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浅葱色の奇跡  作者:
江戸編
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葛湯



千代が良順に師事するきっかけになったのは、もちろん松本家での出来事に起因する。


当時、千代は奉公人としていわゆる下女の仕事を任されていた。

下女の仕事は掃除、洗濯、炊事と多岐に渡る。

女中頭の指示で、日によっては買い出しや使いに出されることも多く、忙しい毎日を過ごしていた。


その日、炊事場で朝餉を作っていると、先輩下女から声をかけられた。


「若旦那様が風邪を召されてしまったそうだわ。食欲がないから、若旦那様の分は作らなくていいって。」


「分かりました。お茶だけお持ちするようにします。」


「ええ、お部屋に直接持って行ってちょうだい。」


雇い主の家系は代々医師であると聞いている。

風邪の時こそ栄養価の高いものを召し上がっていただきたい、と千代は思うが、医師である本人が1番分かっているだろう。


千代はお茶と合わせて葛湯を用意し、良順の部屋に向かった。


「お茶をお持ちしました。よろしければ葛湯も作ったので、召し上がってください。」


障子越しに声をかけると、良順が静かに顔を出した。


すまない、と言いながら良順は葛湯を一口飲んだ。


「…これは?葛湯に何か足したのかね?」


「生姜と(なつめ)を加えて作りました。…お口に合いませんでしたか…?」


恐る恐る尋ねる千代。


「いや、そういうわけではない。一般的に生姜を加えるのは良く分かるが、どうして棗も?」


「食欲がないと伺いましたので、胃腸を労わっていただければと…」


棗には、血の巡りを良くして疲労を回復させたり、胃腸の働きを良くする効能がある。

千代の実家では、さらに芍薬や桂皮(シナモン)の根などを加えたものを薬としていたが、とりあえず備蓄されている食材で、足せるものを足してみた。


気を利かせたつもりであったが、どうせご自身で薬も飲むのだろうから、余計なことをしなければよかったと後悔した。


「…君には薬学の心得が?」


「薬学だなんてそんな…実家が薬屋なので、そういった知識が少しだけ…」


「なるほど、実家が薬屋か…」


良順は再び葛湯に口をつけ、飲み干した。

千代はホッとした。


良順は少し何かを考えた後、千代に聞いた。


「私は今、いわゆる風邪のひき始めで、喉が痛くて身体が重い。君なら、何の薬を勧めてくれる?」


突然の問いに、千代は戸惑った。


「そうですね…喉の痛みを和らげるということであれば、麻黄(まおう)甘草(かんぞう)でしょうか。

特に麻黄は身体を温めてくれますので、身体の疲れや痛みなどにも効果的かと…」


良順は千代を興味深そうに見つめている。


「君は、薬のことが好きかね?」


「はい。」


千代はすぐに答えた。


「こちらでの奉公が終わったら、また家業を手伝うつもりでおります。」


なるほど、と良順は頷いた。


「良かったら、明日私の医学所を見にこないかね?薬学の講義の予定もあるんだが。」


「そんな…私のような者がよろしいのですか?」


千代は目を輝かせた。


「一度来てみて、感想を聞かせてほしいんだ。

西洋医学が中心ではあるが、もしかしたらご実家の役に立つ知識も得られるかもしれないしね。

女中頭には私から話を通しておこう。」


ーーそうして、千代は徐々に女中から医学所の門下生として過ごす時間が長くなり、主には医師を手伝う看護人として、良順や兄弟子達を支えていくようになったのだった。


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