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浅葱色の奇跡  作者:
江戸編
16/26

江戸の町


千代が試衛館に来てしばらくすると、

庭には桜が咲き始めた。


「千代、お前に会いたいって言う奴が客間にいるんだけど」


裏庭に舞い散った桜の花びらを箒で掃いていると、

新八から声をかけられた。


「…私?」


わざわざ江戸にまで会いに来る知人に、心当たりはない。

千代は不思議に思いつつ、客間に足を運んだ。



***



茶を注いで客間に向かうと、

そこには平助と、思いがけない人物がいた。


「…どうしてここに?」


千代は驚いた。清十郎である。


「千代が試衛館に手伝いにきてるって言うから、顔を見にきました。平助にも久々に会いたかったし。」


「なーんだ、俺はおまけかぁ。」


平助がぼやく。

千代は驚いた。


「え?お2人は知り合いなの?」


「俺、もともと玄武館に通ってて、試衛館に来たのは最近なんだ。」


「ああ、それで…」


平助の答えに、千代は納得した。

少し前の清十郎からの手紙に、友人が試衛館に入門したという内容があったような気がする。

それが平助というわけだ。


「多摩にはなかなか戻れませんから。千代から手紙をもらって、この距離なら会いに行けると。」


「清十郎さんの奉公先も、このあたりなんですか?」


「うーん、片道半刻(いちじかん)くらい。」


ちょっと足を伸ばすには億劫になる距離である。


「…こんなところまで来て、お仕事は大丈夫なんですか?」


「あはは、大丈夫。今日は非番なんです。」


清十郎は笑った。


「ところで、千代さんと(きよ)さんは何で知り合いなの?」


「ええっと…それは…」


平助の問いに、口籠る千代に代わって、清十郎が答えた。


「…同郷の知り合いかな。」


「ふぅん。」


納得したのかしてないのか、平助はじっと2人を観察する。


「ところで千代、江戸の町はもう散策しましたか?」


「いえ、実はまだあんまり…」


「よければこの後、一緒に出かけませんか?」


「…お誘いは嬉しいんですけど、まだ家事が残ってまして…」


「昼餉のあとなら大丈夫なんじゃない?」


千代が丁重に断ろうとしたところを、平助が遮った。


「飯作るのは千代さんにやってもらったほうがいいと思うけど、後片付けくらいなら俺たち自分でやっとくからさ。

師範に言えば、少しくらい抜けても平気だと思うけど。」


「うーん…」


千代は悩んだ。正直、せっかく試衛館まで足を運んでくれた清十郎を、このまま帰すのは忍びない。


「ちょっと周助先生に相談してきます…」


千代は、周助に決定権を委ねた。




***



周助は二つ返事で外出を許した。


時間溯行(タイムリープ)前に、江戸の町歩きはもちろん経験済みである。

久々の江戸の賑わいに、千代の胸は踊った。


しかし、今の千代は一応、初めて江戸に来ている体である。

清十郎の少し後ろをついて行くように、千代は歩いた。


これまで文通が続いていたこともあり、高幡不動で初めて会話したときよりも、気まずさは感じなかった。


「あ、そこのお団子、とっても美味しいんですよ!」


清十郎は茶屋を指差した。


「よかったら、食べて行きませんか?」


「はい、ぜひ。」


千代が答えると、清十郎は茶屋の軒先に腰掛け、団子を2本注文した。


「江戸での生活は慣れましたか?」


「そうですね…それなりに。まあ、たまに家業が恋しくなることもあります。」


正直、炊事や洗濯よりも、薬草の手入れをしたり、薬を調合したりする方が性に合っている。

試衛館での生活に不満はないが、やはり家業が好きなのだ。


清十郎はふっと笑った。


「恋しいのは家業なんですね。ご両親ではなく。」


「あ…」


冷たい女だと思われただろうか。

時間溯行(タイムリープ)前、10年も離れていた父母である。京都はともかく、江戸と多摩の距離なら、会おうと思えばいつでも会いにいける距離だと千代は知っている。


「清十郎さんは、どんな場所で奉公を?」


千代はあえてら話題をそらした。


「日本橋の呉服屋で、用心棒兼雑用みたいなことをしています。」


「日本橋の呉服屋…」


きっと大店(おおだな)だろうな、と千代は思った。


「江戸は長いんですか?」


「もう3年くらいかなあ。あと少しで年季が明けます。」


それもあって、千代との話が持ち上がったと清十郎は付け足した。


話しているうちに、団子が乗った皿を2つ持った茶屋の主人が、清十郎のところに来た。


串に刺さった団子の上には、皿から溢れんばかりの飴色のタレがかかっている。


「おお…」


その見た目(ビジュアル)に圧倒され、思わず千代は声を漏らした。


「この()()()()が美味しいんですよ。だんごに絡めて食べるんです。」


主人から皿を受け取った清十郎が、千代に渡した。


「いただきます…」


千代はわくわくしながら、串を持って団子を口に運んだ。

タレを溢さないように、反対の手で皿を持つ。


甘辛いトロッとしたタレが、団子のもっちりとした食感と一緒に口の中に広がった。


「美味しい…!!」


「でしょう?僕、甘味はそれほど好きじゃないんだけれど、ここのは大好きなんです。」


確かに、甘党も辛党もどちらからも好まれそうな、絶妙な味付けである。


皿に残ったタレと団子を絡めながら、千代はペロリと平らげた。


「気に入って頂けたみたいでよかったです。…あ」


清十郎は千代の顔を見て、袂から手拭いを出し、


「少し、失礼しますね。」


そう言って千代の頬を拭った。


「…やだ、付いてましたか?」


千代は恥ずかしくなって手で顔を覆う。

清十郎は笑った。


「よかったら、持ち帰りもできるんでぜひ。」


茶を出しにきた主人が、そんな2人を見ながら笑顔で言う。


「…そうしたら、持ち帰りで7本、お願いできますか?」


試衛館へのお土産にしよう、と千代は思った。

はいよ、と主人は答え、再び店の中に入って行く。


「日本橋の方にも、色々と名物があるんですよ。今度、お土産で買ってきますね。」


ーーまた、試衛館に来るということだろうか。


千代はふと疑問に思ったが、口に出すのも野暮だと思ってやめた。



***



一刻(2じかん)ほど町歩きをしたあと、清十郎はきっちり試衛館の門前まで千代を送り届けた。


日が暮れる前に奉公先に戻らなければならないということで、清十郎は申し訳なさそうにしていたが、千代としても残りの家事や夕餉の支度があるため、ちょうどいい頃合いであった。


周助を探しに道場に行くと、ちょうど稽古が終わったところだった。

今日は勇も総司も、試衛館の稽古に出ている。


「ただいま戻りました。これ、よかったら皆さんに差し入れです。」


「おお、ありがとう。」


千代が差し出した団子の包みを、周助は受け取った。

その周りを、男達がわらわらと取り囲む。


「なんだ?みたらし団子か?」


「ここの団子、美味いんだよなあ」


(買ってきてよかった。)


彼らの嬉しそうな反応を見て、千代は思った。


「いま、お茶を入れてきますね!」


千代がその場を後にしようとすると、

その後を総司が付いてきた。


「僕も手伝います。」


さすが気の利く男である。


2人で台所に行き、湯を沸かしていると

総司の様子がいつもと違うことに千代は気付いた。


(………?)


何だろうか、この間は。


いつも何かしら喋りかけてくる総司であるが、今日はやけに大人しい。


「…総司くん、なんか今日は元気ない?」


千代の言葉に総司ははっとしたようである。


「いえ、そんなことはないです!ただ…」


総司は口をつぐんだ。


「…ただ、どうしたの?」


「いや、ちょっと気になることが…」


「どうしたのよ、総司くんらしくないじゃない。」


総司は恐る恐る、千代の表情を伺っている。


「…千代さん、あの人と結婚するんですか…?」 


千代は急須に茶葉を入れようとして、止まった。


「…清十郎さんのこと?」


どうして総司がその話を知っているんだろう、と思った。


「名前までは知らないんですけど、今日一緒にいた人、奉納試合にいた千代さんの見合い相手ですよね?」


「どうしてそれを…」


「すみません、あの後、彦五郎さんから聞いちゃって…」


「あー、いや、それは全然大丈夫なんだけれども…!」


のぶから彦五郎、彦五郎から総司と伝わったのか。

千代は納得した。

少し気恥ずかしいだけで、隠していたわけではない。故に、総司が謝ることでもない。


千代は困った。どこから何と説明をするべきか。


「えーと、総司くんの認識は合っていて、あの人は奉納試合で試衛館と対戦した玄武館の人。

私の縁談の相手ではあるんだけれど、今のところはお互い結婚する気がなくて、同志?というか友達?みたいな…」


思えば、変な関係性である。


「…でも、結婚を前提の関係性なんじゃないですか?」


「…うーん。どうなんだろう。」


少なくとも、自分の目標の達成が確認できるまで、千代は誰とも結婚をするつもりはない。

そして、清十郎もーー

おそらく、悪い印象は持たれていないとは思うものの、

送られてくる手紙や、今日のやりとりから、結婚話を進めたいという雰囲気ではない、と千代は思う。


「実は、相手がどうとかじゃなくて、私はまだ結婚したくないの。

それは両親にも、清十郎さんにも伝えてるし、分かってもらってるつもり。

だから、総司くんに仕事の紹介をお願いしたし、試衛館に来たって感じかな。」


千代がそう話し終える頃には、とうに湯が沸いていた。


「そうでしたか…すみません、変なこと聞いて。」


「ううん、全然!

総司くんが繋いでくれた仕事を放り出して突然嫁に行くとか、そんな不義理なことはしないから安心して?」


「いえ、そういう心配はもちろんしてないです。

…でも、ありがとうございます。」


総司は心なしかほっとしているように見えた。


千代が湯呑みに茶を入れ終えると、総司が盆を持った。


「重いので、僕が持ちます。」


「ありがとう。」


試衛館にいるうちに、総司の細かい気遣いにも慣れ、すっかり千代は甘えていた。


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