再会2
旅籠での事件から、千代はしばらく重症者の看病に付きっきりとなった。
時期が悪く、事件から間もなく将軍が江戸に帰還することとなったため、師は一足先に江戸へと戻っていったが、千代は京に残って、負傷者の経過観察を命じられた。
縫合した傷の抜糸まで終われば、後は薬の処方のみとなる。
薬の処方は、千代の得意分野であるため、
心細さはありつつも、千代は自分の任務に徹することにした。
***
その後、隊士たちの容体が安定し、千代が江戸に戻れることになったのは、長月のことだった。
旅籠での騒動で、壬生浪士組は新選組という名で呼ばれるようになり、世間にその名を馳せた。
そんな背景もあり、新選組が増員のため、江戸で隊士募集を行うということで、
その旅路を共にする形で、千代も江戸に戻ることにしたのである。
江戸に行く隊士はいずれも幹部と呼ばれる面子で、その中には、歳三もいた。
「先日は本当にありがとうございました。」
「いや。こちらこそ、救援に来てもらったのに護衛も付けず、気遣いが足りなかった。申し訳ない。」
千代は拍子抜けした。
多摩でバラガキと呼ばれていた男は、新選組副長の肩書きに恥じない対応をした。
「…何か?」
ぽかんとする千代を、歳三は怪訝そうに見る。
「…ああいえ、何でも。道中、よろしくお願いします。」
千代はぺこりと頭を下げた。
女1人ということもあり、道中、隊士たちは常に千代を気遣ってくれた。
日々鍛錬を積んでいる彼らの健脚であれば、きっともっと早い速度で歩けるはずである。
千代が同行していることで、旅程を遅らせていると思うと、申し訳なく感じた。
経由した宿場町で、千代達一行は常に人々の視線を集めた。
流石にみんな、浅葱の羽織は着ていなかったが、男数人に女1人の集団は珍しい。何をせずとも目立つのである。
また、それに相まって歳三が女性たちの視線を集めているようであった。
多摩では別の意味で注目を集めていた歳三だが、宿場町で客引きをしている女たちは、我こそと真っ先に歳三に声をかけるのであった。
なお、当の本人は慣れた様子であしらっている。
「こうやって見ると、島原の遊女は、やっぱ質が高いよなぁ…」
その様子を見ていた隊士の1人が呟くと、別の隊士が諌めるように、その隊士を肘で小突いた。
千代に気を遣ったのだろう。
男所帯にいれば、仲間内で島原に行くことくらいあるだろう。千代にもその程度の想像はできるし、それに偏見を持つことはない。
なるほど、京の遊女はやはり一流なんだろうなと千代は思った。
***
江戸に着く前夜のことである。
「これ、よろしければうちで作ってるものなんですけど…」
旅籠で夕餉を食べていると、気前のいい主人が、自家製の酒を振る舞ってくれた。
「千代さんも一杯どうですか?」
「いえ、私は…」
隊士に勧められ、断ろうとした時、差し出された盃から、ふわりと甘い香りが漂った。
「すごい良い香りですね。…金木犀でしょうか?」
興味を惹かれて、思わず盃を受け取った。
「ええ。金木犀を漬け込んだ酒で、飲みやすい甘口に仕上げています。」
旅籠の主人が続けた。
「その昔、これと同じものを、清国の貴妃が愛飲していたとか。」
千代は一口飲んで納得した。
果実酒を思わせる芳醇な酒である。
金木犀の香りが、口から鼻までふわりと広がった。
今まで出会ったことのない不思議な味に、千代は二口、三口と口をつけた。
「この時期に金木犀の酒とは、ご主人もなかなか粋ですねぇ。」
隊士の1人がそう言うと、主人は照れ臭そうに笑った。
「みなさん、お飲みになるのでしたら、他のお酒も用意はありますけど、いかがでしょう?」
もちろん、他の酒というのは無料ではないのだろう。
なかなか上手いやり方だな、と千代は思った。
「明日で江戸に着きますし、どうでしょう?副長?」
隊士が歳三の顔色を伺った。
「…あんまり飲みすぎるなよ。」
歳三がそう言うと、隊士たちから喜びの声が上がった。
***
「…飲みすぎるなって言ったよな?」
「すみません…」
千代とて、酒を飲んだことがないわけではない。
しかし、酔っ払うという状態を経験したのは、この時が初めてだった。
少しくらいならーー
と、隊士たちに勧められるがまま、断りきれなかった数刻前の自分を恨んだ。
なお、当の隊士たちはみんな、酔い潰れて夕餉の席で眠ってしまった。
一刻ほど席を外し、戻ってきた歳三は、その惨状を見て、呆れたようだった。
ーーそして現在、足元がおぼつかない千代は、
歳三の肩を借りて、宿泊部屋に向かっている。
「あんたの実家、酒も作っているんじゃなかったか。飲み慣れていないのか?」
「お酒も…作ってますけど、あれは薬用酒…」
朦朧とする頭で千代は言う。
千代の実家で作っているのは、薬草を酒精に漬けて作る酒で、水や果実水で割って飲むものである。
健康維持や滋養強壮のために作っているので、いわゆる酒とは違う。そしてかなり独特なーーお世辞にも、美味しいとは言い難い風味であるため、作ることはあっても、飲むことは滅多にないのだ。
うっかりその風味を思い出してしまい、千代は口を抑えてその場にうずくまった。
「うっ…」
「おい、大丈夫か?吐くなら手桶をもらってくるからちょっと待ってろ」
「いえ、大丈夫です…」
「吐けるんなら、吐いちまったほうが楽になるぞ。」
「うう…」
歳三に迷惑をかけて申し訳ない気持ちと、醜態を晒している恥ずかしさ。そして、胃の中の気持ち悪さが、千代を襲う。
せめて嘔吐だけはするまいと、千代は涙目になりながら、歳三の言葉に首を振って立ち上がった。
何とか自分の宿泊部屋まで辿り着くと、歳三が言った。
「…とりあえず、帯を解いて楽にしとけ。いちおう手桶と、それから水も持ってくるように頼んでおく。」
「本当にすみません…」
歳三が部屋から出ていくと、千代は言われた通り帯を解いた。
腹部が軽くなったせいか、気持ち悪さは薄らいでいく。
(もう一生お酒は飲みたくない…)
ずるずると体を引きずって布団に辿り着くと、千代はそのまま目を閉じた。
ーーなお、酔い潰れた隊士たちはその後、歳三に叩き起こされ、灸を据えられたが、それはまた別の話である。
***
次の日。
千代は無事、江戸の住処である師の家に送り届けられた。
案の定、師は医学所に行っているようで不在である。
「本当にありがとうございました…それからご迷惑をおかけしてすみません…」
別れ際、千代は深々と頭を下げた。
昨晩、歳三に介抱された記憶はうっすら残っている。
ーーうっすら、というのが怖いところで、記憶の上では部屋に送り届けてもらっただけなのだが、そのほかに醜態を晒していないかどうかが怪しいところだ。
本人に聞いたところ、部屋まで付き添っただけ、とは言ってくれているが。
「もう金輪際、お酒を飲まないと誓います…」
千代がそう呟くと、歳三は無言で顔を逸らした。
「…?」
「いや、すまない…」
笑いを堪えているようで、堪えられていない。
なぜ笑われているのかが分からない千代は、歳三を見つめることしかできなかった。
「二日酔いの人間がよく言う台詞だったもんだから、可笑しくてな。
そう言ってみんな、忘れた頃にまた飲むんだよ。」
「はあ…」
そういうものなのであろうか。
「まあ、とにかく。この数ヶ月間、あんたには世話になった。改めて礼を言う。」
歳三はいつもの表情に戻ると、千代に頭を下げた。
「私は何も…先生達の指示に従っただけで…」
「先生にも、改めて礼を伝えてくれ。
それから、また京にくる時があれば、隊士達の健康指導もしてほしいと。」
「分かりました。」
千代がそう答えると、歳三は、
じゃあな、と隊士を引き連れて去って行った。
その背中を見送りながら、千代は再度頭を下げる。
数ヶ月間、彼らのもとで仕事をしていた身としては、少し寂しく感じられた。
(また、彼らと会えるといいな。)
そう思えるほどに、千代にとって新選組と過ごした数ヶ月間は有意義なものであった。




