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浅葱色の奇跡  作者:
江戸編
25/26

武家屋敷


(どんな人だったっけ…)


風呂敷を抱えながら千代は不安になった。

すぐに清十郎を追いかけてしまったため、

持ち主の姿をしっかり把握できているわけではない。


遠目に見た感じでは、良いところのご婦人のような気がしたが…


「ああ、いた!」


意外にも、持ち主はすぐに見つかった。

持ち主である婦人の方が、千代を見つけて駆けてきたのである。


「本当にありがとうございました…!なんとお礼を申し上げればよいか…」


「…!」


婦人の顔を見て、千代は固まった。


「…?どうかされましたか?」


不安げにこちらを見るその婦人の名を、千代は知っていた。


(登喜(とき)さん…)


ーー時間溯行(タイムリープ)前、千代の奉公先であった旗本、松本家の若内儀(わかおかみ)である。


「いえ…少し驚いてしまって…盗られた荷物はこれだけでしょうか?」


風呂敷を渡し、千代は言葉を発した。


「ええ、息子の元服のために、仕立ててもらったばかりの着物だったの…」


登喜は風呂敷の中身を確認しながら、ホッとした表情で言った。


「捕まえてくださったのは、一緒にいた旦那さんかしら?」


「いえ、旦那ではなくただの連れで…これから犯人を岡っ引きに引き渡すと言っていました。」


「そう…ねえ、あなたお名前は?お連れの方と一緒にお礼がしたいわ。」


「お礼だなんてそんな…!」


慌てる千代をよそに登喜は話を進める。


「お住まいはこの近く?後日改めてご挨拶にお伺いできないかしら。」


「私はこの近くなんですけれど、連れの方は少し遠くて…」


しどろもどろに説明をする千代。

結局、登喜の勢いに負けて、後日、2人で登喜の屋敷に行くという形で話がまとまったのだった。


***


(懐かしいなあ…)


数日後、千代は清十郎と共に松本家へ来ていた。

時間溯行(タイムリープ)前、千代が京都に行く前の数年間を過ごした場所である。


「御免くださーい!」


千代の複雑な心境を知る由もない清十郎が、玄関先で声をかけた。

すると、奥から下女が出てきて挨拶をした。

千代の見覚えのある顔である。


「ただいま、若内儀を呼んで参りますね。」


そう言うと、再び奥に消えていった。


「立派なお屋敷だなあ…なんだかすごい人を助けてしまったのかもしれませんね…」


清十郎が小声で千代に話しかける。

千代は小さく頷いた。


松本家は江戸幕府に代々仕える医師の家系で、

現在の当主ーー登喜の父にあたる、松本良甫は、将軍やその奥方・子女の診療を担当する幕府医官の最高位(トップ)である。

旗本の中でもかなり高位であると言えるだろう。


ーーそのような内情を千代は知っているものの、清十郎には伝えていない。

登喜自身から身元を明かされていない今の段階では、千代自身も知らぬ存ぜずを通した方が自然であると考えたからだ。


「まあまあ、ようこそお越しくださいました。ご足労くださり、恐れ入ります。」


先ほどの下女を従え、登喜が2人の前に現れると、深々と頭を下げた。


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。」


千代達も同じように頭を下げる。


登喜は2人を座敷に通すと、朗らかに喋り始めた。


「この度は本当にありがとうございました。大切な息子の礼服で、元服の日も迫っておりましたので…もし盗まれたままだったら、仕立て直したとしても間に合ったかどうか…」


登喜の息子というと、今時分は12、13くらいの歳のはずだ。

季節を考慮すると、おそらく端午の節句に合わせ、元服の儀式が行われるのだろうと、千代は推測した。


「まさか、お旗本の奥方様の荷物だとは思いませんでしたが…お役に立てたようで良かったです。」


清十郎もにこやかに答える。


「つまらないものですが、どうかお礼のしるしに…」


登喜は千代と清十郎の前に折敷をそっと差し出した。

折敷の上には折包み(おりづつみ)が乗っている。

要するに、金だ。


「御礼がしたい」というからには何かを渡されるとは思っていたものの、これは受け取っていいものかどうかーー千代と清十郎は顔を見合わせた。


「犯人を捕まえたのは清十郎さんで…私は何もしておりません。」


千代は自分の前にある折敷を登喜の方に差し出した。


「でも、荷物を届けてくれたのはあなただし…」


「お礼をいただくほどではありません。お気持ちだけで十分です。」


千代はにっこりと笑った。


「僕も、お気持ちだけで十分ですよ。」


清十郎も千代に便乗しようとしてきたが、それでは登喜の気が済まないということで、申し訳なさそうに懐に収めた。


***


それから四半刻(30ぷん)ほど雑談をして、2人は松本家を後にした。


「今度はぜひうちの店にも来て下さい。珍しい反物もたくさん扱っておりますので。」


さらりと奉公先の営業をする清十郎。

「ぜひお伺いさせていただくわ。」と答える登喜も、社交辞令ではなさそうである。


「本日はありがとうございました。お邪魔しました。」


そう言って玄関を出ようとすると、ちょうど家に男が入ってきた。


「あら、旦那様。お帰りなさいませ。」


「なんだ、お客様がいらしていたのか。これは失礼した。」


千代と清十郎に気付き、男は軽く会釈をした。


(先生…!!)


千代は心の中で叫んだ。


今日ここに来る時、もしかしたら会えるかもしれないと思ってはいたがーー


気持ちの昂りを悟られないよう、会釈をするふりをして、視線を下げた。


ーーその男こそ、時間溯行(タイムリープ)前に千代が1番世話になった恩師

ーー登喜の夫であり、松本家の次期当主、松本良順であった。

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