武家屋敷
(どんな人だったっけ…)
風呂敷を抱えながら千代は不安になった。
すぐに清十郎を追いかけてしまったため、
持ち主の姿をしっかり把握できているわけではない。
遠目に見た感じでは、良いところのご婦人のような気がしたが…
「ああ、いた!」
意外にも、持ち主はすぐに見つかった。
持ち主である婦人の方が、千代を見つけて駆けてきたのである。
「本当にありがとうございました…!なんとお礼を申し上げればよいか…」
「…!」
婦人の顔を見て、千代は固まった。
「…?どうかされましたか?」
不安げにこちらを見るその婦人の名を、千代は知っていた。
(登喜さん…)
ーー時間溯行前、千代の奉公先であった旗本、松本家の若内儀である。
「いえ…少し驚いてしまって…盗られた荷物はこれだけでしょうか?」
風呂敷を渡し、千代は言葉を発した。
「ええ、息子の元服のために、仕立ててもらったばかりの着物だったの…」
登喜は風呂敷の中身を確認しながら、ホッとした表情で言った。
「捕まえてくださったのは、一緒にいた旦那さんかしら?」
「いえ、旦那ではなくただの連れで…これから犯人を岡っ引きに引き渡すと言っていました。」
「そう…ねえ、あなたお名前は?お連れの方と一緒にお礼がしたいわ。」
「お礼だなんてそんな…!」
慌てる千代をよそに登喜は話を進める。
「お住まいはこの近く?後日改めてご挨拶にお伺いできないかしら。」
「私はこの近くなんですけれど、連れの方は少し遠くて…」
しどろもどろに説明をする千代。
結局、登喜の勢いに負けて、後日、2人で登喜の屋敷に行くという形で話がまとまったのだった。
***
(懐かしいなあ…)
数日後、千代は清十郎と共に松本家へ来ていた。
時間溯行前、千代が京都に行く前の数年間を過ごした場所である。
「御免くださーい!」
千代の複雑な心境を知る由もない清十郎が、玄関先で声をかけた。
すると、奥から下女が出てきて挨拶をした。
千代の見覚えのある顔である。
「ただいま、若内儀を呼んで参りますね。」
そう言うと、再び奥に消えていった。
「立派なお屋敷だなあ…なんだかすごい人を助けてしまったのかもしれませんね…」
清十郎が小声で千代に話しかける。
千代は小さく頷いた。
松本家は江戸幕府に代々仕える医師の家系で、
現在の当主ーー登喜の父にあたる、松本良甫は、将軍やその奥方・子女の診療を担当する幕府医官の最高位である。
旗本の中でもかなり高位であると言えるだろう。
ーーそのような内情を千代は知っているものの、清十郎には伝えていない。
登喜自身から身元を明かされていない今の段階では、千代自身も知らぬ存ぜずを通した方が自然であると考えたからだ。
「まあまあ、ようこそお越しくださいました。ご足労くださり、恐れ入ります。」
先ほどの下女を従え、登喜が2人の前に現れると、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。」
千代達も同じように頭を下げる。
登喜は2人を座敷に通すと、朗らかに喋り始めた。
「この度は本当にありがとうございました。大切な息子の礼服で、元服の日も迫っておりましたので…もし盗まれたままだったら、仕立て直したとしても間に合ったかどうか…」
登喜の息子というと、今時分は12、13くらいの歳のはずだ。
季節を考慮すると、おそらく端午の節句に合わせ、元服の儀式が行われるのだろうと、千代は推測した。
「まさか、お旗本の奥方様の荷物だとは思いませんでしたが…お役に立てたようで良かったです。」
清十郎もにこやかに答える。
「つまらないものですが、どうかお礼のしるしに…」
登喜は千代と清十郎の前に折敷をそっと差し出した。
折敷の上には折包みが乗っている。
要するに、金だ。
「御礼がしたい」というからには何かを渡されるとは思っていたものの、これは受け取っていいものかどうかーー千代と清十郎は顔を見合わせた。
「犯人を捕まえたのは清十郎さんで…私は何もしておりません。」
千代は自分の前にある折敷を登喜の方に差し出した。
「でも、荷物を届けてくれたのはあなただし…」
「お礼をいただくほどではありません。お気持ちだけで十分です。」
千代はにっこりと笑った。
「僕も、お気持ちだけで十分ですよ。」
清十郎も千代に便乗しようとしてきたが、それでは登喜の気が済まないということで、申し訳なさそうに懐に収めた。
***
それから四半刻ほど雑談をして、2人は松本家を後にした。
「今度はぜひうちの店にも来て下さい。珍しい反物もたくさん扱っておりますので。」
さらりと奉公先の営業をする清十郎。
「ぜひお伺いさせていただくわ。」と答える登喜も、社交辞令ではなさそうである。
「本日はありがとうございました。お邪魔しました。」
そう言って玄関を出ようとすると、ちょうど家に男が入ってきた。
「あら、旦那様。お帰りなさいませ。」
「なんだ、お客様がいらしていたのか。これは失礼した。」
千代と清十郎に気付き、男は軽く会釈をした。
(先生…!!)
千代は心の中で叫んだ。
今日ここに来る時、もしかしたら会えるかもしれないと思ってはいたがーー
気持ちの昂りを悟られないよう、会釈をするふりをして、視線を下げた。
ーーその男こそ、時間溯行前に千代が1番世話になった恩師
ーー登喜の夫であり、松本家の次期当主、松本良順であった。




