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浅葱色の奇跡  作者:
多摩編
2/22

時間遡行


冷静になって思い出すと、私を殺したのは大砲だったのだと思う。

診療所の近くには弁天台場と呼ばれる砲台があった。

あの状況では、新政府軍が撃ったのか、幕府軍が撃ったのかは分からない。

切羽詰まって血迷った兵士達が、少しでも敵に争おうと市中に向けてぶっ放したのだろう。


そう。私は命を落としたはずだった。

歳さんの死を見届けたあと、間違いなく。


なのに…


(どうして生きている?)


結論から言うと、私は生きている。

生きているというより、18歳に戻ったという表現が正しいのかもしれない。


***


意識を失ったあと、千代は故郷の自宅の布団の上で目を覚ました。

実家で扱っていた、懐かしい薬草の匂いがした。

驚いて起き出すと、もう何年も会っていなかった母が、当時と変わらぬ姿でそこにいた。


「おや、千代。そんなに慌ててどうしたんだい?」


母が少し驚いたように言った。

あまりのことに言葉が出なかった。


「母さん…」


「起き抜けに悪いんだけど、彦五郎さんのところに薬を届けてくれない?

父さんが道場に行くついでに持ってくって言ってたんだけど、忘れて行ってしまってねえ。

まったく…」


きっとこれは夢だ。幸せな夢を見ているんだ。

ならば、しばしその夢に流されてみようと千代は思った。


「わかった。届けてくるよ」


そう言って身支度を済ませ、薬の入った包みを持って表に出た。


故郷を離れたのは二十歳の頃。

もう10年も前のことだが、見渡す景色は昔の記憶と全く変わらなかった。


母が彦五郎さん、と言った男は、千代が住む宿場町の名主である。

趣味で自宅の一角を道場にしており、たびたび剣術の稽古が実施されている。その昔、武士に憧れていた千代の父はそこによく通っていた。


歩き慣れた道を通り、彦五郎宅に着くと、奥から竹刀を打ち合う音が響いてきた。


「すみませーん!彦五郎さんいますかー?」


入り口の戸を開けて声をかけると、

彦五郎の妻が家の奥から顔を出した。

背の高い、目鼻立ちのはっきりした美人である。


「あら千代ちゃん!ごめんねぇ。いま稽古中で、道場まで回ってくれるかしら?」


「分かりました」


表から庭をぐるっと回ると、裏庭に面して道場が設けられている。

何度も訪れた勝手知ったる家のため、千代はそのまま道場に向かった。


「彦五郎さーん!お薬届けにきましたー!」


裏庭から道場を覗いて声をかける。

そこでは防具をつけた男達が数名、汗だくになりながら打ち込みをしていた。


「おお、千代!なんでお前がここに?」


彦五郎より先に反応したのは、千代の父だった。


「父さんが薬持っていくの忘れたから、代わりに届けにきたのよ」


「そういえば母さんに頼まれていたなあ。悪い悪い!」


ガッハッハと笑う恰幅の良い父は、やはり千代の記憶にある姿のままだった。


「千代ちゃんわざわざありがとう。最近どうも体が痛くてねえ…これを飲むと、すごく楽になるんだよ」


父の後ろから出てきた彦五郎が、薬の包みを受け取りながら言った。

名主と言うには鍛えられすぎている体。浅黒い肌に、白い歯が映える男だ。

これも、千代の記憶の中の彦五郎と一致した。


「ぜひ今後ともご贔屓にしてくださいね」


にこりと愛想笑いで返した時、


「おいおい、彦五郎さん。関節痛ならうちの薬も効くだろう?」


道場の奥から、聞き慣れた男の声が響いた。


(まさか…)


まさかとは思いつつも、千代の胸は期待に揺れた。

そうだ。これが夢なら、彼に会えるかもしれない。

何せこの道場は、千代と彼が初めて出会った場所である。


「いやあ、そうだな歳三。おまえん家の薬もたしかに効くさ。ただあれは…」


「なんだよ、不味いって言うんだろ?」


頭に被っていた防具を外しながら、不服そうな声を漏らしたのは、死んだはずの歳三だった。


なんて幸せな夢なのだろう。

神様が最後にくれたご褒美だと、千代は思った。


遠くからでも分かる、濃い眉と高い鼻。

総髪を結った髷は、防具を被っていたせいで乱れている。

鋭い眼光でちら、とこちらを見る歳三は、最後に見た姿よりどこか田舎くさく、それでいて若かった。


気付くと、涙が溢れていた。

その様子に気づいた男達が、慌てながら、しかし不思議そうに千代を宥める。


「ごめんなさい、なんでもないんです」

 

夢だ、と口にしたら今度こそ永遠の眠りにつきそうで、千代は言葉に出さなかった。

できるならば、この夢がずっと続いてほしいと思った。


そして、千代の願いを叶えるように、その夢はずっと続いたのだった。


***


寝ても覚めても、この夢が終わる気配がない。


流石におかしい、と思い始めたのは、

彦五郎に薬を届けて数日経った頃。


千代は明らかな違和感を感じていた。


故郷を離れたのは10年前、

そのため、千代の記憶には曖昧な部分が多い。

多いのだが…


「今日は天気がいいから、薬草を干しちゃおうかねえ。今年は育ちが良かったから、乾燥させるにも時間がかかりそうだし」


母が空を見ながら作業を進めている。


(たしかこの後、雨が降ってやり直す羽目になったような…)


いわゆる既視感というものである。


確信が持てないまま、千代は母を手伝った。


先日の彦五郎宅でのやりとりについても、

思い返せば以前、全く同じやりとりをしていたような記憶がある。


そしてやはり、千代の予想は当たるのである。

半刻も立たずして、晴天から一転して激しい通り雨がきた。


(…もしかしたら)


千代は以前、蘭学を学んだ軍医に「時間遡行(タイムリープ)」という言葉を教えてもらったことがあった。


体を濡らす冷たい雨を感じながら、千代は思った。

あるきっかけで、過去に時間が巻き戻るというお伽話のような現象。

もしかしたら、この状況はそれではないかと。


ふと、自らの手に視線を落とす。

薬品や調合、さらしや包帯の洗濯でいつも黒ずみ、赤切れていたその手は、白魚のようにきれいだった。


もし自分が、故郷ーーー多摩に居た頃まで、時間が戻っているのなら…

そう考えると、自分のこの手も、若かった歳三の姿も、記憶から変わらぬ父母の姿も、全て辻褄が合う気がした。

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