江戸の町
千代が試衛館に来てしばらくすると、
庭には桜が咲き始めた。
「千代、お前に会いたいって言う奴が客間にいるんだけど」
裏庭に舞い散った桜の花びらを箒で掃いていると、
新八から声をかけられた。
「…私?」
わざわざ江戸にまで会いに来る知人に、心当たりはない。
千代は不思議に思いつつ、客間に足を運んだ。
***
茶を注いで客間に向かうと、
そこには平助と、思いがけない人物がいた。
「…どうしてここに?」
千代は驚いた。清十郎である。
「千代が試衛館に手伝いにきてるって言うから、顔を見にきました。平助にも久々に会いたかったし。」
「なーんだ、俺はおまけかぁ。」
平助がぼやく。
千代は驚いた。
「え?お2人は知り合いなの?」
「俺、もともと玄武館に通ってて、試衛館に来たのは最近なんだ。」
「ああ、それで…」
平助の答えに、千代は納得した。
少し前の清十郎からの手紙に、友人が試衛館に入門したという内容があったような気がする。
それが平助というわけだ。
「多摩にはなかなか戻れませんから。千代から手紙をもらって、この距離なら会いに行けると。」
「清十郎さんの奉公先も、このあたりなんですか?」
「うーん、片道半刻くらい。」
ちょっと足を伸ばすには億劫になる距離である。
「…こんなところまで来て、お仕事は大丈夫なんですか?」
「あはは、大丈夫。今日は非番なんです。」
清十郎は笑った。
「ところで、千代さんと清さんは何で知り合いなの?」
「ええっと…それは…」
平助の問いに、口籠る千代に代わって、清十郎が答えた。
「…同郷の知り合いかな。」
「ふぅん。」
納得したのかしてないのか、平助はじっと2人を観察する。
「ところで千代、江戸の町はもう散策しましたか?」
「いえ、実はまだあんまり…」
「よければこの後、一緒に出かけませんか?」
「…お誘いは嬉しいんですけど、まだ家事が残ってまして…」
「昼餉のあとなら大丈夫なんじゃない?」
千代が丁重に断ろうとしたところを、平助が遮った。
「飯作るのは千代さんにやってもらったほうがいいと思うけど、後片付けくらいなら俺たち自分でやっとくからさ。
師範に言えば、少しくらい抜けても平気だと思うけど。」
「うーん…」
千代は悩んだ。正直、せっかく試衛館まで足を運んでくれた清十郎を、このまま帰すのは忍びない。
「ちょっと周助先生に相談してきます…」
千代は、周助に決定権を委ねた。
***
周助は二つ返事で外出を許した。
時間溯行前に、江戸の町歩きはもちろん経験済みである。
久々の江戸の賑わいに、千代の胸は踊った。
しかし、今の千代は一応、初めて江戸に来ている体である。
清十郎の少し後ろをついて行くように、千代は歩いた。
これまで文通が続いていたこともあり、高幡不動で初めて会話したときよりも、気まずさは感じなかった。
「あ、そこのお団子、とっても美味しいんですよ!」
清十郎は茶屋を指差した。
「よかったら、食べて行きませんか?」
「はい、ぜひ。」
千代が答えると、清十郎は茶屋の軒先に腰掛け、団子を2本注文した。
「江戸での生活は慣れましたか?」
「そうですね…それなりに。まあ、たまに家業が恋しくなることもあります。」
正直、炊事や洗濯よりも、薬草の手入れをしたり、薬を調合したりする方が性に合っている。
試衛館での生活に不満はないが、やはり家業が好きなのだ。
清十郎はふっと笑った。
「恋しいのは家業なんですね。ご両親ではなく。」
「あ…」
冷たい女だと思われただろうか。
時間溯行前、10年も離れていた父母である。京都はともかく、江戸と多摩の距離なら、会おうと思えばいつでも会いにいける距離だと千代は知っている。
「清十郎さんは、どんな場所で奉公を?」
千代はあえてら話題をそらした。
「日本橋の呉服屋で、用心棒兼雑用みたいなことをしています。」
「日本橋の呉服屋…」
きっと大店だろうな、と千代は思った。
「江戸は長いんですか?」
「もう3年くらいかなあ。あと少しで年季が明けます。」
それもあって、千代との話が持ち上がったと清十郎は付け足した。
話しているうちに、団子が乗った皿を2つ持った茶屋の主人が、清十郎のところに来た。
串に刺さった団子の上には、皿から溢れんばかりの飴色のタレがかかっている。
「おお…」
その見た目に圧倒され、思わず千代は声を漏らした。
「このみたらしが美味しいんですよ。だんごに絡めて食べるんです。」
主人から皿を受け取った清十郎が、千代に渡した。
「いただきます…」
千代はわくわくしながら、串を持って団子を口に運んだ。
タレを溢さないように、反対の手で皿を持つ。
甘辛いトロッとしたタレが、団子のもっちりとした食感と一緒に口の中に広がった。
「美味しい…!!」
「でしょう?僕、甘味はそれほど好きじゃないんだけれど、ここのは大好きなんです。」
確かに、甘党も辛党もどちらからも好まれそうな、絶妙な味付けである。
皿に残ったタレと団子を絡めながら、千代はペロリと平らげた。
「気に入って頂けたみたいでよかったです。…あ」
清十郎は千代の顔を見て、袂から手拭いを出し、
「少し、失礼しますね。」
そう言って千代の頬を拭った。
「…やだ、付いてましたか?」
千代は恥ずかしくなって手で顔を覆う。
清十郎は笑った。
「よかったら、持ち帰りもできるんでぜひ。」
茶を出しにきた主人が、そんな2人を見ながら笑顔で言う。
「…そうしたら、持ち帰りで7本、お願いできますか?」
試衛館へのお土産にしよう、と千代は思った。
はいよ、と主人は答え、再び店の中に入って行く。
「日本橋の方にも、色々と名物があるんですよ。今度、お土産で買ってきますね。」
ーーまた、試衛館に来るということだろうか。
千代はふと疑問に思ったが、口に出すのも野暮だと思ってやめた。
***
一刻ほど町歩きをしたあと、清十郎はきっちり試衛館の門前まで千代を送り届けた。
日が暮れる前に奉公先に戻らなければならないということで、清十郎は申し訳なさそうにしていたが、千代としても残りの家事や夕餉の支度があるため、ちょうどいい頃合いであった。
周助を探しに道場に行くと、ちょうど稽古が終わったところだった。
今日は勇も総司も、試衛館の稽古に出ている。
「ただいま戻りました。これ、よかったら皆さんに差し入れです。」
「おお、ありがとう。」
千代が差し出した団子の包みを、周助は受け取った。
その周りを、男達がわらわらと取り囲む。
「なんだ?みたらし団子か?」
「ここの団子、美味いんだよなあ」
(買ってきてよかった。)
彼らの嬉しそうな反応を見て、千代は思った。
「いま、お茶を入れてきますね!」
千代がその場を後にしようとすると、
その後を総司が付いてきた。
「僕も手伝います。」
さすが気の利く男である。
2人で台所に行き、湯を沸かしていると
総司の様子がいつもと違うことに千代は気付いた。
(………?)
何だろうか、この間は。
いつも何かしら喋りかけてくる総司であるが、今日はやけに大人しい。
「…総司くん、なんか今日は元気ない?」
千代の言葉に総司ははっとしたようである。
「いえ、そんなことはないです!ただ…」
総司は口をつぐんだ。
「…ただ、どうしたの?」
「いや、ちょっと気になることが…」
「どうしたのよ、総司くんらしくないじゃない。」
総司は恐る恐る、千代の表情を伺っている。
「…千代さん、あの人と結婚するんですか…?」
千代は急須に茶葉を入れようとして、止まった。
「…清十郎さんのこと?」
どうして総司がその話を知っているんだろう、と思った。
「名前までは知らないんですけど、今日一緒にいた人、奉納試合にいた千代さんの見合い相手ですよね?」
「どうしてそれを…」
「すみません、あの後、彦五郎さんから聞いちゃって…」
「あー、いや、それは全然大丈夫なんだけれども…!」
のぶから彦五郎、彦五郎から総司と伝わったのか。
千代は納得した。
少し気恥ずかしいだけで、隠していたわけではない。故に、総司が謝ることでもない。
千代は困った。どこから何と説明をするべきか。
「えーと、総司くんの認識は合っていて、あの人は奉納試合で試衛館と対戦した玄武館の人。
私の縁談の相手ではあるんだけれど、今のところはお互い結婚する気がなくて、同志?というか友達?みたいな…」
思えば、変な関係性である。
「…でも、結婚を前提の関係性なんじゃないですか?」
「…うーん。どうなんだろう。」
少なくとも、自分の目標の達成が確認できるまで、千代は誰とも結婚をするつもりはない。
そして、清十郎もーー
おそらく、悪い印象は持たれていないとは思うものの、
送られてくる手紙や、今日のやりとりから、結婚話を進めたいという雰囲気ではない、と千代は思う。
「実は、相手がどうとかじゃなくて、私はまだ結婚したくないの。
それは両親にも、清十郎さんにも伝えてるし、分かってもらってるつもり。
だから、総司くんに仕事の紹介をお願いしたし、試衛館に来たって感じかな。」
千代がそう話し終える頃には、とうに湯が沸いていた。
「そうでしたか…すみません、変なこと聞いて。」
「ううん、全然!
総司くんが繋いでくれた仕事を放り出して突然嫁に行くとか、そんな不義理なことはしないから安心して?」
「いえ、そういう心配はもちろんしてないです。
…でも、ありがとうございます。」
総司は心なしかほっとしているように見えた。
千代が湯呑みに茶を入れ終えると、総司が盆を持った。
「重いので、僕が持ちます。」
「ありがとう。」
試衛館にいるうちに、総司の細かい気遣いにも慣れ、すっかり千代は甘えていた。




