、家まで帰るのも辛いものがある。
(どうしたものか…)
思考の末、千代は家路を急ぐ事にした。
帰路に雑貨の露店があればそこで考えよう。
なければ家まで頑張って歩こう。
来た道を引き返そうとしたその時である。
「お前、こんなとこで何やってんだ?」
「…歳三さんこそ、なんでここに。」
祭りに行かないと言っていたはずの歳三がそこにいた。
「気が変わったんでぶらついてたら、見知った顔がいたんだよ。1人なら誰に迷惑をかけるでもねぇし…」
歳三が語尾を濁す。
「何か他にも理由が?」
千代は気になって問いかけた。
「…いや、なんかお前が、最近俺のことを避けてるみたいだったから」
「避けてなんか…」
ない、とは言い切れなかった。
心当たりは確かにある。
「まあ、あんなことがあったら、そりゃそうなるよな。」
あんなこと、と言ったのは例の川原での出来事だろう。
千代からすれば、あれは歳三の手腕を実感できた、貴重な機会であった。
ーー「俺を半殺しにした奴が誰かに殺されたんだとよ。」
歳三は川原で他人ごとのように千代に伝えたが、
たとえ、殺したのが歳三であったとしても、京で散々攘夷志士を斬り捨てていた男である。
それを知る千代にとっては、卵が先か、ひよこが先か、程度のこと。
しかし、歳三はそうは思っていない。
か弱い女子に怖い思いをさせてしまったとでも考えているのか。
あるいは、自分が人を斬る、恐ろしい男と認識されたと感じたのか。
千代が返答に困っていると、歳三は千代の様子に気付いたようだった。
「なんだ、草履が壊れたのか?」
「そうなんです。…歳三さん、直せたりしますか?」
「すまんが、生憎そういう細々したことは苦手なんだ。」
「なら、手拭いを貸してくれませんか?」
「そんな洒落たもの、俺が持ってると思うか?」
(ですよね。)
千代は心の中で言った。
千代の顔が絶望の色に変わっていくのを歳三も感じたのか、
何かないかと周りをきょろきょろ見渡す。
「そう言えば、勇さんたちと一緒じゃなかったのか?」
「鼻緒が切れた時に、はぐれてしまいました。」
「…とりあえず、家に帰るんだよな?」
「そうしようと思います。」
「なら、家まで抱えてってやるよ」
「?抱えて?」
千代が思考する間もなく、歳三は千代の脇腹を支え、上に持ち上げた。
「は?え?ちょっと待ってちょっと待って」
俵担ぎである。
「俺ができるのは、お前を家まで送り届けるぐらいだろうが。」
「いや、だからってこれは!一応嫁入り前の娘なんですけど私!」
「なんだよ、姪っ子達はこれ喜んでたけどな」
(姪っ子と一緒にするな!)
心の中で叫ぶ。
「せめておんぶとかになりませんか!?
っていうか手拭い!手拭いがあればなんとかなると思うんですけど」
「ないから、こうするしかないっつってんだろ?
裸足で歩かせたんじゃ、親父さんに面目立たねえ」
妙なところで義理堅い男である。
あまりに千代が騒ぐので、歳三はいったん千代をおろして下にしゃがんだ。
「ん」
背中に乗れという事だろう。
「…大変恐縮ですが、失礼します……」
恐る恐る肩に手をかけると、歳三は軽々と千代を背負い上げた。
(これはこれで恥ずかしすぎる…!!)
時間溯行前ーー歳三と恋人であった際も、背負われたことなど一度もなかった。
普段見えない歳三のうなじが見え、心臓の鼓動がさらに早まる。
(やっぱり、俵担ぎのほうが良かったかも…)
自分の心臓の音が歳三に伝わらないかと、千代は冷や冷やした。