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浅葱色の奇跡  作者:
江戸編
21/26

再会2


旅籠での事件から、千代はしばらく重症者の看病に付きっきりとなった。


時期(タイミング)が悪く、事件から間もなく将軍が江戸に帰還することとなったため、師は一足先に江戸へと戻っていったが、千代は京に残って、負傷者の経過観察を命じられた。


縫合した傷の抜糸まで終われば、後は薬の処方のみとなる。

薬の処方は、千代の得意分野であるため、

心細さはありつつも、千代は自分の任務に徹することにした。



***



その後、隊士たちの容体が安定し、千代が江戸に戻れることになったのは、長月(9がつ)のことだった。


旅籠での騒動で、壬生浪士組は新選組という名で呼ばれるようになり、世間にその名を馳せた。

そんな背景もあり、新選組が増員のため、江戸で隊士募集を行うということで、

その旅路を共にする形で、千代も江戸に戻ることにしたのである。

江戸に行く隊士はいずれも幹部と呼ばれる面子(メンバー)で、その中には、歳三もいた。



「先日は本当にありがとうございました。」


「いや。こちらこそ、救援に来てもらったのに護衛も付けず、気遣いが足りなかった。申し訳ない。」



千代は拍子抜けした。

多摩でバラガキと呼ばれていた男は、新選組副長の肩書きに恥じない対応をした。


「…何か?」


ぽかんとする千代を、歳三は怪訝そうに見る。


「…ああいえ、何でも。道中、よろしくお願いします。」


千代はぺこりと頭を下げた。



女1人ということもあり、道中、隊士たちは常に千代を気遣ってくれた。

日々鍛錬を積んでいる彼らの健脚であれば、きっともっと早い速度(スピード)で歩けるはずである。

千代が同行していることで、旅程を遅らせていると思うと、申し訳なく感じた。


経由した宿場町で、千代達一行は常に人々の視線を集めた。

流石にみんな、浅葱の羽織は着ていなかったが、男数人に女1人の集団は珍しい。何をせずとも目立つのである。

また、それに相まって歳三が女性たちの視線を集めているようであった。

多摩では別の意味で注目を集めていた歳三だが、宿場町で客引きをしている女たちは、我こそと真っ先に歳三に声をかけるのであった。

なお、当の本人は慣れた様子であしらっている。


「こうやって見ると、島原の遊女は、やっぱ(レベル)が高いよなぁ…」


その様子を見ていた隊士の1人が呟くと、別の隊士が諌めるように、その隊士を肘で小突いた。

千代に気を遣ったのだろう。


男所帯にいれば、仲間内で島原に行くことくらいあるだろう。千代にもその程度の想像はできるし、それに偏見を持つことはない。

なるほど、京の遊女はやはり一流なんだろうなと千代は思った。



***



江戸に着く前夜のことである。


「これ、よろしければうちで作ってるものなんですけど…」


旅籠で夕餉を食べていると、気前のいい主人が、自家製の酒を振る舞ってくれた。


「千代さんも一杯どうですか?」


「いえ、私は…」


隊士に勧められ、断ろうとした時、差し出された盃から、ふわりと甘い香りが漂った。


「すごい良い香りですね。…金木犀(きんもくせい)でしょうか?」


興味を惹かれて、思わず盃を受け取った。


「ええ。金木犀を漬け込んだ酒で、飲みやすい甘口に仕上げています。」


旅籠の主人が続けた。


「その昔、これと同じものを、清国(中国)の貴妃が愛飲していたとか。」


千代は一口飲んで納得した。

果実酒を思わせる芳醇な酒である。

金木犀の香りが、口から鼻までふわりと広がった。

今まで出会ったことのない不思議な味に、千代は二口、三口と口をつけた。


「この時期に金木犀の酒とは、ご主人もなかなか粋ですねぇ。」


隊士の1人がそう言うと、主人は照れ臭そうに笑った。


「みなさん、お飲みになるのでしたら、他のお酒も用意はありますけど、いかがでしょう?」


もちろん、他の酒というのは無料(タダ)ではないのだろう。

なかなか上手いやり方だな、と千代は思った。


「明日で江戸に着きますし、どうでしょう?副長?」


隊士が歳三の顔色を伺った。


「…あんまり飲みすぎるなよ。」


歳三がそう言うと、隊士たちから喜びの声が上がった。



***



「…飲みすぎるなって言ったよな?」


「すみません…」


千代とて、酒を飲んだことがないわけではない。

しかし、酔っ払うという状態を経験したのは、この時が初めてだった。


少しくらいならーー

と、隊士たちに勧められるがまま、断りきれなかった数刻前の自分を恨んだ。

なお、当の隊士たちはみんな、酔い潰れて夕餉の席で眠ってしまった。


一刻ほど席を外し、戻ってきた歳三は、その惨状を見て、呆れたようだった。


ーーそして現在、足元がおぼつかない千代は、

歳三の肩を借りて、宿泊部屋に向かっている。


「あんたの実家、酒も作っているんじゃなかったか。飲み慣れていないのか?」


「お酒も…作ってますけど、あれは薬用酒…」


朦朧とする頭で千代は言う。

千代の実家で作っているのは、薬草を酒精(アルコール)に漬けて作る酒で、水や果実水で割って飲むものである。

健康維持や滋養強壮のために作っているので、いわゆる酒とは違う。そしてかなり独特なーーお世辞にも、美味しいとは言い難い風味であるため、作ることはあっても、飲むことは滅多にないのだ。


うっかりその風味を思い出してしまい、千代は口を抑えてその場にうずくまった。


「うっ…」


「おい、大丈夫か?吐くなら手桶をもらってくるからちょっと待ってろ」


「いえ、大丈夫です…」


「吐けるんなら、吐いちまったほうが楽になるぞ。」


「うう…」


歳三に迷惑をかけて申し訳ない気持ちと、醜態を晒している恥ずかしさ。そして、胃の中の気持ち悪さが、千代を襲う。

せめて嘔吐だけはするまいと、千代は涙目になりながら、歳三の言葉に首を振って立ち上がった。


何とか自分の宿泊部屋まで辿り着くと、歳三が言った。


「…とりあえず、帯を解いて楽にしとけ。いちおう手桶と、それから水も持ってくるように頼んでおく。」


「本当にすみません…」


歳三が部屋から出ていくと、千代は言われた通り帯を解いた。

腹部が軽くなったせいか、気持ち悪さは薄らいでいく。


(もう一生お酒は飲みたくない…)


ずるずると体を引きずって布団に辿り着くと、千代はそのまま目を閉じた。



ーーなお、酔い潰れた隊士たちはその後、歳三に叩き起こされ、灸を据えられたが、それはまた別の話である。



***



次の日。

千代は無事、江戸の住処である師の家に送り届けられた。

案の定、師は医学所に行っているようで不在である。


「本当にありがとうございました…それからご迷惑をおかけしてすみません…」


別れ際、千代は深々と頭を下げた。

昨晩、歳三に介抱された記憶はうっすら残っている。

ーーうっすら、というのが怖いところで、記憶の上では部屋に送り届けてもらっただけなのだが、そのほかに醜態を晒していないかどうかが怪しいところだ。


本人に聞いたところ、部屋まで付き添っただけ、とは言ってくれているが。


「もう金輪際、お酒を飲まないと誓います…」


千代がそう呟くと、歳三は無言で顔を逸らした。


「…?」


「いや、すまない…」


笑いを堪えているようで、堪えられていない。

なぜ笑われているのかが分からない千代は、歳三を見つめることしかできなかった。


「二日酔いの人間がよく言う台詞(セリフ)だったもんだから、可笑しくてな。

そう言ってみんな、忘れた頃にまた飲むんだよ。」


「はあ…」


そういうものなのであろうか。


「まあ、とにかく。この数ヶ月間、あんたには世話になった。改めて礼を言う。」


歳三はいつもの表情に戻ると、千代に頭を下げた。


「私は何も…先生達の指示に従っただけで…」


「先生にも、改めて礼を伝えてくれ。

それから、また京にくる時があれば、隊士達の健康指導もしてほしいと。」


「分かりました。」


千代がそう答えると、歳三は、

じゃあな、と隊士を引き連れて去って行った。


その背中を見送りながら、千代は再度頭を下げる。

数ヶ月間、彼らのもとで仕事をしていた身としては、少し寂しく感じられた。


(また、彼らと会えるといいな。)


そう思えるほどに、千代にとって新選組と過ごした数ヶ月間は有意義なものであった。

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